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小岩合同幹部会 勤行と折伏の実践

1960.5.16 「会長講演集」第1巻

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1  どんなに名医であっても、有名な医者であっても、その名医の言うことを聞かなければ、病気はなおらない。これは道理です。
 同じく、大聖人様のおおせどおりに私どもが信心すれば、しあわせになるし、大聖人様の言うとおりにしなければ、不幸になることはあたりまえです。この大聖人様のおおせを、そのまま具体的に、わかりやすくお教えくださったのが、戸田城聖先生なのです。
 今、ひるがえって、かんたんではありますが、大聖人様の教えは何か、大御本尊様に題目をあげなさい、折伏をしなさい、あとは教学を身につけなさい。
 教学はさきほど話がありましたから別として、題目をあげなさい、折伏をしなさい、戸田先生の究極も、それしかありません。
 大聖人様のお教えに、先生の教えが、微塵も狂うことはないわけですから、同じです。これだけにつきるわけです。それをやらないで功徳がないとか、どうも御本尊様は力がないとかというふうに批判するということは、まるで勤め人が勤めに行かないで、会社を休んでばかりいて、給料をもらえないと、ぶつぶつ言うことと等しいのではないかと思うのです。
 したがって、大聖人様は、勤行、それから折伏と、この二つである。大聖人様の御書を拝読しますと、このような意味のおことばがあるのです。ある生命は、鉄を食べて命を長らえる生命もある、ある生命は、水を飲んで命を長らえる生命もある、ある生命は土を食う、石を食って命を長らえる生命もある、ある鬼神は、われわれの地肉を食らい、言語、音声を食らい、われわれの骨を食らって、命を長らえる生命もある。
 今、三世十方の諸仏ならびに諸天善神、われわれは、何を食べて、永遠の生命力と、最高の力を発揮するか。これはただ一つ、南無妙法蓮華経を食べる以外ないとおおせなのでございます。
 したがって、中途半端で御本尊様を拝むようなことはなくして、心底から、心の奥底から題目をあげながら、しみじみと、大御本尊様の偉大さを感じ、自受法楽、ああうれしい! という姿で、折伏にあたっても、座談会に行く原動力も、仕事の原動力も、題目をあげてあげて、あげきって、大御本尊様のお力を感受しきっていきたいと思うのでございます。
 もったいなくも『題目をあげていくならば、大聖人様の命が湧現するなり、現われるなり』というおことばが当体義抄の文段にあります。仏のはたらきが、仏の生命力が題目をあげることによってでるのです。そこに信心の喜び、人を救っていくところの源泉の心というものがでてくると、先生はよくおおせになっておりましたが、大聖人様のおおせはそれしかないのです。やきもちを焼けとも、おおせになっていないし、人を批判しろということも、おおせになっていないし、酒を飲んでいばりちらせともおおせになっていないし、和合僧を破れということもおおせになっていないし、私どもは大聖人様の弟子ですから、大聖人様のおおせどおりに、純真に襟度をもって、自信をもって進みましょう。
2  また、会長先生は、それを具体的に、もう一歩進めて、朝晩の五座三座の勤行をきちっとやって、月に一世帯の折伏をしていくならば、今の悩みは絶対解決するということを、全国にわたっての指導で申されてきました。
 先生が申されたことは、過去の話ではありません。一般会員の方々の指導の話ではありません。私であろうが、大幹部であろうが、皆さん方であろうが、一学会人であろうが、その方程式は同じです。したがって悩みの解決、宿命転換の大きな源泉は、恩師戸田先生が残された方程式、五座三座のお勤めをきちっとやって、そうして月に一世帯の折伏を一年間やれば、必ず現状の悩みは解決するという教えを、悩みがある人は実行していこうではありませんか。
 信心は実行です。実行のない信心はありません。実行がなければ観念論です。大聖人様の仏法は観念論ではないのです。生活のうえに厳然たる功徳の証拠をあらわすか、あらわさないかという、証拠の仏法なのです。それが実行です。実践になるのです。
 最後に申し上げますことは、大聖人様御在世中、御本仏のおわしましたときにおいても、平左衛門尉をはじめとしての、大聖人様御一門に対する攻撃、そのときに、獅子身中の虫である太田親昌、長崎時綱、大進房、少輔房、何人かの大聖人様の弟子どもが、反逆して、平左衛門尉について、大聖人様の御一門を迫害しております。恐ろしいことです。
 大聖人様の御時代は、千世帯であられたか、二千世帯あられたか、三千世帯あられたか、それは私は知りませんが、御本仏様がおられた時代でも、そういう姿があったのです。
 いわんや、大聖人様が、お姿は見せてくださっておりません。また、恩師戸田城聖先生もおられません。あと残った私ども、皆さん方によって、百四十万世帯の人々を、最後まで団結させて、仲良く功徳にみちみちていかせるためには、大聖人様の時代でもそうであったがゆえに、今の私どもは、千倍も万倍も力を合わせて、団結し合って、激励し合っていかなければ、あいならんと思うものでございます。
 どうか一つ、伝統の小岩支部の関係です。恩師戸田城聖先生から、もっとも愛された支部でございます。先生に恩を返すお気持ちであったならば、あくまでも全学会に歩調を合わせて、さきほど理事長から話もありましたその指導を実践して、輝く広宣流布まで、伝統の小岩支部として戦っていただきたいと思います。

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