Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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3「楽観主義」と「漸進主義」  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

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8  民衆を強く賢明にする「教育」の力
 池田 一言で「戦争をなくす」といっても、民衆が立ち上がり、権力の暴走を止める力をもたなければ、戦争の悲劇はやむことはないでしょう。
 その意味でも、民衆一人一人が賢明になり、強くなり、連帯していくことが必要ですね。
 クリーガー 一人一人が、自身の英知や力量、団結心を十分に発揮できるような社会を創造することは、大きな挑戦です。これは、基本的には、教育の問題であると思います。
 そのような社会では、指導者たちもこうした資質を備えていますので、監視されたり、窮屈な抑制を受ける必要はないでしょう。しかしながら、今日のほとんどの社会は、この理想とは、ほど遠い状態にあります。よって、教育の重要な要素として、批判精神と独立心に富む思考力を培うことが大切になるのです。
 批判精神にもとづいて思考することにより、人間は当然のこととされてきた考え方に挑戦し、論理的基盤に立って、さまざまな要因を認識して、自分なりの判断に達することができるのです。
 自分で思考するためには、「考える力」に自信をもつことが必要でしょう。人々にその自信をもたせることも、重要であり、奨励されるべきです。私はベトナム戦争中、アメリカを風靡した、
 車のバンパーに張るステッカーにあった「権力に挑戦せよ」という言葉を思い出します。
 皆が自分の力で思考し、政治的権力者たちが行っている違法で倫理に反した戦争に協力しないというのが、メッセージの根底にあったのです。
 池田 そうでしたか。師もつねに「心して政治を監視せよ」と教えていました。そして、暴走する危険性をもつ権力を、人間のため、民衆のためという本来の方向に向かわせる原動力が教育であると強調していたのです。
 かつてほとんどの権力者は、民衆を飼い慣らすために、教育から遠ざけようと腐心してきました。教育が整備される時代に入っても、それは、権力への忠誠心を植えつけるためだけのもので、民衆が自分の力で考えるための教育は、長らく妨げられてきたと言えるでしょう。
 独裁者というのは、教育の発展を恐れるものです。本能的な嗅覚で、人々を無智のままにし、権威に従属する存在にしておきたいと思うからです。
 同様に、人間を隷属させようとする悪しき宗教も、教育の力を恐れ、教育に尽力する人を迫害してきた歴史がありました。教育がなければ、人間はやすやすと政治的権威や宗教的権威の奴隷になってしまう危険性がある。民衆がだまされ続ける限り、権力者はますます横暴になっていく――この悪循環を断ち切らねばなりません。断じて、戦わなければなりません。
 クリーガー まったく同感です。人々がみずから思考し、権力を自発的に監視する社会では、国家が弾圧や非道な行為を犯すことはむずかしくなるでしょう。民衆は日常生活のなかで批判精神を持ち、必要な時には権力の横暴を阻止するのに積極的でなければなりません。
 もちろん、政権が独裁的で抑圧的である場合は、権力への挑戦はより困難となるでしょう。しかし、その場合は国際社会が介入し、権力に挑戦する人々への権利侵害をやめさせなければなりません。

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