Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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2 行動だけが「平和」を創る  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

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1  「戦争の世紀」から「平和の世紀」へ
 池田 二十一世紀の開幕にあたり、私たち人類が取り組むべき第一の課題は、「戦争の文化」から「平和の文化」への転換です。国連は、二〇〇〇年を「平和の文化のための国際年」に定めた上で、二十一世紀の最初の十年間(二〇〇一年―二〇一〇年)を、「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力のための国際の一〇年」とすることを、決議しました。
 こうしたなかで、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)の青年部は、「非暴力」を啓発する対話・署名運動を、一九九九年の夏から開始しました。これは、「二十一世紀を、生命尊厳の平和の世紀に」と願うアメリカの青年たちの発案で決まったものです。「ビクトリー・オーバー・バイオレンス(暴力に打ち勝つ)」と銘打ち、配布される署名カードには、次の三つの誓いが記されています。
  「一、自分の生命を尊重します
   一、すべての生命を尊重します
   一、人々に希望を与えていきます」
 クリーガー その運動については私も知っています。すばらしいことです。とりわけ、"時代を変えたい"という思いから、青年たちがみずからの意志で立ち上がることは、まことに意義が大きいと思います。アメリカでは、コロラド州のリトルトンで起きた高校生銃乱射事件をはじめとする一連の暴力の現況に対して、心ある人々は「どうしたらこの問題を解決できるのか?」と、真剣に考え始めています。アメリカにとって、今ほど「非暴力」の思想が必要とされている時はないのです。
 核時代平和財団では、世界人権宣言にもとづいた、人権と義務に関する高校生用のカリキュラムの作成に着手しました。人権が尊重され、支持されるようになれば、暴力は大幅に減少するのです。その意味でも、署名カードにある三項目は、社会がかかえる重大な暴力の問題に個々人がどう対応していくべきかについて、重要な示唆をあたえるものです。
 私は、この誓いを作成した青年たちの考えに賛成です。すなわち、非暴力の基盤は、自身を尊重することです。そしてそれが、一人一人の尊厳を大切にすることにつながるのです。
 池田 アメリカのみならず、今や、世界中で、「暴力の文化」が氾濫し、人間の尊厳性を脅かしています。日本においても、その深刻さは変わりません。「戦争と暴力の二十世紀」を通じて、子どもたちの心の底にまで深く根づいてしまった「生命軽視」の風潮を、いかに転換していけるか――。これこそが、二十一世紀の出発点に立つ、私たちの最重要の課題だと思うのです。アメリカ青年平和会議のメンバーは、「非暴力教育」のためのビデオを製作するなど、さまざまな工夫をこらしながら、草の根の対話運動を繰り広げました。
 その結果、青年たちの想像を超えた多くの共感の声が、全米各地から寄せられたようです。また、何よりも、彼ら自身が、多くのことを学び、成長することができました。
 クリーガー 青年たちが行動を起こすとき、彼らは必ずその経験から多くのものを学ぶのです。「暴力の文化」のなかで非暴力を明確に主張し、行動することは、勇気がいります。しかし、「暴力の文化」を「平和の文化」へと転換する道は、それ以外にはないのです。
 池田 そのとおりです。私たちのめざす平和とは、軍事力や経済力による覇権によってもたらされるものではなく、平和的手段によって勝ち取るべきものです。平和といっても、だれかの不幸や犠牲の上に成り立つようなものでは意味がない。そのようなものは、にせものです。どの民族も、いかなる国の人々も犠牲にならずに、ともに平和と幸福を享受できる世界を築かねばならない――これが、私の師である戸田第二代会長の叫びでした。
