Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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2 「アボリション二〇〇〇」の挑戦  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

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2  「世界法廷運動」が「核兵器審理」を実現
 クリーガー 会長のおっしゃるとおり、NGOは庶民の声を代表し反映する上で、きわめて重要な役割を担っております。NGOは、民主主義国家の政治に異常なまでに大きな影響をおよぼしてきた企業の利益に対抗する勢力です。
 真の民主主義には、民衆の声が届くこと、そして民衆の利益が図られることが必要です。私たちは、核による人類絶滅の脅威のない世界の実現を、絶対に途中であきらめてはならないと思います。
 池田 そうです。戦い続けなければ、廃絶への扉は開きません。大事なのは、戦いをやめないことです。
 クリーガー 「アボリション二〇〇〇」の運動は、二〇〇〇年という一つの期限を設けましたが、大事なのは期限そのものよりも、とにかく核兵器の廃絶を成就することです。「必ず」そして「より速く」です。廃絶が遅れれば遅れるほど、核兵器の使用、国家やテロ集団への拡散が起きやすくなるからです。
 池田 今や、NGOが築いたグローバルな民衆の連帯が、国家の政策をも左右する時代となりつつあります。その一つの証明として、今日の「アボリション二〇〇〇」運動へとつながった、核兵器への勧告的意見をICJ(国際司法裁判所)に求めた「世界法廷運動」が挙げられます。
 クリーガー 「世界法廷運動」は、
 「アボリション二〇〇〇」と並行して進められていた運動で、その支援者には「アボリション二〇〇〇」と同じ団体や個人が参加していました。「核兵器で威嚇するのも、それを使用するのも違法である」ということを、ICJに訴える市民運動でした。
 池田 ICJの出した「核兵器の威嚇・使用は一般的に国際法に反する」「核軍縮交渉を誠実に追求し、かつ完結させる義務が存在する」という勧告的意見には、本当に勇気づけられました。
 クリーガー 「世界法廷運動」の先駆的努力は、目覚ましい成果を収めました。わずか二、三年の内に、このプロジェクトによって、世界保健機関と国連総会の双方が、「核兵器は合法であるか否か」に関する勧告的意見を、ICJに問うことになったのです。そして、一九九六年七月八日、おっしゃるとおり、ICJは画期的な意見を発表しました。その意見について私は一冊の本を、国際法と人権問題の権威である、デンバー大学のベッド・ナンダ教授とともに著しました。
 池田 そうでしたか。ナンダ博士は、私にとっても、大切な友人です。平和の同志です。一九九六年にデンバー大学の卒業式にお招きいただいたさい、私は光栄にも、SGIメンバーを代表して、名誉教育学博士の学位をいただきました。その前日、ナンダ博士のご自宅にうかがった思い出があります。博士が核廃絶に誠実に取り組み、ICJの勧告的意見を勝ち取るために運動されたことも、エッセーにつづりました。
 ともあれ、核兵器問題をICJに持ち込むまでが、たいへんでしたね。提訴決議案が国連総会で採択されるまでには、核保有国による執拗な反対工作があった。しかし、
 NGOの励ましにも支えられ、核軍縮に熱心な国々の団結によって、「核兵器審理」を実現させたのでした。
 クリーガー 問題がICJに持ち込まれても、議論は真っ二つに分かれました。核兵器を保有する諸国は、「核兵器の使用は国際法のもとに合法と認められる」と主張しました。それに対し、裁判所に代表を送った他の諸国の大半は、「核兵器を、人道的国際法のもっとも根本的な原則に違反することなく使用するのは不可能である」と訴えました。この原則には、戦闘員と非戦闘員の区別や、不必要な苦痛をあたえる兵器を使用しないこと等が含まれています。
 ICJは、最後は、ほぼ全面的に後者の主張に同意し、核兵器による威嚇または使用は、一般的に違法であるとの判断を下しました。ただ、その勧告的意見には、「国家の存在が存亡の危機にさらされる自衛の極限の状況において、核兵器による威嚇またはその使用が合法か違法かについては、国際法の現状のもとでは、はっきりと結論づけることができない」とも述べられています。こうした曖昧さもあり、ICJは全会一致で、当事国には、「すべての側面での核軍縮に導く交渉を誠実に追求し、かつ完結させる義務が存在する」と述べたのです。要するに、ICJは「アボリション二〇〇〇」の主張する時間枠までは認めませんでしたが、その見解を受け入れたわけです。
 池田 ICJの勧告的意見は、その後の核兵器廃絶の歩みにも大きな弾みをつけました。
 勧告の翌月には、さっそく非同盟諸国がジュネーブの軍縮会議に核廃絶行動計画を提案しています。オーストラリア政府のキャンベラ委員会は報告書を発表し、「核なき世界」を実現するための方策を三段階にわたって指摘しました。
