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日蓮大聖人・池田大作

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第一回本部幹部会 幹部は指導力を持て

1960.5.27 「会長講演集」第1巻

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1  今月も四万五千世帯の人が大御本尊様を拝むことができ、しあわせになることを約束されましたが、皆さまとともに喜びたいと思います。おめでとうございました。
 恩師戸田城聖先生が会長になられて、まもなく先生のお話のひとこまに『全学会員はぜんぶ大御本尊様の大功徳に浴して、しあわせにならねばならない。しかし、その折伏戦において、いろいろな謗法が考えられるときもある。そういう謗法については、いっさい、自分がその罪を背負う。安心してまっすぐに信心修行に勇んでいきなさい』ということばが、今も頭のなかに刻みついておりますが、今、日蓮大聖人様のおことば、戸田城聖先生のお教えは、まっすぐに、あらゆる点に、学会全体に通じきっております。
 御書を通し、または聖教新聞を通し、大白蓮華を通し、すなわち、間違いのない信心修行に励むことをば、絶対にお願いもしますし、また切望もいたしますが、おたがいに凡夫です。学会の折伏戦において、学会活動において、もしか目に見えない間違いがあるようなことがあったとしても、御本尊様は許してくださるかもしれませんが、いっさい私は、戸田先生の口まねをするのではありませんけれども、学会の会長になったからには、いっさいの罪を背負って立つ決心でございますから、安心しきって、すなおに信心修行に折伏戦にいそしんでいただきたいことを、かさねがさね、お願い申し上げます。
 地区部長ならびに班長さん方が団結して、強盛なる信心をし、功徳に満ち、指導力をもって進んでいくならば、学会は万万歳です。あと一般の人々に対しては『安心して、ついていらっしゃい』こういうふうにしていけば、いいと思うのです。その意味において、どうかひとつ、とくに班長さん、班担さん以上の方々は、強盛なる信心と、大功徳を示しきっていける生活と、また大勢の一般の方々を、ゆうゆうと親切に納得のいくように指導しきる指導力を、たくわえていただきたいと思うのでございます。
 ながながと前に指導がありましたもので、どうか先輩方の指導を、よく、きちんと胸にきざんで、来月の幹部会には、よりいっそうのお元気な姿を見せていただきたいと思います。
2  19600529 東洋広布の先陣を切れ
3  私も青年でありますもので、一生懸命、今後、護法のために、人々のために働いていきたいと思っております。なにとぞ、くれぐれも御支援のほどをお願い申し上げます。
 ちょうど、恩師戸田城聖先生がなくなるその年には、日本全国に、ほとんど総支部の建設が完了しておりました。北海道総支部、東北総支部、中部総支部、関西総支部、中国総支部、それから九州総支部、六つの総支部です。関東は総支部ではありませんが本部の旗本です。総支部以上に完ぺきな、学会発生の牙城です。
 概略すると七つに学会は分かれておりますが、大御本尊様を根本として百四十万世帯の人が団結をし、かつ忍耐強く恩師戸田城聖先生の心に続いていくならば、日本国の広宣流布は、もう明らかであり、見通しはついたと私は断言しておきます。
 さきほどからお話もございましたが、日蓮大聖人様の仏法は、一閻浮提の仏法、東洋の仏法であり、日本国だけの仏法ではないのです。
 戸田城聖先生が『九州制覇のそんな小さな考えではなく、全東洋への進軍をめざせ』とおおせになったと、うけたまわりましたが、今、日蓮大聖人様の御書を拝して、先生がおおせになった裏付けとしたいと思います。
 それは有名な諫暁八幡抄の最後の段に『天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり』とございます。天竺とは月氏という、インドのことなのです。月の氏と書きます。仏の出現とは釈迦のことです。
 『扶桑国ふそうこくをば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ』扶桑国とは日本国の異名です。聖人とは末法の御本仏日蓮大聖人様のことです。
 『月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり』お月さんは西から東へ向かっていく。ちょうど、インドの仏法が、インド、中国、朝鮮を渡って、東である日本の国へ渡ってきたその姿である。
 『日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり』太陽は東から出て西へいくと同じように、日本の日蓮大聖人様の仏法が、三大秘法の南無妙法蓮華経の仏法が朝鮮、中国、インドへ帰るべき瑞相である。
 このように諫暁八幡抄に書かれてありますが、この日本の、大聖人様の仏法を全東洋へひろめていくことは、日蓮大聖人様の御命令であります。また、当然流れていくことの御仏意であります。