 そのための第一の武器となるのが「対話」です。迂遠なようでも「対話」で道を一つ一つ開いていくしかない。人間の心は、対話を通じた魂の交流、深い生命次元での触発なくして、真に揺り動かすことはできないと思うからです。私たちSGIが対話を通じて、粘り強く「人間革命」運動を推進している理由も、ここにあります。
2  ソクラテスの勝利を弟子の闘争が証明
 池田 「対話」という点で、私が思い起こすのは、"対話の名手"として名高い哲学者ソクラテスです。
 クリーガー ソクラテスは偉大な"対話の実践者"でした。まさに彼にとって、「対話」は知るための手段の核心をなすものでした。彼はつねに、「対話」を通して真理を明らかにすることを求め、真理に到達するまでは、途中で満足することはしませんでした。
 この方法論と真理への探求ゆえに、彼は危険な「虻(うるさい奴)」と見なされたのです。
 池田 彼は、現実から逃げ、戦おうとしない人間を厳しく批判しました。弟子プラトンは『国家』の中で、師ソクラテスの言葉をこうつづっています。
 「彼(=現実から逃げる人間)は、静かに自分の仕事だけをして行くという途を選ぶ。あたかも嵐のさなか、砂塵や強雨が風に吹きつけられてくるのを壁のかげに避けて立つ人のように、彼は、他の人々の目に余る不法を見ながらも、もし何とかして自分自身が、不正と不敬行為に汚されないままこの世の生を送ることができれば、そしてこの世を去るにあたっては、美しい希望をいだいて晴れ晴れと心安らかに去って行けるならば、それで満足するのだ」(『国家』藤沢令夫訳、岩波文庫)と。
 たしかに、泥沼のような現実にかかわることなく、おとなしく自分の世界だけに閉じこもっていれば、何も傷つかない。批判もされないし、気楽かもしれない。しかし、本当に深く大きな人生とは、たとえ満身創痍になっても勇気を奮い起こして戦うなかにあると、私は思うのです。
 クリーガー 同感です。ソクラテスは"社会を照らす光源"でした。彼は真理を探求するとともに、誤った既成の価値観に挑戦しました。彼は、人々の心に突き刺さる問いを発することによって、他の人々を教育しようとしたのです。
 私の父は、ソクラテスに心酔していました。子どもの私にもソクラテスを学ぶように勧めたのです。
 池田 そうでしたか。
 クリーガー ですから、私も、ソクラテスに関する本は、楽しく読みました。ソクラテスは既成の社会秩序に対して、故意に挑戦的な問いを発しました。ゆえに、他のアテナイ人から「あなたは、アテナイの青年たちを堕落させた」と非難されることになったのです。
 私たちが同じように、青年たちに対し「世界市民の気概をもて」と訴え、人類に対する忠誠を強調し、大量破壊兵器に依存する国家の安全保障政策に挑戦し続けていけば、おそらく、「青年たちの心を(国家の)外の世界に向けさせ、彼らを堕落させた」と非難されるかもしれません。
 池田 人類の未来のために正しいことを訴え、戦う人を非難する――こうした転倒は、いつの時代も、世の常なのかもしれません。
 ソクラテスが正義を叫び続けたために、非業の死をとげたことは、有名な史実です。
 プラトンの『ゴルギアス』にあるように、「自己自身と不調和であることに比べたら、全世界と不調和であることのほうが、ずっとましである」と述べたソクラテスは、死刑宣告を受け、毒杯をあおいで死を選んだ――。
 彼の死については見解が分かれるところですが、所長はどうお考えになりますか。
 クリーガー 率直に言えば、ソクラテスは毒杯をあおぐよりも、むしろ友人たちの忠言を受け入れ、国外に亡命すべきであったと、私はつねに思ってきました。というのも、ソクラテスは毒杯をあおぐことによって、みずからが正義と信じるものより、国家のほうが上に立つことを受け入れる結果となってしまったからです。私は、"個人の良心"は国家の権威よりも上に立つと信じています。
 「自分は何も間違ったことはしなかったと判っている時には、国家の権威を受け入れてはならない」――これが、ソクラテスの最後の教えであるべきだったのです。ソクラテスには自分の主義のために死ぬのではなく、国家に逆らってでも自分の主義のために生きぬいてほしかった。ともあれ、彼が、人生を通して、「人間は、世界の諸問題を傍観してはならない」ということを身をもって示したことは間違いありません。
