Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

3 核時代と「原水爆禁止宣言」  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

前後
2  生命の内面を探究せよ
 池田 そこが急所ですね。トインビー博士の言われた「科学的進歩への信仰」は「人間精神の軽視」と表裏一体のものです。師の戸田第二代会長は言いました。
 「科学は、われわれの生命の外界を見つめることから出発している。したがって、生命が依存する外界については、最後まで究めつくすことができるであろう。しかし、この外界が、いかに究めつくされたとしても、それだけでは生命それ自体の幸福、また人類社会の平和にはつながらない。ゆえに外界だけではなくして、一人一人の生命の内面の世界へ探究を進めていくことが、どうしても必要となる。この『生命の哲理』を根底としてこそ、科学技術をリードして、世界平和に貢献していくことができる」
 クリーガー 重要な洞察です。外界と内面の世界は結びついていなければなりません。
 道徳から切り離された科学は、人類の将来にとって危険です。
 私たちは、核廃絶を喫緊の問題ととらえて、民主主義の行動を起こさねばなりません。世界各地の人々が、それぞれの責任を自覚し、「これは政治の指導部に委ねるべき問題ではない」と認識する必要があります。また同時に、政治指導者に対しても、責任ある行動を要求しなくてはなりませんが、政治的意志は、まず民意から喚起されるべきです。加えて、「核兵器は絶対に使用しない」「核兵器の実験を停止する」という協定だけでは、十分ではありません。
 人類の安全保障を確実にするには、核兵器を「廃絶」するしかありません。これまで政治指導者たちは、国民の前に核拡散防止の協定や、核実験停止の協定や、一部の核兵器の解体協定を掲げることによって、国民を懐柔しようと図ってきました。これらの方策は、いずれも、核兵器の脅威を終わらせるには不十分なのです。
 池田 確かに、さまざまな条約が結ばれましたが、核の脅威は、今も本質的には何も変わっていません。
 クリーガー ええ。脅威を終焉させるには、一つの方策――核兵器の廃絶しかありません。
 そもそも核兵器は、人間のあるべき品性に反するものであり、生命を全滅させる"運搬可能な焼却炉"です。人間精神のもっとも深い闇が反映されたものであり、「完膚なき破壊」を象徴するものなのです。
 池田 全面的に賛成です。核廃絶は、政治的駆け引き、外交交渉の論理だけでは、実現できません。核廃絶の最大の困難さは、技術的問題もさることながら、一度手にした核兵器の技術を「永久に使わない」という、人類的合意をとりつけるところにあるからです。
3  核兵器は魔性の産物
 クリーガー 戸田城聖氏をはじめ、多くの人が要請したように、「尊い生命を全滅させる」という核兵器の悪との闘いは、「生命を守る闘い」です。「人間の品性、尊厳、そして生命それ自体を守る闘い」です。この闘いは人間精神を高貴にする活動です。
 池田 そのとおりです。クリーガー所長は、核兵器を「人間精神のもっとも深い闇の反映」と言われましたが、戸田第二代会長が「原水爆禁止宣言」で強く訴えた点も、そこにありました。
 クリーガー 核廃絶の闘いは、人間性を物質主義よりも高みに置き、精神性を、頭で考えた言い訳よりも高みに置くものです。それは、抑止力理論につきものの知性の落とし穴である、「安全保障は、国々を『すべて焼きつくすぞ』と脅かすことで達成される」と信じる愚かさを明らかにしていきます。そのような考えは、安全保障ではありません。人間精神のどうしようもない堕落です。精神性を知性の下におくことの危険を、示しているにすぎません。
 池田 核兵器とは、「生存の権利」を脅かす「絶対悪」であり、核廃絶なき「平和」は虚構です。この核兵器の本質を、民族でもイデオロギーでもなく、人間の「生命」という地平に立つことによって明らかにしたのが、一九五七年(昭和三十二年)九月八日の「原水爆禁止宣言」だったのです。
 「もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」(『戸田城聖全集』4)と。
 むろん、戸田会長は仏法者であり、「死刑制度」には反対でした。あえて「死刑」という言葉を使ったのは、原水爆を持ちたいという人間の「魔の衝動」に、楔を打ち込み、原水爆を使用しようとする魔を絶滅させたかったからにほかなりません。「死」という言葉の対極にある「生」を確かなものとするためです。
 クリーガー 「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもつ」との戸田城聖氏の宣言は、シンプルな智慧の表現です。戸田氏は、「死」よりも「生」を価値あるものとし、普遍的な「生存の権利」があることを強調しておられますが、この権利は世界人権宣言の中に謳われているもっとも重要な権利なのです。
 シンプルさゆえに、その智慧の深さは、すぐには理解されないかもしれませんが、そもそも智慧とはつねに、シンプルなものです。
 池田 師はいつも、物事の本質をずばりと、しかもだれにでもわかる平易な言葉で語りました。傑出した民衆指導者でした。
 「宣言」でいう「魔もの」を簡単に説明すると、こういうことです。仏法では、人々の生命を奪い、智慧を破壊する働きを「魔」とし、その頂点として「第六天の魔王」
