Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

1「戦争の世紀」に生まれて  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

前後
6  平和運動のきっかけは「ベトナム戦争」
 池田 SGI(創価学会インタナショナル)の平和運動も、まず他者の苦しみを思い、同苦する心を持つことから始まります。今のお話は、私たちの理念と軌を一にしています。
 さて、所長のお生まれは一九四二年(昭和十七年)。核兵器の登場とほぼ重なります。冷戦の真っただ中を、当事国アメリカの国民として生きてこられた。平和運動を志す大きなきっかけも、学生時代に遭ったベトナム戦争とうかがっています。所長の世代は、いわば「核時代の子ども」と言えますね。
 クリーガー 私の世代を「核時代の子どもたち」と見なすのは、もっともなことです。私自身、「核時代の子ども」だと思っています。
 私が生まれた一九四二年は、物理学者のフェルミとシラードが核分裂の連鎖反応を初めて人工的につくり出した年です。その三年後に、米国は最初の核兵器実験を行い、三週間後に核爆弾をまず広島に、ついで長崎に投下したのです。もちろん、その時は、この出来事について知識を持ち、関心をいだくには、私は幼すぎましたが、自分の誕生後の最初の数年に起きたこの出来事が、
 いかに私の世代の人間形成に影響をおよぼしたか、今ではよくわかります。
 池田 では、ベトナム戦争当時は、どういう心境でしたか。
 クリーガー ベトナム戦争は、私に大きな衝撃をあたえました。これは私の世代に起きた戦争です。私たちの世代の背後には核兵器の問題がありましたが、ベトナムでの戦争が私たちにおよぼした影響は、直接的なものでした。私たちは、世界の向こう側にいる貧しい農民に対して、あの戦争を行わねばならない世代だったのです。
 しかし私個人は、戦争に反対したことを誇りに思っております。あれは虚偽をもとにした戦争でした。たとえば、米国は、選挙を実施したら、ホー・チ・ミンが勝利するだろうと思っていましたから、ベトナム人のあいだでは同意していた選挙を行わせなかった。民主主義に反することです。しかもその後、リンドン・ジョンソン大統領は、トンキン湾事件について議会に嘘を述べました。
 毎日夕方にテレビで流されるニュースで、私は、その日の戦闘で米国側とベトナム側に何人の死者が出たかという発表を見ていたのを思い出します。"こちらの戦死者よりもベトナム人の戦死者のほうが多い、だから勝っている"と、私たち視聴者は印象づけられました。強く大きなわが国が、遠くて小さな国を相手に戦っていることが、私は嫌でたまりませんでした。
 池田 ベトナム戦争について「国際政治のプロたち」が複雑な議論に明け暮れていたころ、二十世紀を代表する歴史家トインビー博士は言われました。
 「私はむずかしい政治問題は、すべて人間という観点から見ることにしています」「ベトナムについても、私は、全土が戦場になっているベトナムの全民衆のことを、真っ先に考えます。とくに、小さな子ども、老人、病人などが、どんなに苦しんできたかを思うと、一刻も早く平和が訪れてほしい。ベトナムが統一された時、どんなイデオロギーで支配されているか、それは別にどうでもよいことです」と。
 知識人であれ何であれ、本物とは、「民衆」の側に立つ人です。「人間」という観点から見る人です。
 正義とは、また真理とは、つねに明快なものです。私たちSGIの平和運動は、この草の根の民衆をいっさいの基盤としているのです。

1
6