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日蓮大聖人・池田大作

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男子部幹部会 立正佼成会を撲滅せよ

1960.5.10 「会長講演集」第1巻

前後
1  私の就任を、次の時代をつくり、次の学会を率いていく青年部、男子部員の諸君とともに喜んでいきたいと思うのでございます。
 今、原島先生から私についてお話があり、また先輩同志の方々から、さまざまな期待と信頼のこもった激励のことばをいただきましたが、最後まで諸君とともに戦い、諸君とともに苦しみ、諸君とともに喜び、諸君とともに悩み、そして護法のために一生を過ごしたい心でいっぱいでございます。
 私の就任に際しまして、御法主上人猊下より賜った冒頭のおことばは『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』、この日蓮大聖人のおことばをあなたにおくる』と申されました。
 かつては恩師戸田城聖先生は『青年は日本の柱である。青年は日本の眼目であり、青年は日本の大船である』と、私どもにお教えくださってこられました。   
 開目抄の根本義は、日蓮大聖人様が末法万年の救世主、御本仏であるという、人本尊の開顕ならびに、いっさいの全世界の不幸の根源は、政治でも経済でもなくして、邪宗邪義にある、『此れをしれる者は但日蓮一人なり』すなわち苦悩の原因は邪宗邪義にあるのだというお教えが、開目抄の根本義であります。
 したがって、いま御法主上人猊下様のおことば、恩師戸田城聖先生のおことばを拝して、男子青年部が、詮ずるところは天も捨てたまえ諸難にもあえ身命を期として、日本の柱となり、眼目となり、大船とならねばならない宿命に立ったことを自覚していただきたいのでございます。
 私は絶対にいかなる邪宗教の誹謗があっても恐れません。ひきょうなマネはいたしません。私の今の気持ちは、一番こわいのは、大聖人様の邪宗破打への御精神の、その御命令、ともに恩師戸田先生のきびしい、今までの御訓練、訓育、そのひびきが、声が、私の脳裏に脈々とひびくのです。こわいのは恩師戸田城聖先生の御命令です。あとは何も恐れない。ひきょうなマネはいたしませんから、邪宗教の撲滅に、また全民衆のしあわせのために、堂々と、確信をもって進んでいただきたいと切望いたします。
2  先日、全学会員の全世界への分布状態の報告をうけました。沖縄には六千世帯の同志がおります。大御本尊様によって救われ、しあわせな生活をしておる方々がおります。アメリカには数百世帯の同志の方々が喜び勇んでおります。手紙も本部へは再三まいります。南鮮にも、北鮮にも、中共にも、インドにも、パキスタンにも、エチオピアにも、西ドイツにも、全世界、まだ少ない数ではありますが、ほとんどの国に大御本尊様は流布されております。
 大御本尊様からみるならば、アメリカや、フランスや、ドイツなどというところは、ちょうど庭先のようなものです。邪宗教もそうとう全国へ進出しておる状態は聞いております。
 しかし、日本には百四十万世帯、四年先には三百万世帯の人が信心することになっております。四年先のことを一生懸命にがんばらなくても、百四十万世帯の人が一世帯ずつ折伏すれば、一日で三百万世帯になるわけで、騒ぐことはないわけです。
 信心していない過去の歴史上の人物は、経済面、政治面、外交面、あらゆる点で、全世界に雄飛しておりますが、諸君は、狭い日本だけにとらわれず、あらゆる分野の立場で、科学、経済、政治、あらゆる分野を通して、全世界に大御本尊様の流布に雄飛をしていっていただきたいと切望するものでございます。 
3  それは将来のことにして、今、私は関東を見渡して、中山であるとか、池上であるとか、または真言宗、念仏宗、禅宗等の宗教は残骸のごとくなっております。七百年前に日蓮大聖人様に徹底的に根を切られております。また、何百、何千の新興宗教がありますが、おばけのようなものです。カゲロウのような姿です。
 だが、ここに見のがしてはならない新興宗教があります。それは、恩師戸田城聖先生が会長になる以前に、理事長職にあったときに、牢から出られて、すぐに宣言なさったことは『立正佼成会を倒す』ということでした。だが、戸田先生は、会長にならずして立正佼成会のほうは、どんどん興隆し、創価学会のほうは、なかなか大きくなれなかった。
 戸田先生は、会長になられた一つの理由は、その罰を感じられたからなのです。
 その立正佼成会が、今、わが世の春のごとく、東京において謳歌しております。
 聖教新聞を学会でつくれば、佼正新聞という、学会の新聞と同じような新聞をつくり、学会が運動会をやれば、同じような運動会をやり、学会が代理店をつくれば、同じように代理店をつくり、組織をつくれば、同じように組織の真似をし、戸田先生のレコードをつくれば、今度は妙佼のレコードをつくるそうだ。会長先生が方便・寿量の、法華経の本を出せば、今度は庭野日敬のメチャクチャな、間違いだらけの法華経の本を出す。徹頭徹尾、真似をしている。
 学会が青年部をうんと養成し、青年部総会をやっていきますと、今度は庭野日敬を呼んで青年部の大会をするというような、ちょうど、仏と魔との姿、釈迦と提婆達多の対立の際における、その魔の姿が佼成会なのです。今、学会が広宣流布といえば、同じように広宣流布といって教えている。戒壇建立といえば、立正佼成会も戒壇建立をしようというかもしれないというふうな状態の立正佼成会を、このままおいておくわけにはいきません。
 したがって、インチキ極まる邪義をもって、大勢の人を地獄におとしいれておる立正佼成会を、本日を契機にして、青年部の指揮のもとに、総攻撃をしていただきたいと思う!
 これができずして、なんの男子青年部でありますか。もしかやらなければ、私どもがほかの壮年部、婦人部で、ぜんぶやってみせます。その方法については、青年部長と男子部長に託します。
4  しかし、それはそれとして、さきほどから話がありましたが、そのもっとも効果的な、もっとも価値的な方法は、座談会です。一対一の末端との闘争です。末端の人を守ってあげる。それから、ひとりひとりの知らない人を呼んで話してあげる。
 破折をしていく。これが大事な民主主義の縮図でもあるし、この方法が大事であると提案するのです。
 もうひとつ皆さん方にお願いしておきたいことは、青年部は力強い団結と闘争力はもっておりますが、あくまでも、私が今、心配なことは、学会の一般の同志の方々が、どういう戦いをしていくか、これが心配なのです。そういう点にあって、支部にはいり地区にはいり、手をとり、足をとって、そして、そういう方々を力強い諸君の守りで一人前の信心をさせてやっていただきたいということなのです。
 とともに、信心していない人々に対しても、また信心しておるそういう一般会員の方々に対しても、親切に、礼儀正しく、心は、全邪宗教を恐れおののかせていく師子王の心をもっているが、その態度たるや、真摯にして暴言を用いず、あくまでも礼儀正しく、そういうような青年部であることが、学会の前途にも、また日本民衆の前途にも、大きい信頼と、依存とをうけていくゆえんではないかと私は思うのでございます。
 最後に、私は皆さん方のこれからの闘争を信頼しきっていきます。私が、もしか倒れることがあったならば、私の遺志を継いで、広宣流布に男子青年部が、その達成に進んでいただきたいと思います。
 どうか、諸君の今後の御健闘と御健康とを、私は心からお祈り申し上げて、講演といたします。

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