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日蓮大聖人・池田大作

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甲府支部結成大会 信念の人

1960.11.9 「会長講演集」第1巻

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1  なにも、学会の会長だからといって、りっぱそうなことを話したり、さも、尊大ぶって、偉そうなことを話す理由もなければ、そんな必要もない。ただ一つ、創価学会は、日蓮大聖人様の大御本尊様を信じきっていけば、絶対に、仏になれるということを、教えるだけでしょう。
 私は、非常に、はにかみやで、気が弱い人間でありますが、ひとたび邪宗教に対しては、また信心という、学会精神ということに立っては、鬼神も哭き、阿修羅王のごとく、全学会を守りきり、邪宗教と闘争する、指揮を取っていくことだけは断言しておきます。何も恐れません。それが創価学会の会長の精神です。したがって、皆さん方は、大御本尊様を奉持し、また私どもに安心して、ついてきてけっこうであると思うのです。
 私どもの信心の目的は何か。それはあくまで幸福になることです。成仏することです。仏になることが信心の目的です。したがって、仏という境涯はどういう境涯か、よく恩師戸田先生は、生きていく、人生それ自体が楽しい、生きている瞬間、瞬間の人生が楽しくて、楽しくてたまらない。そういう自分自身が仏の境涯であろうか。この人間革命をそういう境涯を会得するまでは、絶対退転してはいけないよと、つねづね教えくださっておりましたが、仏というと、なにかりっぱな金ピカを思いだしたり、理想の姿を思ったり、そういうものが仏でなくして、御本尊様を拝んでいるものが仏なのです。
 ですから、信心を強盛に、この世が寂光土である、この自分の生きているその生活に、しあわせを感じきっているのだと思えば、功徳がどんどん湧くし、そんな仏などということは、とうていなれるものではないと、いつもいつも疑いを起こし、批判をし、苦しんで信心している場合には、いつまでたっても、この土は苦しい土に変わってしまうのです。
 自分自身の一念一心ということが根本になっている。御本尊様に題目をあげ、私は仏になれる、絶対幸福になれるのだと題目をあげていけば、必ず仏になり、幸福になれるのです。その証拠として、仏といえば、貧乏人の仏、神経衰弱の仏、いつも人の悪口ばかり言っている仏はふうに救ってあげようか、しあわせにしてあげようか、親子兄弟のことを心から愛情をもって考え、そういう境涯の仏の境涯なのです。
 したがって、仏になることが信心の目的であります。この仏の境涯を湧現しきるまで、強盛な信心を、おたがいに激励し合っていこうではありませんか。
2  また、今、私たちに一番大事なことは、日本の国に信念の人がいないことです。天台大師は、大御本尊様を信じきる、大御本尊様を念じきる人が、信と念、その信じきり、念じきる人が、信念の持ち主であると説いておりますが、よく信念、信念というけれども、感情的な、ただ観念的な傲慢な信念をいう人がありますが、真実の信念の持ち主はいないのです。政治家にあっても、教育者にあっても、経済家にあっても、世の今の指導者たちは、自分自身のことは、一生懸命に守るけれども、日本の国、社会を、人々を、隣人を心から守ろうという、また、絶対しあわせにさせきっていくという理念をもった信念の持ち主は少ないです。
 りっぱなことはだれでも言えます。口は重宝なものである。また、よく創価学会に対しても日蓮正宗に対しても、なんだ日蓮が、なんだ南無妙法蓮華経はと、さも自分自身が、人のことを批判するほうが高いように思い、自分にはなんの信念もなく、なんの理念もなく、だが、なんでも学会のことや、日蓮正宗のことを批判する、批判していることが、ずっと上のほうにみる錯覚の日本民族の姿なのです。
 では、批判するならば、あなたは、どんな原理をもっているか、人々を救う理念をもっているか、信念があるかと聞けば、なんにもない。私どもは信念がある。絶対正しい仏法であるという証拠には、五重の相対とか、三重秘伝とか、文証、理証、現証とか、厳然たる規準をもち、また釈迦、天台、伝教、日蓮大聖人様の、仏様の教えを中心に、根本にして、正義を唱え、信念をもって折伏をしきっているわけですから、私どもほどの信念の持ち主は、世界にないと私は断言しておきます。
 したがって、なんにも原理をもたず、人々を救う理念をもたずして、とやかくいう人がおりますけれども、そういう人は、ひきょうな人です。そういう人々が、今の世の中に大勢おり、そういう人たちを偉そうにみている日本の国を、なんとか変えていかねばならないと私は思うのです。
 その意味においても、どうか皆さん方は、絶対なる信念をもって、少しぐらい新聞に書かれた、悪口を言われた、信心やめてしまおうか、そういう弱々しい心ではなくして、自分は仏さまの使いなのだ、自分は学会員なのだ、自分ほど正しい仏法をもったものはいないのだという信念をもち、また、即仕事においても、社会においても、商売においても、その境遇にあって、生活にあって、強い強い信念をまた同じくもって、世の人々の模範となり、指導者になっていこうではありませんか。
3  私どもが、創価学会員が、どういう位にたとうが、また、位がなかろうが、衆議院だとか、参議院だとか、やれ教育者だとかいろいろありますが、そういう位はなかろうが、大御本尊様を根本にして、不幸な人々を救っていく以外には、平和な日本の国も、しあわせも絶対にないのです。これだけは、いろいろな世界を私どもは知っております。聞いてきてもおります。暗たんたる日本民族の前途です。私どもがしっかりせねば、私どもがりっぱな指導者なのだという信念をもたなければ、日本民族のしあわせはないという確信をもって、勇敢に進んでいきましょう。
 どうか、最後に皆さん方の、心から仲良く、団結をしあって、折伏の成果があがらないとか、そういうことは結構です。御本尊様中心に、みんなが激励し合い、仲良くなって、御本尊様に願いきっていけばそれでいいのです。あと、時間があり、またかわいそうな人があるならば、愛情をこめ、慈悲をこめて、話してあげよう、救ってあげよう、また、なかなか、まだ信心の強くない人に対しては指導してあげようと、余裕をもって、着実に前進をしていっていだきたいと思います。

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