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女子部幹部会 信・行・学に励み幸福を

1960.5.9 「会長講演集」第1巻

前後
1  戸田先生が会長になられたときに、また会長としていろいろな指導をなされておる途中において、新聞社や雑誌社の記者がきて、何回となく先生のことを、他の宗教団体の教祖と同じようにみてまいりました。
 先生のところへきて、私もそばにおりましたが『あなた神さまではありませんか。教祖でしょう』とういうふうに質問をしているときに、先生は『なにを言うのか。私は、りっぱな凡夫である。あんな他の宗教団体の教祖なんていうのは、ぜんぶインチキである』というふうに、強く記者連中をしかっておった姿をみておりますが、戸田先生は『凡夫である。りっぱな凡夫である』と申されておりました。今、私は、りっぱな日本の青年らしい会長でいきたいと思います。
 したがって、初代会長牧口先生はおなくなりになる寸前まで勉強しておられたとうけたまわっております。六十何歳ぐらいで英語の勉強をしておった。バスなどを待っているときには、一生懸命に小説をお読みになり、また牧口先生の御書をみますと、ぜんぶというほどお読みになっておられて、赤線がひっぱってある。
 また恩師戸田城聖先生も、なくなられる寸前まで私どものために勉強をしておられる姿を、いろいろな角度でみせてくださいました。             
 今、私は、会長に就任させられてしまって、えらいことになってしまったと思っております。皆さん方は喜んでいるかもしれませんが、私個人からいえば、今、私は、えらいその、さびしさなんです。その自分をいい調子になって、会長という名前だけを、初代、二代の会長と同じような内容があると錯覚して、また錯覚をされて思われることは、地獄へ落つることよりも私はこわいのです。今、申し上げましたとおりに、青年は未完成です。
 私はいままで以上に仏道修行に、また勉強に、皆さまとともに、真剣に進んでいきたいと念願しておりますから、よろしくお願いいたします。
2  私は、指揮をとらせていただく立場になったからといって、こと新しい活動はなにもございません。
 学会の根本は信心をすることと、折伏をすることと、教学にいそしんでいくことしかありません。
 信・行・学、これさえしておれば、あとのことは、ぜんぶ枝葉です。あとは一生懸命に仕事をしていけば、それで仏になるし、幸福になるわけです。余計なことは、なにも学会には必要がないわけです。
 信心しきっていく、折伏しきっていく修行ですから、行がなくてはならないわけです。あとは教学をしていくのです。
 広宣流布といっても、戸田会長先生は『ぜんぶ信心をしきって幸福になっていけば、それが広宣流布ではないか』とおっしゃっいました。こと新しい形態をつくるものではありません。信心して、しみじみと幸福生活をあじわっていける、日蓮大聖人様の仏法を納得していく、させていく。これが広宣流布に通ずるのです。
 今、私どもがいろいろな境遇で、いろいろな宿命のなかで信心をしておりますが、大聖人様は、衆生所遊楽、自受法楽と申されております。御本尊様に題目をあげきっていくところに、もったいなくも大聖人様の御生命がおのおのにはたらくのです。人々から幸福を与えてくれるものではないのです。ぜんぶが御本尊様を拝むところから、仏界の働きが、自受法楽、くめどもくめどもつきない喜びがわいてくるのです。
 したがって、一家において信心をしておらない家庭においては、皆さん方が、しっかり題目をあげていって、生活の苦しい方々のなかにおいても、ひとり皆さん方が、題目をしっかり唱えていく。
 また、つらい職場において、商売において、皆さん方が御本尊様に、しっかり題目を唱えきっていく。
 その純真なる信心をしていく私どもを、どうして大聖人様が、親であり、師匠であり、主人である仏さまが、守ってくださらないわけは、私は絶対にないということを信ずるのが信心であると思います。
 若くして広宣流布に戦い、御本尊様を奉持する私どもを、大聖人様が諸天善神に命じてお守りくださるのだという絶対の確信をもって、私どもは信心修行に、邁進していきたいと思います。
 われわれを笑えば罰をうけるのです。われわれをいじめていくならば、法罰をうけるのです。絶対に私どもは、守られているのです。大聖人様の子供であります。
 王子であり、王女です。大聖人様が、こんなに一生懸命信心している学会の青年部を、幸福にしてくださらないわけがありません。もしかお守りくださらなかったならば、仏さまではないのです。そんなばかなことはありません。絶対に幸福になれるのだと、希望をもって、勇敢なる闘争をしていきましょう。
3  今、私は、講演ということよりも、皆さん方にひとつお願いというか、していくべき指針を与えておきたいのです。
 それは恩師会長先生は『女子部は教学によって立て』と申されてきましたが、とくに、これからの闘争においては、座談会と教学の二本立ての指針でいくのが学会の方針になりますが、教学のほうに女子部の方々は力を入れていただきたいのです。
 それで、きのうも関西の幹部会でお話を申し上げたのですが、全学会員の人々は折伏教典、大白蓮華、それから聖教新聞を、ぜんぶお読み願いたいのです。そうして、また皆さん方もよくそれを教えてやっていただきたいのです。
 教学部の助師の方は、その三つと、あと御書、御書のなかでも御消息文をぜんぶマスターしていただきたいのです。講師の方は、いままでの四つと、それから十大部御書、文段もはいりますが、十大部は、とくにぜんぶマスターして、助教授の方は、御書ぜんぶと六巻抄ぜんぶをマスターする。それがわからなければ助教授はやめてもらうというぐらいに。教授の方々はぜんぶ。御書であろうが、六巻抄であろうが、富士宗学要集であろうが、ぜんぶ日蓮大聖人様の教えはわかる。ですから、下の方々は、どんどん、ひまさえあれば上の方々に聞いてもらいたいのです。
 一般部員の人は助師の人に、助師の人は講師の人に、また助教授の方に、教授の方に、そして、あまり上の人がわからなかったならば、教学部長か理事長のところへ『どうもあの助教授の人はなにもわかりません。どうもあの講師の人は知らないらしいです』と、こういうふにしてもらいたいのです。今度は相談の結果『それでは、ちょっと、学会の講師として、助教授としてまずいから、やめてもらおうではないか』と、このぐらいに教学陣営を強固にしていきたい。
 大聖人様の仏法を、永遠の生命哲学を、一切衆生に知らしめていけというのが、国士訓、青年訓の会長先生の命令です。
 その源泉に女子部員の方々が立っていただきたいと思います。
 どうかひとつ、先輩の先生方からいろいろとお話がありましたが、ぜんぶそれをお忘れなく、のびのびと、そしてまた毎月私どもも幹部会に出席させていただく予定になっておりますから、お会いするごとに、楽しい顔で、宿命転換して、幸福そうなお姿で、この会場に、また幹部会に出席されんことを切望いたしまして、私のあいさつといたします。

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