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日蓮大聖人・池田大作

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あとがきに代えて  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

前後
2  私が理解するところでは、その革命は、「すべてが自由である」社会にとってかわる社会を創出していく闘争であり、来るべき千年紀という新時代への責任を引き受けるための闘争なのです。
 その新時代は、一方での世界のグローバル化と、他方での地域の統合化――極東圏とか欧州共同体――との間に、バランスを打ち立てる時代となるでしょう。
 最後に私は、きわめて個人的ではありますが本質的なことを述べて、この対談を終えたいと思います。
 私は、池田大作氏と、直接的に、あるいは書簡を通して、語りあう機会にめぐまれました。このことは、私にとって特別に重要なことでした。
 足かけ二十年間にわたる意見交換は、私の性格や人間関係における頑固さを抑制するのに役立ち、寛容であるということの真の意味を理解するのに役立ちました。
 ここで、長い対話の終わりにあたり、東方正教会の文化的共同体の中の一個人として成長してきた私が、なぜ池田大作氏を「池田先生」とお呼びするのかをご説明したいと思います。
 私が先生と呼ぶ人々には、人生における道徳的指導者であった両親や、知識と知恵をあたえてくれたペーテル・ディネコフ教授、およびイヴァン・ドゥイチェフ教授がおります。そして、そのリストに、寛容であることを教えてくださり、寛容のまさに本質をあたえてくださった池田先生を加えさせていただいたのです。
 私は、本書の中で、ブルガリア人や、ブルガリアの歴史、文化、体験を、寛容な態度で評価するよう努めました。それらの評価は、批評的な視点から、また「他者」としての視点から行ったものです。
 新たな世界は、もはや一極的なものではなく、寛容や、各々の国および個人の文化的伝統、精神的価値を基盤とすべきものである、と私は希望しております。その希望の重要な部分こそ、池田先生が私にあたえてくださったものなのです。
  一九九九年十月十二日 アクシニア・D・ジュロヴァ

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