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日蓮大聖人・池田大作

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第22回本部総会  

1960.5.3 「会長講演集」第1巻

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1  本日は、就任式を兼ねての総会に、もったいなくも総本山より日達上人猊下様の御臨席をあおぎ、また、柿沼総監をはじめ全国の御僧侶の御出席をいただき、また、恩師戸田城聖先生の奥様、おぼっちゃまの御臨席もいただき、力強い、記念すべき就任式ができましたことを、皆さまとともに御礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。
 私には、今、けんそんしてもはじまりませんが、まったく力はございませんが、誠心誠意、恩師の指導を実践していきたいことは、さきほどから申し上げたとおりでございます。
 学会には大御本尊様がまします。また、初代会長牧口先生より薫陶をうけた大幹部、恩師戸田城聖先生より、じきじきに薫陶をうけられた大幹部、小泉先生をはじめ、たくさんの大幹部の方々がおりますから、安心して前進していただきたいと思います。
 与えていうならば、政治のことは政治家に、政治学者に聞くことが道理であると思います。経済のことは経済学博士、または経済を実践しているものに聞くことが道理であります。教育のことは教育者に、科学のことは湯川博士にと。同じように、今、宗教のことにあっては、もっとも深く研究し、もっとも正しく実践し、もっとも確信をもっている日蓮正宗創価学会の言うことを聞くべきであると私は叫びたい。
 社会を指導している知識階級は、信仰といえば、宗教といえば、即座に非科学的である、盲信的である、または、弱いものがたよるのであるとの批判をくだします。今、私どもは、いっさいの宗教は邪宗邪義であると断じております。したがって知識人が言うことと同じです。しかし、イワシの頭も信心からという宗教観と、末法の救世主日蓮大聖人様の大仏法とを同じように混同して、批判をくだすということは早計です。知識人として、認識せずして評価するということは大きいあやまり、恥です。
 今、私どもは、真に宗教を批判するのであるならば、いっさいの宗教は、非科学的であり、邪教であり、または、道理にあっていない低級宗教であるということに対しては賛成するが、まことの宗教は、仏法の真髄は、日蓮正宗の仏法を認識しなければ、絶対に批判はできないということを言いきっていきたいのです。
 先哲が、また先師が、宗教批判の原理として、五重の相対、四重の興廃、三重秘伝、または教機時国教法流布の先後、文証、理証、現証と、はっきりと、宗教の浅深、勝劣の分け方を残されておりますが、絶対に法華経に帰趨する。八万法蔵の極地は法華経である。その法華経とは、末法においては、三大秘法の南無妙法蓮華経であり、それ以外の宗教は邪教であり、三大秘法の御本尊様のみが、末法万年尽未来際の衆生を、お救いくださるただ一つの宗教であるということを、声を大にして叫びきっていきたいと思うのでございます。
 今、創価学会は、二祖日興上人様の、大聖人様のお教えを正しく奉持しゆく精神、お守り申し上げていく精神、そしてまた、老齢七十幾歳にして国家諫暁すること数十度、あくまでも、実践をあそばされた日目上人様の御精神、そしてまた、全邪宗教を打ち破っていく日蓮大聖人様の大生命哲学を、そのまま御解明くだされた日寛上人様の絶対なる教学の深遠なる精神、その精神を精神として、広宣流布をめざして、そのまた、一目標である七回忌をめざして、進んでいきたいと思います。以上をもって講演といたします。

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