 池田 ソクラテスの死は敗北ではありませんでした。ソクラテスから弟子プラトンに、偉大な精神が厳然と受け継がれ、プラトンが師の正義を宣揚したからです。
 ゆえに、ソクラテスの思想と生涯は、現代にいたるまで不滅の輝きを放ち続けてきた。私は「正義の人」ソクラテスの勝利劇は、この師弟の闘争があったればこそと思います。
 私も、あとに続く青年を信じ、平和への闘争を続けてきました。
 クリーガー ソクラテスの存在を不滅にしたのは、プラトンでした。いつの時代にも、私たちの言葉や行動から何かを学んでくれる若い世代がいるものです。私は青年を大いに信じています。地球の未来は彼らの手中にある。彼らは未来の選択をさけることはできないのです。
 正義に満ちた世界を築くために、青年が能力を十分に発揮できるよう、立場と機会をあたえることが、池田会長と私に共通する目的ではないでしょうか。
 これは、批判や障害があろうとも、実行しがいのある目的です。また、それが地球市民として生きる私たちの義務でしょう。ソクラテスも、きっと認めてくれると思います。
3  苦難こそ人生の宝
 池田 「批判や障害があろうとも」との一言には、"行動の人"ならではの重みがあります。そこで所長にお聞きしたいのですが、これまで平和のための行動を重ねられるなかで、もっとも苦しかったことは何でしょうか。
 クリーガー もっとも大きな苦しみは、私が自己満足の壁にぶつかったときに、よく経験しました。しかし、もっとも苦難にあった時は、同時に私がもっとも成長した時でもありました。
 池田 深い言葉です。私が青春の日よりモットーとしてきたのも、「波浪は障害に遭うごとにその頑固の度を増す」との言葉でした。
 クリーガー まさに問題は"決意"と"粘り強さ"です。私はマハトマ・ガンジーやマーチン・ルーサー・キング、アルベール・カミュのような偉大な人物の言葉を自分の支えとしてきました。また、ケネディ大統領の言葉で私が三十年以上も大切にしてきた言葉があります。
 「われわれは、ふたたび戦争をしないと決意するには、民衆はまだ十分には戦争の恐ろしさを知ってはいないという事実に立ち向かわねばならない。良心的兵役拒否者が、今日の戦士が受けるものと同じ評価と名声を受けるようになる、はるか遠い日まで、戦争は存続するだろう」――。
 そして、これまでの私の闘争はすべて、愛する妻と子どもたちに支えられてきたものです。平和をめざす人生の旅路を、妻は終始、ともに歩んでくれ、子どもたちもつねについてきてくれました。家族の支えを得ることができ、私はとても恵まれています。
 池田 すばらしいことです。平和について語り論じる人は多い。だが実際に行動する人は少ない。最後まで戦いを貫く人は少ないのです。
 しかし、たとえ一人になろうとも、最後まであきらめずに、戦い続けねばならない――この鉄則を私は、師の戸田先生から身をもって厳しく教えられました。亡くなる前年、「戦わなければ正義は敗れる。正義であればこそ負けるわけにはいかない。断じて勝たねばならない。だから戦うのだ。獅子は吼えてこそ獅子である」と叫ばれた師の言葉は、片時も忘れたことはありません。
 クリーガー 人生において、私たちが指針とし、そして次の世代に伝えるべき重要な言葉です。新たな世代の人々は、その精神を受け継ぎ、正義のため、平和のための戦いを、さらに発展させなければなりません。
4  若きアランを導いた師の教え
 池田 師弟ということに関連して、フランスの哲学者アランの、若き日の興味深いエピソードを紹介したいと思います。というのも、アランは師匠から薫陶を受けたことがきっかけとなって、後に"行動する知性"として大成するにいたったからです。
 クリーガー ぜひ、お聞かせください。
 池田 アランの高校時代、全国共通の大コンテストが開かれ、そこに彼も参加することになりました。そのときの問題は、「正義について書け」という内容でした。すでに修辞学に長じていたアランにとって、「正義」という普遍的な問題について作文を書くことなど、とても簡単なことのように思われた。
 さっそく、ペンを走らせようとした時、監察官として会場に立ち会っていた、師匠のラニョーと目があったというのです。"いいものを書けば、喜んでくれるにちがいない"と目を輝かせるアランに対し、師の眼差しは、いつになく厳しかった。その目は何か、"お前はこの問題について、なにも知らない。思いつきに走るな"と言っているように、アランに伝わってきた。なぜなら、正義という問題は、師が決して論じようとしなかったテーマであった。正義とは、ラニョーにとって「論ずるもの」ではなく「行うべきもの」であったというのです。
