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蒲田合同幹部会 堂々たる人生

1960.5.31 「会長講演集」第1巻

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1  最初に、今の国際情勢、国内情勢、さきほどからお話もありましたように、三災七難等から鑑みて、絶対に日本の柱は、創価学会以外に、その創価学会の代表は私以外に、日本の国を救う道はないということだけは断言いたします。
 それは、なにも私が偉いのではなくして、大御本尊様の威力です。戸田先生の御確信です。大幹部の団結です。皆さま方の団結でございます。
 それで、私は戸田先生に十九歳の時につきまして、三十までお供させていただきました。先生のことは、どういうわけか、一日たりとも、いっときたりとも忘れることができないような、宿命的環境におったわけです。ずいぶん逃げたくも思っておりました。
 それから、たまにくる同志の方々のことを思うと『ああ、あんなにしかられないで、また家へ帰っていられるのか、うらやましいなあ――』といった気持ちだったのです。だが、今になってみると、それが大きい私の福運に変わっております。そのときは、ほんとうの話、つらかったのです。
 戸田先生は、大御本尊様をお伝えすることが根本、私は戸田先生を通し、仏道修行の薫陶を受けながら、大御本尊様を知ることができ、拝むことができたわけですが、今、私は、私をいくら考えてもどうしようもないということを、まず皆さんに訴えて、大御本尊様、そしてまた戸田先生の教えを、いつもいつも、瞬時も離れることなく考え、実践していかれるならば、絶対に幸福になることは間違いないと申し上げておきます。
 一生は、どういうような生き方をしても、一生は一生です。戸田先生はあるときに『大御本尊様を信じ、人生を生ききっていけ。これがいっさいだ。いくらぐちをこぼしておっても、つまらないことにくよくよしても、どうしようもないではないか。大御本尊様に題目をあげて、自分の境遇で、自分の立場で生ききっていけ。これが折伏ではないか』とおおせになったことがあるのです。
 どうか、そのような信心をしている人らしく、宿命転換に、堂々と人間革命に進んでいる人らしく、すなわち、それが学会員らしい姿でありますから、そういうような人生で、仲良く、今後も進んでいきたいと思います。
 かさねがさね、よろしくお願いいたします。
2  19600604 宇宙即生命の哲理
3  東北の同志の皆さま、なにとぞ、今後ともよろしくお願いいたします。
 さきほど津波の話がございました。科学でも解決できない問題であります。政治でも解決のできない問題であります。科学でも、政治でも、解決できる問題もたくさんありますし、また、しあわせにさせていける分野もあるとは思いますが、また、どうしようもない津波というような三災七難、それから、小さくいえば、子供が奪われて苦しんでいる親の悩み、悲しみというものは解決できません。
 おのおのの個人の宿命という問題は、なにが解決してくれますか。科学でも、政治でも、経済でも、解決できないものはたくさんあります。根本的に解決できる、その課題は大宗教以外ないと私は絶叫します。すなわち、一本の大木にたとえるならば、宗教は根です。根本です。あとの幹は枝葉が、政治であり、経済であり、文化です。そのいずれの時代でも、いずれの人でも、国でも、宗教を根底としたい文化、政治というものは砂上の楼閣です。
 絶対の幸福の世界、平和の世界の確立にあっては、いずれの時代でも、いずれの国でも、大宗教を根底にしなくてはならないということは、歴史の事実であり、自然の道理であり、かつまた、私どもの欲求する根本の自覚であると思うのでございます。
 大聖人様の生命哲学は、生命即宇宙、宇宙は即生命であり、等しいという哲学です。今、私は、深い哲理はわかりませんが、御書に照らして、その一部分の認識論のうえから話をしてみたいと思うのです。
 大御本尊様を拝み、広宣流布になるならば、大聖人様の御予言である『吹く風枝をならさず雨つちくれを砕かず、代は羲農の世となり』というおことばがございますが、中国の古代で伏羲神農時代のような、世界で、もっとも太平な世の中、広宣流布になるならば、必ず、その世の中のようになっていく、実現するという予言の姿の一部分として、どういうわけでそうなるか、その点についてお話ししたいと思います。