4  さきほどから、石田先生、また、ほかの先生からもお話がありましたが、朝鮮動乱の瑞相、昨年におきましては、中共において未曾有の大かんばつ、大洪水があったと聞きます。この九州の地は東洋への深い因縁と地の利を得ております。
 私は恩師戸田城聖先生が、この壇上で東洋広布へ進軍せよとのことばを心として、必ずや、このなかに東洋広宣流布への先駆者である地涌の菩薩が出現することを信ずるのでございます。
 アメリカ方面においては、そうとうの学会員が大御本尊様に救われて、楽しい生活をしているとの報告を受けております。アメリカに行ったのは青年部の一幹部です。現在では数百世帯になっております。南米のほうも、そうとうの数になっておりますが、やはり青年部の幹部が先に行って、その先駆を切っております。
 青年であれ、壮年であれ、婦人であれ、それは別として、九州の地の、この皆さま方のなかから、全東洋広宣流布は引き受けたという九州であっていただきたいと思います。
 今、私どもは、日蓮大聖人様の大生命哲学を学び、信じております。死ぬという問題は重大問題です。一生の総決算です。ある人は自動車に、はねとばされて死ぬべき人もあります。三角関係に苦しんで、奥さんから硫酸をかけられて死ぬような人もおります。同じ人生であって、ある人はドブにはまって死に、ある人は人に殺されて死に、ある人は自殺をする、ある人は病気で苦しみながら、地獄の相を現じて死んでいく。今、私どもはそういう心配はありません。死ぬという問題は内閣総理大臣であっても、労働組合長であっても、会社の社長であっても、どんなに有名人でありましても、どうしようもない厳粛なる事実の問題です。その絶対なる問題を解決できないでいるということは、指導できないということになる。死ぬという一番大事な問題を、絶対に心配しないでよいと指導できる人は、りっぱな指導者であると思います。
5  なぜならば、死ぬという問題は、総決算であると同時に、これからの出発です。
 『現世安穏、後生善処』です。あくまで、この御本尊様を拝んで、来世も幸福になるという証拠に、現世において物心ともにしあわせになるのであります。
 いくら、今世においてりっぱそうな姿をしていても、死んでいくときに貧乏人になり地獄の相をすれば、来世は絶対地獄です。しあわせではありません。大聖人様の仏法は現世安穏、後生善処、三世にわたる生命観です。したがって、絶対にこの世で大御本尊様を信じきって幸福になりきって『ああ人生は楽しかった』と死んでいける者が、未来世も幸福になりきれる人生であるのでございます。
 今の指導者は、現世のことも、今日だけのことも救ってはいけません。いわんや三世にわたる救済ということができるわけがない。今、私どもは、このような大仏法にあうことができ、大聖人様は『とにかく死は一定なり』いっぺんは死ぬのだ。
 『とにかくに死は一定なり、其の時のなげきは・たうじ当時のごとし、をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ』どうせいっぺんは死ぬのだ、死ぬのであるならば、最高の仏法であり、永遠の幸福をつかんでいける御本尊様に名を託して死んでいきなさいとおおせになっておられるのです。
 仏さまが絶対にウソをつくわけがありません。永遠に、三世にわたり、ぜんぶを見通しておられる仏さまです。大御本尊さまです。どうか、疑うことなく、今世も幸福になり来世も幸福になるために、十年か、二十年か、三十年ぐらいの仏道修行の苦しさに負けないで、絶対に、永遠に幸福をつかむために『きょうの苦しみがなんだ、きょうの三障四魔がなんだ』このようにがんばって忍耐強い信心をしようではありませんか。
6  最後に、私のもっとも尊敬し、信頼する石田先生が、総支部長としてこられております。信心強盛であり、人格高潔で、信じきっていけるりっぱな総支部長でございます。どうか総支部長を私と思って、今後の闘争に、より以上の団結と、より以上の功徳をうけるための闘争をしていただきたいと切望しておきます。
 もうひとこと重ねて申し上げておきたいことは、九州の人たちは非常に元気旺盛ではありますが、邪宗折伏にあっては師子王のごとき闘争力も必要でありますが、信心指導、一般の日常生活においては、だれよりも礼儀正しく、謙虚の心を失わないでいただきたいと思います。ぜんぶ邪宗闘争と同じような気持ちで、電車に乗ろうが、バスに乗ろうが、おい学会員だぞ、早く乗らないかというような行き方は法を下げます。闘争にあっては毅然たる大闘争力を出し、あとは礼儀正しく、謙虚の心を失わないでいくことが大切だと思います。
 また、ひとりの人を指導する場合でも、話をする場合でも、このひとりの人に対して納得のいくように親切に真剣に指導して折伏してください。
 なぜならば、その人が将来の会長になるかもしれませんし、その人が将来の総支部長になるかもしれないし、その人が千人、二千人も折伏する原動力になるかもしれません。その人が東洋広布の先陣を切る人になるかもしれません。ひとりの人であってもムダにしないで、ぜんぶ全力をあげて一対一の指導に折伏をしていただきたいと思います。

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