 そこでアランは思い直し、答案用紙に即興でソネット(十四行からなる定型詩)を三つ書いて提出した――と。(アラン『ラニョーの思い出』中村弘訳、筑摩書房、参照)
 クリーガー このエピソードには、示唆深い重要な教訓がいくつか含まれていると思います。
 まず第一に、この話が私たちに促すのは、「言葉のみでは不十分である」ということです。言葉は思考と認識にもとづくものであると同時に、少なくとも「実行する意思」を含むべきものであるのです。
 第二に、「青年の人格形成には、良き師の存在が重要である」ことを実証しています。アランは、池田会長と同様、良き師に恵まれました。
 第三には「自制の大切さ」です。言うべき意義のある考えを持たない場合は、たんに口先だけで発言しないほうがよいということです。
 そして最後の第四には、「正義は行動を必要とする」という点ですね。
 アランの話が象徴しているように、正義という問題に関して人間の真価が問われるのは、"教室での試験答案"によってではなく、"現実にどう生きるかという行動そのもの"なのですから。
 池田 アランはラニョーのことを、「私が出会った唯一の偉大な人間」「私の唯一の師」(同前)と呼んでいたそうですが、本当に、師というものはありがたい存在ですね。
 アランの気持ちは、私にもよくわかります。私が今日あるのも、すべて戸田先生の十年余にわたる訓練があったからこそです。これだけは、断言できます。
 クリーガー 偉大な師というものは、献身的で有能な弟子にめぐり会うという幸運を持ちあわせているものです。
5  「平和提言」で人々の意識を啓発
 池田 みずからも「原水爆禁止宣言」など先駆的な平和思想を世に問うた師は、「人類の平和のためには、"具体的"な提案をし、その実現に向けてみずから先頭に立って"行動"することが大切である」と、私に繰り返し語っておりました。そうすれば、たとえすぐには実現できなくとも、やがて平和の火種となり、炎となって広がっていく。空理空論はどこまでも虚しいが、具体的な提案は、実現への柱となり、人類を守る屋根ともなっていく――と。
 この師の教えを、若き生命に刻んだゆえに、私は寸暇を惜しんで学び、思索に思索を重ねてきたのです。
 私が一九八三年(昭和五十八年)以来、毎年発表し続けてきた平和提言をはじめ、数々の提言は、こうした思索のなかから生まれたものです。そして、みずから訴えたことを現実のものとするために、真剣に行動してきました。
 理想を高く掲げつつ、平和実現のための具体的な方策を、行動を通して提示することが重要であると、私は考えてきたのです。
 クリーガー 池田会長の平和提言には、私たち人類が直面する深刻な諸問題についての明察と、これらを解決する行動への力強い数多くの提案が見られます。
 池田 会長の提言は、たんなる洞察や観察にとどまらず、人々の意識を啓発するもの――一種の教育の役割をもったもの、また、行動への呼びかけとしての働きをもっています。
 世界的な民衆組織の指導者として、会長が平和提言を世に問うことは、人類に対する重要な責任を果たしておられることに他ならないと、私は考えます。会長が呼びかけられる人々はじつに多いですし、その人々がさらに多くの人々に呼びかけることができます。世界が現実に変革されるのは、こうしたビジョンと言動の絶えざる一貫性によるものであると思います。
6  対話の積み重ねで「平和の大道」は開かれる
 池田 所長がご指摘のように、現実変革のためには民衆の力強い連帯が欠かせません。
 ですから私は、永遠に崩れることのない民衆の一大平和勢力を何としても築こうと、世界を駆けめぐってきました。"対話"は一見地味なものかもしれませんが、真に人間を変えるのは魂と魂が響きあう対話の力です。「千里の道も一歩から」で、対話の積み重ねのなかから平和の大道も開かれていくと、私は確信し、実践もしてきました。世界の善なる人々のネットワークを広げようと、国や民族を超えて、人間という同じ立場で忌憚なく語りあい、友情を結んできたのです。
