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日蓮大聖人・池田大作

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浜松支部幹部会 永遠の幸福

1960.8.4 「会長講演集」第1巻

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1  いままで理事の先生方からお話があって、ぜんぶ言いつくされておりますし、くどいようでありますが、南無妙法蓮華経、三大秘法の御本尊様は、久遠元初いらい、尽未来際にわたるまで、一切衆生が幸福になり、成仏をすべき根本法則なのです。これ以外には、絶対の幸福をつかむ方法はないのです。
 日蓮大聖人様は、開目抄のなかに『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』とおおせです。また、観心本尊抄のなかには『受持即観心』御本尊様を受持しきっていく、持ちきっていくことが信心である、観心であるとおおせなのです。
 新聞に、なにか学会のことを書かれた、雑誌に学会の誹謗記事が出た、近所の人から悪口を言われた、そんなことで御本尊様をすてたり、疑うようなことがあっては、仏にはなれません。成仏はできません。一家和楽の家庭の建設はできないのです。
 総理大臣でも、永遠の幸福を与える道は知りません。偉大なる科学者でも、学者でも、根本的に救っていく方程式は知らないのです。ただ一つ、日蓮正宗の大御本尊様を、一生涯信心しきっていく、これだけが一生成仏のただ一つの道であると絶叫していくとともに、自分自身がそれを実践しきっていくのが創価学会員であると、私は訴えるしだいです。
 したがって、どんなことがあっても、皆さん方は、自分自身の安心立命のためにも、日本民族の幸福のためにも、子孫末代の福運をつかむためにも、御本尊様を一生涯、絶対に放さないという決心をもっていただきたいと思うのです。
 かつて私が恩師戸田城聖先生のお供をして、仙台方面に指導に行ったときに、車中で御書を先生から教わりました。そのときに、本因妙抄のなかに、始成正覚ということば、久遠実成ということばが出たのです。
 そのことについて先生が教えてくださったのですが、始成とは、迹門のことなのです。その思想は今世論です。なんでも今世限りである。夫婦になるのも今世、信心したのも今世だけ、人間として生まれて死んでいくのも今世だけ、親子兄弟の縁も今世だけ、すべて今世として考えていくことを始成というのです。それが、日本においても、個人においても、世界においても、不幸を嘆いていく思想なのです。
 久遠実成とは、久遠とは永遠論です。夫婦になったのも過去の縁、それが現在にわたり、また未来にも通ずる、信心をしたのも、偶然にしたのではない、過去において法華経を信ずるがゆえに、今世に御本尊様を受持できた、未来もまた同じなのです。
 浜松も、このように、いっしょに信心できたのも、過去においても同じ同志であったし、今世も同じであるし、未来もまた同じともいえるのです。
2  全世界だって、永遠に人類が続いていくのだと考えるならば、戦争などということなんか考えられません、バカバカしくて。もっともっと仲良く、励まし合い、激励し合い、助け合って、平和な幸福な生活をしようではないか、こうなるに決まっているのです。その思想がないのです。
 私どもの生命は永遠なのです。この永遠の生命のなかに、大事なのは今世なのです。今世に信心を真剣にやらなければ、来世は、また信心をしなくてはならないのです。へたをすれば、地獄へ落ちてしまえば、何千億万年の間は、人間として生まれてこられないのです。
 ちょうど、私どもは、一晩疲れて寝て、あくる日、元気いっぱいに起きていくと同じように、死んですぐ生まれてくるのです。永遠に続くのです。そのことが、この十年か二十年か三十年の仏道修行をおろそかにして、尽未来際の長い永遠の生命を不幸にしきってしまうか、十年か二十年か三十年の仏道修行をしきって、永遠の幸福をつかむか、どっちが得かという問題なのです。
 その永遠の幸福をつかむために『現世安穏後生善処』と申して、現世に物心ともの絶対の証拠があるとおおせなのです。
 したがって、どんな三障四魔があっても、どんな三類の強敵があらわれても、人間革命をしきる勇気ある信心をしきって、そして、現世安穏の証拠をつかみきり、永遠の幸福をつかみきっていこうではありませんか。
 願わくは、新支部長のもとに、いっさいの行動は、ぜんぶが自分自身の功徳となる、善根となる、福運となるという一念をもった仏道修行をしていただきたいことを、切に念願申し上げまして、私の話といたします。

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