Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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中国総支部幹部会 学会組織は御本尊中心

1960.6.12 「会長講演集」第1巻

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1  皆さん方は三代の会長ができて、非常に喜んでくださっておって、むしろ、私は恐縮なのです。私は、苦しいというか、悲しいというか、寂しいというか、その理由はなぜか。第三代の会長はできた。池田先生がくるといって会って見たら、なんだ、あんな貧相な若造かと、こういうふうに思わせることは私にとっては苦しいのです。どういう宿命でこうなったのか、どうしようもない。私にとっての宿命的立場なのです。ならざるをえない自分を知っておったわけです。だが、皆さん方のために立った以上、一生懸命に、指一本ささせないように、がんばりますから、どうかひとつ御協力ください。
 皆さん方から尊敬されたり、拍手をされて、私は赤面のいたりなのです。どうかひとつ、私のことを偉いと思って、あと失望したり、神聖化したり、またはシンボルみたいに思ったり、そういう考え方はぜんぶ一掃していただいて、私は学会人らしく、国士らしく、日蓮正宗の信者らしく、皆さんとともに、戦っていくりっぱな同志らしく、進んでいきますから、よろしくお願いいたします。
2  科学といっても、芸術といっても、教育といっても、政治といっても、経済といっても、その根本は何か。そういう現象をもととして考えた場合に、なぜこういうことが発生するか。ぜんぶその根本は人間です。人生が根本です。生命なくして、経済も、教育も、科学も、政治もありません。いっさいが人生、社会の幸福を追求するための各分野です。根本はぜんぶ人間です。生命です。その生命とは何かという根本解決の道が、宗教ではありませんか。生命は一つです。同じように、宗教も一つです。五千も八千も、一万も八万も宗教があったならば、みんな悩んでしまうし、迷ってしまいます。宇宙に太陽が一つのごとく、また一国に国王がひとりのごとく、正しい宗教というものは、いずれの時代でも一つであることが、私は正しいと思うのでございます。
 したがって、根本的解決の道、それは宗教であり、その宗教は、末法においては日蓮正宗以外にありません。ですから、私ども、あくまでも、経済を否定することもありません。科学を否定することも絶対ありません。
 自民党であろうが、共産党であろうが、ぜんぶそれは、それぞれの道で戦っている問題であって、われわれが相対的に考える必要がないのです。われわれは、いっさいの根本を教えているわけです。
 したがって、経済も、科学も、教育も、政治も『法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し』――あくまでも日蓮正宗の仏法を持っていくならば、大宗教を根本に持っていくならば、どういう世界の人でも、どういう分野の人でも、必ず正しい人生観と、正しい国家観、世界観、宇宙観ができて、おのおのの分野において最高の力が出る。その力を与えることが、私は折伏ではないかと思うのです。
3  したがって、学会以外に民衆を愛し、国を愛し、民族を愛し、平和を愛する団体はないわけなのです。八万法蔵といえども、せんじつめれば、ぜんぶ法華経二十八品に帰着する。法華経二十八品が帰着してしまえば三大秘法になる。三大秘法を要約すれば南無妙法蓮華経の一大秘法の大御本尊様になってしまうのです。
 また大御本尊様を開いて三大秘法になり、六大秘法になり、そして法華経二十八品になり、八万法蔵に開かれるのです。ひとりひとりの生命の解決、ひとりひとりの宿命の転換、その宗教は三大秘法の南無妙法蓮華経以外はないということだけは絶対信じようではありませんか。
 どんなにうまいことを言っても、どんなにりっぱなことをいっても、どんなに偉そうな人が本を買いてもダメです。仏法はあくまでも、釈迦がどう言ったか、また天台大師がどう言ったか、伝教大師がどう言ったか、また末法の御本仏日蓮大聖人様がどうおおせになったか、それが問題です。ほかの論師、人師の話などというものは信じられません。信じてはいけないのです。『法によって人によらざれ』――釈迦の言うことの根本は、天台大師・伝教大師のおおせになった根本は、今、私どもが拝んでおる大御本尊様以外にないのでございます。
 私どもは、その大御本尊様を根本として、不幸の人々に大御本尊様の功徳を知らせていく義務があり、それが使命でございます。
4  それで学会には組織がございますが、ぜんぶ根本は大御本尊様です。そこからぜんぶ出た組織であると私は思います。組織のための組織ではございません。その意味において、伝達とか指導系統、または指示系統は婦人部とか、支部とか、文化部とか、男子部とか、女子部とか、そういうふうに分かれてはおりますが、ぜんぶ帰趨するところ、ぜんぶ御本尊様です。
 それで、伝達面においては、当然そういうふうに、各部に分かれますが、座談会とか、幹部会とかの会合に際しては、一家の家族のようになって、大御本尊様を中心にして戦っていかねばならないと思うのです。
 『私は女子部だ』『私は男子部だ』『私は壮年部だ』『私は婦人部』というふうに、組織があるために、それだけにとらわれて、実際の闘争のときに、きちっと団結ができなくなってしまうようなことがあったならば、恐ろしいと思うのです。
 ですから御本尊様を中心にして、いっぺん闘争にはいったならば、ぜんぶ、老いも若きも、男も女も、部を超越して、兄弟家族のようになって励まし合い激励し合って、邪宗を折伏していきたいと思うのです。
 また、今、学会は非常に勝ちいくさをしております。政界を見ても、各党派を見ても、労働組合を見ても、みんなけんかばかりです。人のことなどは考えておりません。それほど恐ろしい五濁爛漫の相を呈しきっています。こんなに楽しい会のもてる学会はしあわせであると思うのです。より以上しあわせな会を、そしてまた、このしあわせな会のなかに不幸の人々を入れていかねばならないと思います。
5  今、私は、非常に順調に発展している学会に対し、将来に対し、私自身も反省しますし、皆さま方も自覚をしていただきたいことがあるのです。
 それは『おごる平家久しからず』、邪宗教に向かっては、それから、人々を救う闘争に向かっては、師子王のごとく勇ましく、なにものも恐れないで戦わねばなりませんが、あくまでも社会にあり、職場にあり、家庭にあり、人々と接する場合には礼儀をもち、学会人だからというふうに、おごりたかぶって、人々を睥睨していくようなことがあってはあいならないと思う。そういう意味において、あくまでも、社会の人々からも、信心のことは『これは確かだ』『すごい』『確信もすごい』と言われる。だがそのほかのことも、ぜんぶ尊敬されるようなふるまいをしていかなければならないと私は思うのです。
 山田総支部長さんについては、学会の先生方からもお話がありましたが、大幹部に信頼されきっている総支部長でございます。総支部長さんを中心に、一番最後にできた総支部なのです、他の総支部に負けないように、それこそ仲良く、そして楽しく、たくましく、がんばっていただきたいと思います。
 また、学会には私以上に力をもち、経験をおもちの原島先生をはじめ、たくさんの理事ならびに大幹部の先生方がいらっしゃいますから、たびたび、また中国の地にも指導にきていただくようにします。安心しきって、皆さん方の幸福のために、人間革命のために、宿命転換のために、一生涯、絶対に退転しないという心をもって、指導を受けていっていただきたいと思います。以上をもって終わりとします。

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