 国連総会は、九六年九月に、CTBT(包括的核実験禁止条約)を採択しております。また同じ年のうちに、元軍人指導者による核兵器廃絶のアピールも発表され、大きな反響を広げました。ちなみに、九六年四月にはアフリカ非核地帯条約が調印され、一度は核兵器をもった南アフリカを含め、南半球のすべての陸地の非核地帯化が宣言されました。
 このように、九六年には、希望に満ちた動きが相次ぎました。いくつかの団体が、「アボリション二〇〇〇」と協力して、核兵器全廃条約の草案をつくったこともうかがっております。
 クリーガー おっしゃるとおり、核兵器保有諸国が核廃絶へ進むのを支援するため、「アボリション二〇〇〇」と連携しているNGOの一部は、核兵器保有国総会の開催に向けて、核兵器全廃条約のモデルとなる条約の草案を準備する作業にとりかかりました。この作業は主として「核政策法律家委員会」が担当し、科学技術に関することはINESAP(核拡散防止に関わる技術者・科学者の国際ネットワーク)が支援しました。こうして作成された条約案が、コスタリカによって国連総会に提出され、今では広く国連加盟国の代表部に配布されています。
 草案は、このような条約の締結が、実際に実現可能であることを示しているわけです。
3  核廃絶運動は「絶望」との戦い
 池田 冷戦時代には、米ソの厳しい対決の構図の前に、核廃絶のプロセスを描くことはむずかしかった。しかし、私は米ソの首脳同士が徹底して話しあい、核廃絶へ進むよう訴え続けました。
 今や「アボリション二〇〇〇」の運動のほかにも、九六年のキャンベラ委員会報告書、九七年のアメリカ科学アカデミー報告書など、具体的な方途が明示されつつあります。
 また、所長も参加されているNGO組織「中堅国家構想」が注目を集めています。ダグラス・ロウチ議長は、九九年、東京の創価学会本部を訪ねてくださいました。
 「中堅国家構想」の主張は、核保有国は核兵器廃絶への明確な意思表示をすべきであり、即座にとるべき措置として、「警戒態勢の解除」と「先制不使用宣言」があるというものですね。
 クリーガー 「中堅国家構想」は、重要なアプローチです。これまで、核を持たない多くのNATO諸国を含め重要な中堅国家に、代表団を派遣してきました。これらの代表団の目標は、派遣先のそれぞれの政府が核保有国に対し、核兵器の廃絶に向けて、具体的な第一歩を踏み出すよう働きかけることです。
 私はかつて、アメリカのリー・バトラー将軍や、ロバート・マクナマラ元国防長官、ロバート・グリーン司令官、ヒロ・ウメバヤシ博士等と一緒に、日本への代表団の一員として参加したことがあります。
 池田 核廃絶を願う市民の代表として、重大な使命を果たされている所長に、あらためて敬意を表します。
 ところで、「核廃絶は不可能」という人がよく指摘するのは、「完全な核査察システムは不可能」、つまり「ぬけがけの核製造やテロリストへの拡散を防ぐことはできない」という点です。また「一度手にした核兵器の知識は、消し去れない」という意見もあります。所長は、それにどう反論されますか。
 クリーガー 査察システムは、技術的な手段と現場査察の組み合わせで発展させることが可能です。段階的削減のなかで、しだいに信頼が築かれていくはずです。また、今日より大幅に核兵器の数が削減されれば、テロリストにとって核兵器の入手がはるかに困難になることも明らかです。
 確かに核兵器製造の知識は消し去れませんから、あらゆる核物質の効果的な国際管理体制が必要となってきます。この方向への幸先のよいスタートが切られてはいますが、もっと強力な管理体制が必要です。核兵器の廃絶がたやすい仕事だとはだれも言っておりません。どうしても必要であるということなのです。今、欠けているもっとも重要な要素は、政治的意志です。この政治的意志さえあれば、他の障害はすべて乗り越えられると思います。
 池田 そのとおりです。"意志"のあるところに、必ず道は開けます。さて、ICJの勧告後の現実はと言えば、米ロによるSTARTⅢ(第三次戦略兵器削減交渉)の枠組み合意、イギリスの核兵器の削減、発射態勢の緩和決定というわずかな前進を除いては、核保有国にICJの勧告を果たそうという誠意がみられません。そのわずかな前進も、「核抑止力」という時代遅れの発想から離れたものではありません。そして、インド、パキスタンの核実験、アメリカ上院のCTBT批准否決は、核廃絶へのタイムスケジュールを大きく後退させました。
 またロシアも、NATOの東方拡大の動きに反応して、ゴルバチョフ時代までの「先制不使用政策」をもくつがえしてしまいました。核廃絶運動は、変化する国際情勢に直面しながらの、「絶望」「あきらめ」との戦いであると実感しています。
 所長ご自身も、「アボリション二〇〇〇」に取り組まれ、喜怒哀楽の連続であったと思いますが。