4  それは、ちょうど、われわれの頭が丸い、天は丸い。天は、丸いわれわれの頭になぞらえて、また、われわれが太陽や月を見ることはできますが、われわれのこの目、両眼が太陽であり、月になぞらえているとお説きです。
 われわれのこの声、これは風になる。言語音声は風になぞらえる。夫婦げんかなどをして、大きな声を出す場合には台風のようなものですね。この髪の毛は何か、燦爛と輝く星になぞらえる。はげ頭は、流星になってしまっている。このまゆげは何になぞられるか、北斗七星になぞらえる。女の人が墨で書いたら人工衛星です。
 それから、鼻から息をするこの息は、渓谷の風、谷間の静かな風を意味します。こういうふうに、たくさん曲がるところを、ぜんぶ総決算すると約三百六十節、三百六十五節ある。これは一年を意味している。ただ大きく曲がるところが一、二、三と四、五、六で、足のほうがやっぱり六つになって十二節。これは十二か月を意味する。
 胸とか腹、これは春を意味し、夏を意味する。『胸の痛みに耐えかねて......』春です。腰とか肩は冬・秋を意味する。冬・秋には、たしかに、土地が堅くなってきます。肩が凝ってくる、これは、秋になるわけですね。
 われわれの血管は江河や川を意味する。江河や川が洪水になって堰が切れた場合には、われわれでいえば、血管が切れることを意味するから脳出血です。それから、この骨は石を意味するし、この肉体は大地を意味する。非常にこやしをやった土地はいいし、うまいものを食べた肉体はいい。しかし、あまり食べていない肉体というものは、土地というものは、寂しい、貧弱です。そういうふうにぜんぶ等しい。まだまだ数えあげればたくさんあります。
 そういうふうに、いっさいが等しい。宇宙即生命、生命即宇宙である。さて御本尊様に題目をあげれば、私の全生命がキチッと調和されるわけです。冬であろうが、夏であろうが、秋であろうが、春であろうが、三百六十五日、大宇宙のリズムにキチッと合致して、悠々たるリズムのうえに立った人生を生きていける。これは大きくいえば、御本尊様の功徳なのです。それと同じく、私たちの生命が、御本尊様によって病気がなおり、貧乏が幸福に変わるという、この小宇宙の事実、これは一つの小さい広宣流布の縮図です。いわんや大宇宙それ自体が、南無妙法蓮華経が根本になるのですから、戒壇建立になり、広宣流布になるならば、絶対に『吹く風枝をならさず雨つちくれを砕かず』と大聖人様のおおせになった最高の平和な世の中が実現できると私は信じます。
5  普通は、雨といえば、古書によると十日に一ぺんといわれる。風は五日に一ぺんが本来の自然法則といわれている。今はめちゃくちゃです。あまりひどすぎるので、わけがわからない状態なのです。シラミが毎日からだについている人は、シラミがいるのがあたりまえに思う。いないと寂しいみたいです。便所に長くはいっている人は便所のくさみがわからないというふうに、不幸の世界、三災七難で荒れ狂うこのふしあせな現象というものが、あたりまえみたいに、感づかないみたいに、普通の人は免疫です。それが今の現状なのです。
 日本の将来、世界の将来、行く手は、考えれば考えるほど唖然とします。恐ろしいほどです。そういう現状に創価学会が大御本尊様の流布を叫んで立ち上がったということは、絶対に仏智にあらずんば、考えられない不思議な力であると思うのでございます。
 今、大聖人様滅後六百七、八十年の間、代々の御法主上人猊下は丑寅の勤行をなさって、広宣流布御祈念の勤行をなされておりますが、その猊下様の御祈念が、また大聖人様の御命令が、そしてまた創価学会の勇猛果敢なる折伏闘争が、ぜんぶ大御本尊様に通じて、広宣流布が近づいたという証拠であると私は信ずるのでございます。
 仏法は勝負です。勝つか負けるかが仏法です。個人の宿命転換のためにも勝負です。生活革命のためにも勝負です。日本の国を救うのも邪宗教との勝負です。世界を救うのも、正しい大御本尊様をひろめきっていく、どんな苦難があっても戦い勝っていく勝負です。個人のためにも、日本の国のためにも、東洋のためにも、世界のためにも、ぜんぶ勝負が根本になります。その勝負も、大御本尊様がおわします勝負でございますから、大御本尊様を信じきるということは、宇宙大の力をお貸しくださるわけでございます。どうかひとつ安心しきって、おのおのの境遇で、おのおのの立場で、洋々たる前進のいくさをしていただきたいと思います。以上をもってあいさつといたします。

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