 クリーガー 池田会長が平和への具体的行動とともに対話を推進してこられたことは、よく存じております。対話は、さまざまな視野と経験をもつ人々と理性的に話しあうことによって、世界についての理解を広げる重要なものです。私が、一九七〇年代の初めの二年間をすごした「民主公共機関研究所」における研究活動は、対話を中心としたものでした。そこでは、時局の緊急問題を討議するために、専門分野の異なる十五人から二十人の参加者を集めて、対話を行ったのです。
 しかし、その研究所での問題の一つは、参加者の経歴と立場が、実際のところ、十分に多様な広がりをもつものでなかったことでした。重要と思われる観点の多くは、参加者の意見の違いとなって反映されることもなく、真の対話にはなっていなかったのです。
 池田 つまり、立場や考えの違いが、さほど変わらなかったために、対話がもつ創造性が思ったほど発揮されなかったということでしょうか。
 クリーガー ええ。そもそも対話という以上は、さまざまに異なる文化の領域にわたることが重要となるでしょう。会長はこの点をかねがね重要視され、実行してこられたと、私は理解しております。"困難な問題に取り組むには、まず対話がよき第一歩である"との会長の信条に、私は強く賛同します。
 時には対話が、すぐに答えを導き出せないこともあるでしょうが、むずかしい問題に光を投じる形で問題の焦点を浮かび上がらせる方法として、対話は相互理解を進める役割を果たすものなのです。
7  変革は時代の必然
 池田 そこで所長におうかがいしたいのですが、これまで平和のための行動を続けるなかで、もっとも勇気づけられたこと、うれしかったことは、どのようなことでしたか。
 クリーガー 喜ばしいことに、最近はいくつかの重要な点で世界に変化が起きており、私は意を強くしています。国家間の戦争の数は減少し、生物・化学兵器の禁止についても前進がありました。長らく続いた冷戦も終わりましたし、核軍縮への前進もいくらかありました。
 そしていくつかの独裁政権が、より民主的な統治形態に交代しました。これらはすべて明るい兆しです。まだまだ十分ではありませんが、これらは小さな変化ではないことも事実です。私たちの住む世界が、このままの状態で続いてよいはずはありません。何よりも私は人類に対する"核の脅威"を終わらせたいのです。そして、紛争解決の手段としての戦争がなくなることを望みます。
 これらは、ただ「そうすべきだ」と声をあげるだけでは達成できません。だからこそ、私は行動を呼びかけてきました。私は、全身全霊で取り組んだ運動に前進の兆しが見えた時、たとえそれが小さなものであっても、いちばん幸せを感じます。
 池田 所長が言われるように、時代は着実に変わってきています。
 第二次世界大戦後まもなく、東西冷戦のイデオロギー対決が激化するなかで、師の戸田会長が「地球民族主義」という理念を提唱したとき、多くの人々が夢物語だと笑いました。しかし今日では、民族主義や国家主義を、どう乗り越えるかが、世界が直面する課題となってきているのです。「現実的でないから」と安易に現状追認をするのは、惰性におちいった思考法です。たんに「今まで不可能だったのだから、今後も不可能である」と考えることは、正常な判断を停止していることにほかなりません。
 大切なのは、"変革は時代の必然である"との確信にもとづく行動でしょう。時代に合わない無用なものであり、有害なものであると人々が判断すれば、奴隷制やアパルトヘイトが消滅したのと同じく、軍備をなくしていくことも、まったく無理な話ではないと思います。国際世論の高まりを受けて、「対人・地雷全面禁止条約」がわずか一年たらずで成立をみたように、核兵器廃絶も不可能ではないし、むしろ私たちはその道を開いていかねばならないでしょう。
 クリーガー それこそが私の意図するところであり、目標であり、最大の望みです。
 それは可能であり、そして人類の未来の安全にとって必要なことなのです。私たちの時代における最大の挑戦であり、全人類にとって必要なことなのです。それは、全人類にとっての真の転換点になると、私は考えています。
 私たちに選択の余地はありません。この現代の最重要の問題に対し、行動を起こすのみです。

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