 クリーガー 世界の現状を知ることによって責任が生じ、「あきらめ」は許されないと思うようになります。核兵器廃絶にかかわる私の仕事で感じた唯一のつらさは、価値あることをなしとげようとする闘いには必ずつきまとうものでした。拒否されたり、変化をもたらす力のある人たちに真面目に相手にされない時に感じる悲しさです。私はまた、成さねばならないとわかっていながら、それを成すための適切な方法が見つからないという苦痛も味わいました。
 しかし、しだいに多くの人たちが核兵器の廃絶を真剣に考えるようになり、私たちの運動はある程度は成果を収めたのではないかと思っています。この変化を、人々が私たちの運動の成果だと態度に表して認めてくれなくても、それはうれしいことに変わりありません。かつては「アボリション(廃絶)」という言葉を使うことにすら反感を表していたNGOのいくつかの団体が、今では彼らの活動綱領にこの言葉をとり入れています。
 池田 すばらしい前進です。核廃絶への民衆の包囲網は、着実に広く、強くなっているということですね。
 クリーガー ところが、皮肉なことに、核廃絶への民衆の支持が高まるにつれ、核保有国は逆に非協力的でタカ派的な態度をとってきています。しかし私は、自分が正しいと信じる目的をなしとげる闘争のなかに、喜びを見いだしたのです。私たちの運動が大きくなるのを見るのも、喜びでした。私たちの活動に若い人たちが参加するのを見られることも。世界中のすばらしい人々と出会い、
 ともに活動することも。私たちの時代においてもっとも困難な課題と思えることをなしとげるために、努力して精いっぱいに働くことも。他の人々と一緒に、私の信念を「生き方」にすることも。
 そして、平和の種子を蒔くことに、私は大きな喜びを感じてきました。苦痛や悲哀よりも、闘う喜びのほうがはるかに大きかったと思っています。
 池田 黄金の言葉です。信念の人とは「真理のために行動する人」であり、「詩人の異名」でもあることが、所長の言葉でよくわかります。
 それでは「アボリション二〇〇〇」の今後の課題とは何でしょうか。
4  「制限」から「廃絶」への前進
 クリーガー まず、「アボリション二〇〇〇」がネットワークであることを強調させていただきたい。この点が重要であると思うのです。各団体は、それぞれの独自の角度と技術で、ネットワークに寄与しています。たとえば医師や弁護士の団体、平和活動の団体、人権擁護の団体、環境保護の団体、宗教団体などが含まれています。
 と同時に、ネットワークならではの、強みと弱みがあります。強みとしては「多様性」と「責任の分担」が挙げられます。弱みは、たとえば組織の構造に明確さがないということです。
 具体的に申しますと、今までは、地雷禁止国際キャンペーンにみられたような、統一性や、焦点をしぼった問題の取り上げ方がなかった。
 しかし、そうした方向に向かっていることは確かですし、成功すれば、きわめて大きな勝利が、人類のために得られるでしょう。
 池田 私もそう期待します。運動がもたらした意義については、どうお考えですか。
 クリーガー どんな運動でも、意義をすぐに評価するのはむずかしいことですが、目標のバーを高く設定したのはよかったと思います。つまり、私たちは用語を変えることによって、問題を討議する前提を変えたと思うのです。
 私たちの運動の前には「廃絶」を唱える活発な世界的なキャンペーンはありませんでした。核兵器に対する関心の大方は、それまでは「兵器の制限」という意味での「アームズ・コントロール」(arms control)を用語にして論じられていました。私たちは「兵器の制限」では十分ではないという立場をとりました。「軍縮」を意味する「ディスアーマメント」(disarmament)でも十分ではないというのが、私たちの立場でした。私たちは前提とする目標のバーを「アボリション」(abolition)、つまり核兵器の「廃絶」という究極の高さに定めざるをえませんでした。
 そして実際、バーを高めることにある程度、成功したと言えます。今では核兵器を保有する国々も、最終目標は「アボリション」でなくてはならないと認識しています。しかし、それらの国々は、思惑としては、なるべく遅い前進を選んでいます。「アボリション二〇〇〇」ではなくて、「アボリション三〇〇〇」をめどにしているかのようです。これは認められません。
 今のところ、私たちの運動の意義として、人類への警鐘を鳴らすことに役立ったということは言えるのではないでしょうか。私たちは明らかにすべきことを明らかにし、現状維持は受け入れられないことを明確に主張してきました。私たちは、人間の品位を守る闘争にみずからの意見を表明してきたのです。
 池田 私どもの「アボリション二〇〇〇」への参画は、千三百万人の署名という形でした。仏法を基盤に、人間生命の尊厳を絶対の基調とする私たちの運動は、人類共通の「善性」を信じ、それに訴えてきました。その立場から、核廃絶への世論を高める啓発を行っていくところに、真価があると思っています。
 「核を手放せば国際社会でのステイタス(地位)を失う」という核保有国の頑迷さを、「核保有こそ国家のステイタスを貶める」という民衆の叫びで包囲していきたいと決意しております。

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