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第2回婦人部大会 信心は魔との闘争

1960.7.22 「会長講演集」第1巻

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1  さきほども、お話がありましたが、中山マサさんという方が大臣になった。ひとつの明るい、日本の、また女性のなかの話題になっております。どういうことであるか、よく存じませんが、私はその人の何倍も、何百倍も、何千倍も力があり、かつ庶民の味方となって戦っておるのは柏原先生だと思うのです。
 したがって、柏原先生は、べつに学会は政治団体ではありませんから、まずいかもしれませんが、まかり間違って柏原先生が大臣になる場合には、厚生大臣ではなくして、総理大臣でいいと思うのですね。
 きのうの新聞を見まして、セイロン島においては、世界で初めての女性の総理大臣ができるであろうという見出しがありましたが、そういう時代にはいってきています。いったい、男は何をしているのだろう。まあ、学会も女の人が会長になったほうがいいかもしれない。
 柏原先生が総理大臣になれば、隣にいる小泉副婦人部長は衆議院の議長にどうかと思うのですね。『広宣流布は婦人の手で』と恩師は言ったのですから。その隣にいる太った北条本部常任委員は、参議院議長にどうですか。もうなったつもりでいますよ、きっと。隣のやせた白木本部常任委員は、そうですね、婦人部の会計をやっておりますから、大蔵大臣に。隣の井上本部常任委員さんは、今、事実、市会議員さんですから、まあ思い切ってマケて、厚生大臣ぐらいに。隣の田中さんは文京区の出身ですから、文部大臣にどうですか。その隣の、さきほど研究発表をなされた石田さん、婦人部のなかの学者である立場ですし、陰の力になりますから、官房長官に。その隣の太った人、労働大臣にどうですか。本郷の笹木本部婦人部顧問です。その隣の、やはり藤田顧問さん、そうですね、そうとう太っているし、こわい顔をしているから法務大臣に。
 というふうに、婦人部で内閣をつくったほうがいいのではないかと提案するのですが、よろしく。あと、うしろのほうにいるのは閣僚ですよ。ですから、このまま国会議事堂へ移って、皆さん方は衆議院議員と参議院議員になってしまった。まあ向こうへ行くのは暑くてしようがないから、池田総理をはじめ、ぜんぶの大臣と議員さん方にここへきてもらいましょうか、反対に。その先駆者として、原島議員や、辻議員がきているのですから。よろしくひとつ。
 まあ、冗談はともかくとして、いずれにしても、学会の世界の会合にきたならば、組座談会をはじめ、地区幹部会であっても、本部の幹部会であっても、支部の幹部会であっても、いっさいの苦しみを払って、楽しくて楽しくてたまらないという会合こそが、和合僧の学会本来の会合であると私は信ずるのです。また、こういう会合をつくっていかねばならないと思います。仏道修行の法を求めきっていく峻厳のひとすじは忘れないで、あとは楽しい、そのようにしたいと思います。
2  私は、かつて、戸田城聖先生がいろいろ指導をしてくださっておったときに、からだのほうも非常に疲れ、仕事のほうもうまくいかないで、グチみたいなようなことを申し上げたときに、先生が『信心は行き詰まりとの闘争だよ。魔と仏との闘争が信心だ。それが仏法は勝負ということだ』との力強い指導を仰いだことがございますが、人生は必ず、だれびとたりとも行き詰まりがあるというのです。学生は学生として勉強するのがイヤになる。事業家は事業家として仕事のほうが思うようにいかなくなる。夫婦のなかでも倦怠期などという、やっぱりおもしろくないリズムがある。国も思想が低いと行き詰まって、現在の日本のような悩みきって、すさんだ国になってしまう。国でも行き詰まりがある。経済でも行き詰まりがあるし、政治でも行き詰まりがあるわけなのです。いっさいのものに行き詰まりがある。
 今、私どもは信心をしておる立場からいって、折伏にも行き詰まる場合もあるかもしれません。教学にも行き詰まりがあるかもしれません。信心それ自体に行き詰まりをもつ場合もあるのです。しかし、大御本尊様は広大無辺です。宇宙大です。三世にわたって永遠の力を持っていらっしゃいます。行き詰まりはないのです。信ずるわれわれの一念に、行き詰まりがあるかないかということが問題なのです。
 広くいえば、経済も、政治も、科学も、一国も、その根本にある思想、哲学が、どういう深いものであるか、偉大なものであるかによって決まるのです。ですから、行き詰まりとの闘争、いかなる私どもの生活のうえに立っても、行き詰まったならば、その弱い、その行き詰まった自分の心を乗り越えて、弱い自分にムチ打ち大信力を出して題目をあげ、折伏行に進んでいくことが『発迹顕本』であると、会長先生はおおせになっておったのでございます。
 したがって、煩悩魔という行き詰まりの闘争、病魔という行き詰まりの闘争、死魔という行き詰まりの闘争、ここに題目をあげ、強い信心によって戦って、永遠の幸福をつかむ、絶対の幸福境涯をつかむ、宿命の転換をはかる、これだけが仏法のいちばん要諦ではないかと思うのです。
3  どうかひとつ、それぞれの立場、おのおのの境遇にあって、行き詰まりが今ある人もおるかもしれませんし、これからも必ずあると思いますが、信心の目的は永遠の生命のうえに立って、絶対の幸福境涯に生きていく、安心立命の幸福の生活をしきっていくということでありますから、行き詰まりがあったならば題目を唱える、行き詰まりがあったならば魔との闘争だ、今こそが、信心のしどころであるとの強い信・行に立って、幸福境涯を、幸福生活を築いていただきたいと思うのでございます。
 なにとぞ、これから生きていくといううえにおいても、一寸先はヤミであります。どういう事態、いつ夫が死ぬかもしれない、子供の不幸、一寸先がヤミです。また、アッというまにおばあさんになってしまい、おじいさんになってしまって、なんのために、いったい信心をしておったのだろう、なんのために人生を生きておったのだろう、死ぬ寸前になって後悔してもはじまりません。
 また、いつどのような宿命にあって、私どもは病苦に苦しむかもしれませんし、車にひかれたり、人に殺されたり、惨事があるかもしれません。やはり、自分自身の宿命というものはわかりません。また、いっぺんは必ず死ぬという、一家においても一族にあっても、全員別れねばならない、自分も死んでいかねばならないという絶対的な条件もかまえております。まじめに人生を考えた場合に、なんで宗教を求めずにおられましょうか。その最高の宗教を私どもは知ったのです。だれよりも幸福であり、だれよりも楽しく、安心しきった人生航路を築いていこうではありませんか。
 そうして、婦人部の皆さん方は、さきほども、やはりお話がありましたが、より以上明るく清らかに、そして美しく若々しく、一生涯、学会全体のなかにあって、また日本国全体のなかにあっても、全世界の人々からみられても、颯爽として、さすがは学会の婦人部の人々であると感嘆されるような人になっていただきたい。また、皆さん方も、これから世界一周をして、それから死んでいこう、世界一周の銀婚式をしていこう、銀婚旅行や金婚旅行をしようというぐらい、若々しさをもって進んでいっていただかなければならないのではないかと思うのです。これだけ申し上げまして私の話とさせていただきます。

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