Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

1 変革への意志と「民衆の力」  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

前後
5  「国益」から「人類益」へ意識変革を
 クリーガー 同感です。現代の矛盾とは、国家に忠誠を尽くすことが、しばしば人類のためになる行動を妨げる時代なのに、人々が今なお国家に忠誠を尽くすように教育されていることです。
 もっとも必要な教育は、大量破壊兵器と戦争を禁止し、世界の人々の人権を守るためのものです。
 しかし、人道に反する重大な罪を国際法のもとで裁く世界を建設しようという方向へ、人々の意識を向けていく国家の指導者は、今もきわめて少ないのです。
 池田 「国際刑事裁判所」の設置を求める運動を、所長が続けてこられたことは、よく存じています。九八年七月、ようやく、国際刑事裁判所設立のための条約が採択されたことは、まことに意義深いことでした。国連のコフィ・アナン事務総長は、それを「将来の世代への希望の贈り物」と評価しましたが、裁判所を実効性あるものに育てていくためにも、民衆のさらなる後押しが必要になると思います。
 クリーガー そうです。民衆にはその「力」があります。民衆は自分たちが悪用された時、それを鋭く感じとるものです。専制に対抗すれば、途方もない大きな障害に遭遇することになりますが、そこで退かずに立ち上がり、対抗する力が民衆にはあるのです。
 しかし、強大な国家で生活する大多数の国民は、自分たちの安全が大量破壊兵器に依存している状態と、それが潜在的に引き起こしている危険性に気づいていないようです。核保有国は他国を脅かすことはできますが、逆に、自分たちも同様の大量破壊兵器の犠牲になる脅威をも背負っています。また豊かな国家の国民が、えてして貧しい国の人々の苦しみに冷淡であることも事実です。
 富める国と貧しい国の格差を縮める努力は、ほとんど行われてはいませんし、その格差はじつのところ拡がる一方なのです。
 池田 グローバリゼーション(地球一体化)が急速に進むなかで、
 私たちはたがいの行動が大きな影響をあたえ合う時代を迎えています。その状況を認識し、これまでの「国益至上主義」の思考を改め、「人類益」に立脚した共存共栄の地球社会をめざす発想への転換が、求められています。
 私たちは、「ある場所の不正義は、あらゆる場所の正義にとっての脅威である」とのキング博士の言葉を、かみしめる必要があります。「国益」から「人類益」への転換――そのカギとなるのは、所長がおっしゃるように、他者を思いやる想像力ではないでしょうか。他の人々の苦悩に胸を痛める「同苦」の心、これを仏教では「慈悲」と説きます。
 クリーガー 今ほど、他者への想像力が必要とされている時代はありません。しかし現実は、「同苦」や「慈悲」とは正反対の、「自分さえよければよい」という考えや無関心が、裕福な人々の間に蔓延している。この事態を、私はもっとも心配しています。人類には、世界をもっと道義的なものに変革する、秘められた能力があるはずなのです。
 しかし、各地で起こる出来事を最新技術を駆使した世界的な情報網によって知ることができるにもかかわらず、大半の人々は危険な"自己満足"の感覚のなかに眠らされたままなのです。
 その姿を、ローマが燃えているのに夢心地にある暴君ネロの姿に譬えることができます。全地球的な脅威が増しているのに、安閑としてテレビのホーム・コメディーなどに興じている。それでは、破滅への流れを押しとどめることはできないのではないでしょうか。
 池田 厳しく現実を見つめ、一人一人が自分の身近で行動を起こすことです。声を発することです。
 自分一人ぐらい、といった考えがもっとも悪い。民衆一人一人が結びつき、
 根本的な意識変革をとげねばなりません。もはや、猶予はないのです。哲学者ヤスパースは、現代人の置かれている状況について、「われわれは、われわれに許された僅かな瞬間において、現存在の幸福を享受することを許されている。けれども、これは土壇場の猶予である」(『哲学の学校』松浪信三郎訳、河出書房新社)と指摘し、次のような警句を発しました。
 「人間の喪失、人間的世界の喪失という深淵におちいるか、いいかえれば、結果として人間的現存在一般の停止を選ぶか――それとも、本来的人間への自己変化によって、また予見されえない本来的人間への機会によって、飛躍をなしとげるか、いずれかを選ばなければならない」(同前)
 クリーガー その意味で、私たちの最大の挑戦課題とは、人類全体、また各人が直面している危険に目を覚まし、変革を要求する行動を世界中の人々に起こさせることでしょう。
 これは容易ではなく、実際は一対一の説得によって進めなければならないものかもしれません。それだけに、時には気力が挫かれ、希望を失うこともあるかもしれない。
 だからこそ、希望とともに、強い意志の力、精神の力が必要となるのです。

1
5