 の存在を説きます。「第六天の魔王」とは「他化自在天」とも言い、他を支配し隷属させようとする、人間の内なる強い欲望のことです。戸田会長は、核兵器をこの「第六天の魔王」の産物と喝破したのです。「核兵器」は、「科学の進歩」によってもたらされましたが、本源的には人間の生命の「負」の衝動が生みだしたもの、ととらえたわけです。この核兵器の「正体」を見抜き、戦い抜けと訴えたのです。
 クリーガー 私は「第六天の魔王」については詳しく存じあげませんが、その魔王が生命を奪い、智慧を葬ることを喜びとする存在ならば、それは人類の味方ではありません。なぜ核兵器を、この「魔王の産物」だと戸田氏が呼ばれたのか、私はよくわかります。まさに核兵器は生命を奪い、智慧を葬る手段です。
 池田 「魔」とは古代サンスクリットの「マーラ(魔羅)」に由来し、「殺者」「能奪命者」などとも訳します。魔王とは、生命の外にあるものではなく、「万人の心」に備わる働きです。ゆえに「万人の心」に呼びかける精神闘争が、核廃絶には不可欠なのです。
 さて、「原水爆禁止宣言」から四十年以上が経ちました。核兵器を取り巻く世界はどう変わったでしょうか。
 冷戦が終結した時、世界の人々は「平和の到来」を期待しました。核廃絶の客観的条件は、大きく改善されました。事実、南アフリカは核武装を放棄しましたし、NPT(核拡散防止条約)の延長、CTBT(包括的核実験禁止条約)の採択など、核軍縮への歩みは、それなりに前進しました。
 しかし、保有国が「核抑止力」に固執し、核廃絶への誠意を示さないうちに、とうとうインド、パキスタン両国が地下核実験に踏み切ってしまいました。私は訴えたいのです。今こそ、核兵器の本質に迫った「原水爆禁止宣言」を真剣に問い直すべきであると。
4  「原水爆禁止宣言」の継承を
 クリーガー 今、核廃絶運動は、岐路に立っています。冷戦が終結して十年以上が経ちましたが、核保有諸国の安全保障政策の根本には何の劇的変化もありません。相変わらず、核兵器に依存した安全保障が続いています。もはやだれのためになるのか明言できないにもかかわらず、いまだに核抑止理論があてにされています。一方、こうした現状に対する反対も世界で強まっていますが、核保有国の政府は今のところ、むしろ反対運動を妨げることに力を注いでいます。
 しかし、現状の無期限な持続は、核による破滅に終わりかねないのです。ゆえに私は、戸田城聖氏の「原水爆禁止宣言」は、今日もなおきわめて重要であると思います。広くSGIの青年部が戸田氏の思想を絶えることなく継承していくよう、池田会長が努力しておられることを、心強く思っています。
 戸田氏の宣言から四十周年の折に、SGI青年部の国際的な集会(九七年九月十三日、東京で開催されたSGI世界青年平和会議)で、講演の機会をいただいたことは、本当に大きな喜びでした。
 池田 ありがとうございます。多くの青年たちから、所長の講演に対する感銘の声を、私は聞きました。
 クリーガー 戸田氏は青年部に大きな期待を寄せ、氏の宣言も青年たちに向けられていました。青年への思いは、私も同じです。
 池田 魯迅に「血の一滴一滴をたらして、他の人を育てるのは、自分が痩せ衰えるのが自覚されても、楽しいことである」(石一歌『魯迅の生涯』金子二郎・大原信一訳、東方書店)という言葉があります。
 私に接してくださる師の姿が、まさしくそうでした。弟子である私もまた、同じ決意で青年の育成に命を削ってきたつもりです。
 クリーガー 青年は「未来」です。青年は自分が受け継いでいく世界に、当然、発言権があります。核の脅威をなくすには、青年たちが大いに活躍しなければなりません。
 SGI青年部への講演の後、「アボリション(廃絶)二〇〇〇」への署名運動を、創価学会の青年部が日本全国で開始されました。私は心から感動し、励まされました。
 そして、わずか二、三カ月のうちに、千三百万人の署名を達成された。劇的な努力です。この署名簿はすでに、核拡散防止条約の各国代表と国連の事務総長に手渡されました。「アボリション」へ世論を向かわせ、全世界の政治的意志を形成していくには、この署名運動のような劇的な努力が、もっと必要です。もう一つ、私の期待として申し上げますが、この千三百万人の署名を、日本のなかでもっと活用し、日本の政府が核兵器廃絶の強力な主唱者となるよう、影響力をおよぼしていければと思います。世界のすべての国の中でも、日本の政府がもっとも、核兵器廃絶を主張する必要を認識しているべきなのに、こう申し上げねばならないのは、ある意味で残念なことですが。
 池田 おっしゃるとおり、唯一の被爆国である日本が核廃絶の先頭に立つことは、人類への義務とさえ言えます。
 クリーガー 今までは、日本の政治の指導者は、アメリカの核の傘から脱し、真の核兵器反対の立場を表明しようという勇気がありませんでした。これから日本の民衆が政治指導者に強く要求していかないかぎり、これは変わらないのではないかと思います。
 池田 ご指摘は、ごもっともです。「平和」を追求していく以外に、日本の活路はありません。ともあれ、私たち創価学会は、政治の状況がどうであれ、仏法者として、核廃絶のその日まで行動をやめません。永遠に「平和勢力」です。
 師の遺訓である「核兵器は絶対悪」との精神を、いっそう、力強く叫んでいく決意です。

1
2