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日蓮大聖人・池田大作

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関東第五総支部結成大会 宿命打開の原理

1960.9.20 「会長講演集」第1巻

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1  世の中の人々は、やれ日蓮正宗創価学会は、非科学的であるとか、盲信的であるとか、宗教などということは、弱い人間がやることであるとか、さまざまな批判を、過去においてもしてまいりました。現在もしている人が多いと思います。未来もそういう人がでてくることも必然でありましょう。
 非科学的であるといっても、自然科学というものと、生命哲学というものを、批判をしておる当人が知っているかどうか。仏法を批判するといっても、それでは、一念三千という絶対の宇宙観、生命観、生命哲学ということを知って批判するのか、因果倶時という、絶対の生命哲学を知って論ずるのか、まこは三大秘法とか、妙法蓮華経という大宇宙の法則を知って、私どもを批判するのか。何も知らずして、人々は批判しているのです。
 では批判する人は、他に絶対に幸福にさせきっていける原理をもっているかいないか。もっているわけはありません。新聞に書かれた、雑誌に書かれた、人々が批判した、では雑誌が、新聞が、われわれを幸福にしてくれる原理を教えてくれるか、批判をした人々が、それでは他に、しあわせにしてくれるのか。そう考えた場合に、口で批判することはやさしい、口で批評することは、だれでもできますが、幸福にしきれるという、その慈悲と信念と原理は、だれびとももってはいないのです。したがって、私は、はっきり申し上げたい。日蓮大聖人様以外に即御本尊様以外に幸福にさせてくださる道はないということを絶叫するのです。
2  御書を拝読しまして、有名なお弟子さんのひとりに、南条時光という方がおります。南条家は、今の富士の大石寺の諸堂、土地を御供養申し上げた大信者であります。日興上人様に師事して折伏行に勇敢に励んだ方です。また、有名な熱原の法難のときに、大聖人様の命を受け、日興上人様が指揮をとって、未曾有の大法難を、戦いきっておられる、その陰において、南条時光が二十一歳の時から、その法難に、真っ向から奮戦しております。幕府からは、さんざんにおどかされ、圧迫をうけながらも、二十一歳の青年である南条時光は、不自惜身命の闘争、死身弘法の闘争をしてこられました。
 熱原の法難は約七年間にわたり、前からいろいろな事件があったのです。それで、最後の熱原の法難としての、歴史に残っている姿になっておりますが、この七年間のあいだ、南条時光は、そのような奮戦をしてきたゆえに、疲労困憊し、二十七歳の時には、もう死にかかったような命になったのです。
 南条一家も非常に不幸な一家でありましたので、やはり宿命があったとも考えられますが、そのときに、大聖人様から有名な『法華証明抄』という御書を賜わり、大聖人様はきちっと南条時光の宿命転換の御祈念をしてくださって、同時に南条時光に対しては『今こそ御本尊様に強盛に宿命転換の祈念をしなさい。この鬼人めらよ、絶対に御本尊様を拝んでおってなにをするかとの強い強い祈願をしなさい』との、お手紙をちょうだいしております。
 南条時光は大聖人様のおおせどおりに、大御本尊様に、真剣に、強盛に、祈念されました。それより運命は、ぜんぶ転換されて、南条時光のなくなられたのは、七十四歳とうけたまわっております。したがって、五十年にわたる寿命をのばされておるという歴史的にはっきりした証拠があります。
 皆さん方も、おのおのの立場において宿命と戦っていると思います。私も同じです。御本尊様は、これだけ真剣に、これだけまじめに、広宣流布に、折伏に行じている私どもを見捨てるわけはありません。強盛なる信心をしきって、宿命を打開しきる信・行・学に励んでいきたいと思うのでございます。
3  御本尊様を持っても、批判をしている人は、顔色が悪いです。功徳をうけておりません。必ずといっていいぐらいに、批判をし、疑う人は、まじめに実践しきっていないということを断言できるわけなのです。
 大聖人様の仏法を批判するほど、われわれは頭がいいわけはありません。私どもは、難があればあるほど、三障四魔があればあるほど、大聖人様のおおせの『難来るを以て安楽と意得可きなり』難がきたならば喜びなさい、そのときこそ、宿命の転換ができるのだ、その嵐を通り越せば永遠にわたる福運をつかんでいけるのだ、そのときが信心のしどころであるという、その御金言どおり、強い信心をしきっていこうではありませんか。
 また、大聖人様は『法華折伏・破権門理』法華経は折伏行であると、御一生涯、折伏行の姿を身をもって示してくださいました。末法の修行は折伏です。人を救うことです。日興上人様も一生涯、折伏の指揮をとりきってこられております。第三祖、日目上人様も国家諫暁の途上においてなくなっておられる。そして、日有上人様は、本宗は折伏の宗なりと断言していらっしゃる。また、日寛上人様は、御本尊様を受けても折伏を行じないものは外道のやからであるとまで、きびしくいましめておられます。その代々の御法主上人猊下様の御金言どおりに実践しきってきているのが、創価学会なのでございます。
 この、創価学会員のわれわれを、大聖人様がお守りくださらないわけもありませんし、私どもに対しては、絶対に諸天善神の加護があると信じきって、悠々と生きていこうではありませんか。
 また折伏、折伏と申し上げますが、折伏することは当然でございますが、三百万世帯が一つの広宣流布の大きい一丈の堀と私も考えておりますが、今月いっぱいで、だいたい百六十万世帯の同志になることは間違いございません。
 したがって、百六十万世帯の人が、人数にすれば、四百万人、五百万人にもなる計算になりますが、一世帯を単位として、思うまま、四年間のあいだに一世帯だけ折伏すれば、また折伏するように指導すれば、三百二十万世帯になるわけなのです。
4  それから、今、理事長からもお話がございましたが、今月の末には、百一支部になります。それで、平均して一支部が三百五十世帯か、四百世帯やっていけば、月に三万五千か四万世帯やっていけば、また、悠々と四年間において、三百万世帯になるのです。三百万世帯になってしまうのです。ひとつもあせる必要はありませんし、冷静にそれから余裕をもって、大きい包容力をおもちになって、折伏行に励んでいただきたいと思うのです。
 もしも、第五総支部の方が、あまりできないようであるならば、一年か二年、折伏をおやすみになっても結構なのです。ほかのほうでちゃんといたしますし、同志愛をもって......。それから、日本のほうであまりできなくなれば、アメリカもたくさんおりますし、インドのほうもたくさんおりますし、中共のほうもたくさんおりますから、そちらのほうに私どもは行って折伏しますから、日本の皆さん方は、安心して結構だと思うのです。
 最後に、末法無戒と申しますが、ただ一つ、金剛宝器戒という戒律がある。金剛とは金剛石の金剛です。御本尊様をいっぺんでも拝めば、また御本尊様の話を聞けば、一生涯、御本尊様とは離れることができない。自分では逃げたつもりでいるけれども、逃げられないのです。
 ですから、下種をすることも大事であるし、また御本尊様を持たせておけば、その人が魔に負けたり、退転するようなことがあったとしても、そのまま逃げるわけには、もういかないのです。今世において、また御本尊様のところへ戻ってくる、来世において戻ってくる、仏法は三世にわたりますから。御本尊様に題目をあげたならば、一生涯、永遠に、もう離れることができないという、その戒律が金剛宝器戒というのです。
 ですから、皆さん方も、御本尊様にがっちりつききって、おすがりしきって、今世に一生涯信心しきって、仏の命を湧現して、これほどまで人生というものは楽しいのかという生活を味わいきって死んでいこうではありませんか。

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