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日蓮大聖人・池田大作

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本郷合同幹部会 題目で仏の生命湧現

1960.6.16 「会長講演集」第1巻

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1  最初にお願いしておきたいことは、本郷支部も、それから池袋支部も、より以上団結を固めて、ひとりの退転者もいないように、幹部の皆さん方の信心指導の徹底をお願いするものでございます。
 創価学会の言うことを聞けとは、私どもは言っていないのです。今、私どもは、あらゆる人人に、この御本尊様以外にないということを教えております。私も、私の言うことを聞けといっても、私みたいな青二才で、貧相で、貧乏で、チビの言うことを、総理大臣や、時の指導者たちや、科学者や、教育者が、聞くわけがないのです。私もそれは自認しております。
 今、創価学会が、私どもが、叫ばんとすることは、三世を通観していらっしゃる仏さま、全世界を救い、一切衆生を、御慈悲をもってお救いくださる末法の救世主、宇宙大のお力をおもちの、御本仏日蓮大聖人様、南無妙法蓮華経という、大宇宙の根本法則をお知りあそばされている、日蓮大聖人様の言うことを聞けば、絶対に、わが身も、国も、民族も、全世界も、しあわせになるということを叫んでいるのです。
 いくらりっぱそうな顔をしても、いくらりっぱそうなことを言っても、いくらじょうずな工作をしても、あすの命もわからないわれわれです、指導者です。それでも、こうすれば、必ずよくなるということがあるのですから、偉い人は、われわれに頭を下げることはかっこうが悪いでしょうが、皆さん方に頭を下げることはかっこうが悪いでしょうが、また、しかし、世界の大聖哲、末法の救世主、日蓮大聖人様に、ひれふして、御指導をあおぐことは、また指導を受けていくということは、教えを受けていくということは、もっともりっぱな指導者であり、尊い姿であると私は信じます。
 ですから、私どもは、より以上、勇んで『大悪をこれば大善きたる』混沌とした、この日本の現状でありますが、地涌の菩薩の姿は、泥沼の中から蓮の花がきれいに咲くごとく、勇敢に折伏戦に励んでいこうではありませんか。
2  人の心は、非常に、刻々と変わるものであります。心というものは妙である。瞬間瞬間に変化していく。きょう仲の良かった友だちも、あすになって『すまないけれども五万円貸してくれないか』と頼んで、貸してくれないと『なんだ、あんなやつ』というふうに心は変わるものです。あすの朝は絶対に早く起きようというふうに堅い決意をしているこの一念も、朝になると目ざまし時計が音楽に聞こえて『まあ、いいだろう』というふうに、よけいに寝てしまう。
 『きょうは焼き鳥なんか食いに行かないぞ、絶対行かない、行かない、行かない』それがチョウチンをみると『ええ、行ってしまえ』となってしまう。朝は非常にかわいい坊やが、今度は、午後になって、おこづかいをとりにくると、鬼みたいになっておこったり、昼間、非常に仲の良い御夫婦が、夜になると、えらく大東亜戦争みたいに、ケンカしたり、そういうふうに刻々と変わるのが人の心です。
 人の心というものは信用できません。考えてみると、恐ろしいものです。私もそう思う場合があります。と同じく、大御本尊様に対したてまつっても『なんだ、こんなに一生懸命やっても功徳がない。ただの紙ではないのか』というふうに、どうしても心が動いていく。私たちのこの肉体は物体です。しかし物体だけでは生命活動がありません。精神があります。心があります。その心と物体が一如になって、生命活動があるわけです。
 御本尊様の掛け軸は紙です。南無妙法蓮華経、十界三千の御文字は、これは物体ではありません。『日蓮がたましひすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ』日蓮が魂とは、日蓮が生命ということばです。そのお心です。その大聖人様のお心と、その物体とが一如になって、仏の生命活動があるわけです。
