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日蓮大聖人・池田大作

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沼津支部結成大会 此経難事

1960.11.7 「会長講演集」第1巻

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1  大聖人様のおことばに『此経難事』ということばがあります。この経は、持ちがたし、この経とは、大御本尊様です。大御本尊様は、一生涯持ちきっていくことは、難いのであります。そのいましめです。大御本尊様を一生涯疑わないで、題目を唱えきっていける人が、大信者です。
 すなわち、過去においても、牧口先生、戸田先生、時の政府、軍部に弾圧を受けて、その当時、三千人の学会員とうけたまわっておりますが、ちりちりばらばらになり、ほとんどの人が退転をしたそうでありますが、大聖人様のおことばどおりに『此経難事』であると、つくづく考えます。御金言どおりであるなとつくづく思いました。
 その当時、退転した人が、御本尊様を捨てた人が、今になって不幸のどん底の姿で、なんとか、もういっぺん信心させてくれませんか、許してくれませんかという声を、何人も、何人も聞きにまいります。また、戸田先生が学会を再建なされて、昭和二十五、六年のときに、やはり先生にとって、大きな三障四魔がありました。そのときもずいぶん大勢の人たちが疑い、御本尊様から離れていきました。学会を離れていきました。だが、昭和二十五、六年に離れた人々が、今になって、どうかかんべんしてください。なんとかもう一回、学会に入れてくれませんかと、大勢の人が見えております。
 これ以後、あるときは新聞にたたかれ、あるときは雑誌にたたかれ、あるときは讒言され、何回となく創価学会に対する嵐がありました。そのたびに何人かずつ離れております。そういう人が、学会の現勢力、この団結の正しい姿をみて、ごめんなさい、もういちど入れてください。御本尊様を下付してくださいときております。
 また最近では、昨年のその前の選挙のときに、柏原先生、原島先生、小平先生が参議院の戦いに落選いたしました。その落選をみて、そんなりっぱな信仰ならば、そんなバカなことはないでしょうと、うんとけなして学会を去った人がやはり大勢います。
 その人が、二年か三年過ぎたならば、原島先生も、柏原先生も最高点で、小平先生も堂々たる成績でみんな当選してしまったならば、申しわけありません、なんとか、もう一回信心させてくれませんか。こういうふうにいって、また、退転した人があやまってきております。
 人の心は恐ろしいものです。たしかに大御本尊様をどんなことがあっても、持ちきっていくということは、むずかしいものです。そういう難にあったなかにおいても、御本尊様を信じ、周囲の人から、あらぬる悪口、罵詈されても大御本尊様をだきしめてきた人は、みんな幸福になっております。みんなしあわせな大功徳を受けております。
 途中でふらふらしていた人は、みんな苦しい思いで、そして人生の敗北者みたいな、顔面蒼白で見るかげもない。生きている、そのたった十年か十五年の姿で、それほどの大きい差があるということをまざまざと見ております。が、仏法は勝負です。願わくは、皆さん方は、どんなことがあっても、御本尊様は即日蓮大聖人様です。仏様はウソをつくわけが絶対にありません。私たちの話や指導には、凡愚の身でありますから、問題はあるかもしれません。大聖人様の大仏法を理解できない、まだまだ未熟でありますが、御本尊様は絶対であるということは、日蓮大聖人様御自身から、おおせになっていらっしゃるのですから、どういうことがあっても、御本尊様は日蓮大聖人様である、絶対に御本尊様に南無妙法蓮華経と唱えきっていけば、仏になれるのだと、前進しきっていただきたいと私は思う。
2  また、きのうも青年部の年中行事である大会がございましたが、男子青年部員だけが六万六千人も三ツ沢グランドに集合しております。信心していない来賓の人たちが、あまりに見事な団結、統一、そして躍進の姿を見て、言うべきことばを知らなかったと聞いておりますが、全学会員も百六十万世帯を突破いたしました。
 これほどの広宣流布の機熟し、大折伏を敢行しているならば、三障四魔、三類の強敵が出ないわけがありません。御金言に照らして、折伏を受けて、学会の発展を、やきもちを焼いて、憎らしく思って、策動する人もいるでしょう。また、あまりにも学会の発展が目ざましいので、なんとか今時分、いまごろにおさえておかなければたいへんだと思う悪鬼魔人の政治家もいるかもしれません。または、獅子身中の虫が出て、あらぬる策動をし、陰謀をして、学会をこわそうとすることも当然です。大聖人様の御在世もそうでありました。
 広宣流布の機熟した今日も、同じ姿でなくてはならないわけです。したがって、そういうような策動や陰謀から、どういうふうなことがあったとしても、今、皆さん方に申し上げたとおり、法華経は冬の信心、冬は必ず春となるとの御金言を信じて、しっかり団結して、人間革命をしきって、こんなにも私たちはしあわせなのだと言いきっていける毅然たる信心をしていっていただきたいと思うのでございます。
 大聖人様は『難があるということをば、必ず三障四魔はあるのだよと朝夕教えてきましたけれども、つたなきもののならいで、真の時には忘れるなるべし、人は大事な時になると忘れてしまう。疑ってしまう。信心をやめてしまう。だから、仏になれない。宿命転換ができない。人間革命ができない』とおおせでございます。
 真の時こそ、個人においても、一家においても、学会全体においても、日蓮正宗全体においても、真の時こそ、なにか大事なことがあった時こそ、大きな福運をいただける、宿命転換できる喜ばしい時だと信じて、信心を貫ききっていただきたいのであります。それだけが信心の究極なのです。あとはないのです。これだけをひとつ、よく胸に刻んで、仏法は勝負ですから、一生涯という長い間、十年、二十年、三十年という長い間で、学会を誹謗し、学会を利用して批判する人間、また謗法の人々と、長い目で勝負をしきろうという決心で進んでいただきたいと思います。

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