 その大御本尊様に私どもは題目を唱えれば、私自身の肉団の中に、仏の生命の活動もあるし、この肉団の胸中に、もったいなくも大御本尊様と等しい本尊があるのです。題目を唱えることによって輝くし、仏界の活動が湧現して、いずれの時代でも、いずれの境遇でも、いずれの生活でも楽しく、たくましく人生が生ききっていかれる。それが信仰の原理です。
 ですから、どういう心が動いても、どういう境遇にあっても、ただ南無妙法蓮華経を大御本尊様に唱えるという、心だけは動かない信心でありたいと思うのです。
3  創価学会のことを認識していない人々は『右翼である』ある人は『左翼である』このように論じております。ある人は『逆コースである』『復古調である』と言います。しかし、ぜんぶ、それは間違いです。またある人々は『自民党のほうではないか』ある人は『地区などがあるのだから、きっと共産党のほうではないか』『そうとう貧乏人ばかりの大衆の集まりだから、社会党のほうではないか』『部隊などということがあるから軍隊ではないか』というふうに、さまざまに見ております。しかし、ぜんぶ誤りです。
 ここでもう一つ申し上げておきたいことは、自民党といえば、これは政治の世界です。社会党といえば、社会制度を確立していく、やはり政党の姿です。共産主義といえば、経済の哲学です。今、日蓮正宗創価学会は、あらゆる思想の根本の大生命哲学を、根底においているわけです。いっさいの現象の根本は生命です。科学でも芸術でも政治でも、その生命の解決をするのが仏法であり、日蓮正宗の、創価学会の実践です。それを教えるのがわれわれの使命です。批判は、ぜんぜん的はずれなのです。だから私どもの行く道は、いまだかつてない、中道法相の大道です。全民衆も、全人類も、将来なるほどなと思う、ほんとうの世界平和のためにも人類の幸福のためにも、歩んでいくべき、ただ一つの道です。それが創価学会の進んでいく中道法相の大道でなくてはならないと、私は思うのでございます。
 ですから、右と言われようが、左と言われようが、復古調と言われようが、そんなことにとらわれる必要はありません。いまだかつてない道をつくって歩んでいるのですから、だれにもわかるわけはないのです。
4  信心は即生活である。必ず生活のうえに証拠が出なくてはならない。大御本尊様をいただいているわれわれは、もう御本尊様をしっかり受持しきって、幸福生活を営んでいくべき責任があるわけなのです。
 少し難があった、新聞に書かれた、やめてしまおうかなといっても、大御本尊様は宇宙大ですから。御本尊様は小さく見えますけれども、御本尊様に題目をあげたということは、もう永遠に離れられないのです。それで退転して逃げたとしても、ぜんぶ御本尊様の外へは逃げられないのです。宇宙の外へは逃げられないのです。火星に逃げても、火星は、御本尊様におしたための大明星天王の眷属です。金星に逃げても海王星に逃げても、それから天の川に逃げても、もう逃げられないのです。御本尊様は宇宙全体ですから。
 だから、おたがいにあきらめましょうよ、ひとつ。それで『よし、もう御本尊様に題目を唱えきる』と決めたときに、絶対に大御本尊様のお守りが、諸天善神、三世十方の仏菩薩の守りがあって、生活のうえに厳然たる証拠がでると私は訴えます。
 それで学会人の、また信心している人の生活は、商売は、第三者の方々が見ても『うらやましい』『たいしたものだ』と言われなくてはならないと思います。中華料理屋は中華料理屋として、日本一の中華料理店に、クズ屋はクズ屋で日本一のクズ屋さんに、工員は工員で日本一の工員に、また学生は学生で日本一の学生に、医者は医者で日本一の医者にと、自分自身が自負できるような信心であり、生活でなければなりません。その大きい確信がなくては、大衆は指導できないと私は思うのでございます。
 ただ私は、大御本尊様を絶対と信じております。皆さん方も同じように絶対と信じて『信心は自分が日本一だ』というふうに、学会員は言えなければなりません。また私は、戸田先生を絶対と信じ、先生を好きなのは、日本一だと言いきっていきたいと思いますし、また日本一の青年であり、日本一の青年会長でいくと、全世界に誇りをもてる自分であると確信するしだいなのでございます。
 ですから、私もそういうふうに言いきっていきますから、それぞれ皆さん方も、それぞれの分野で、日本一と言いきれる信心即生活になっていただきたいことを切望しまして私の話とさせていただきます。

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