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日蓮大聖人・池田大作

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女性と家族  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

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12  池田 私はかつて「家族」と題するエッセーで、母と子の“絆”について、次のような所感を述べたことがあります。「家庭における母は、太陽のごとき存在であるべきだと思う」「そうした母の面影をいだいて、子どもたちは慈愛に生きる道を知り、悪に挑戦する知恵と勇気をはぐくみ、万物を支える大宇宙の営みに畏敬の念を呼び起こしていく」(『創造家族』、本全集第20巻収録)と。
 ところが、今、日本では、世代間の対立が非常に深刻なものになってきています。極端なケースでは、家族の一人一人が部屋を持ち、それぞれがテレビを持ち、バラバラの番組を見て過ごし、食事も一緒にとらない。冷蔵庫には、それぞれの好みの飲料がバラバラに入っている。そのような家庭がふえています。そこでは、家族の“絆”は失われ、家庭は、ただ年代別の消費性向を持つ消費者の集まりとしか言いようがありません。
 このような状況を見るにつけ、「友情」とか「家族愛」といった人間性の“絆”を回復する一つの道として、先ほど挙げた他者につくす無償の公共的行動が、重要になってきたと実感しております。他者への奉仕を通じて、愛情、信頼、共感の心が養われるからです。
 事実、創価学会の青年たちは、その活動のなかで、「貨幣」や「消費」以上に大切な「友情」や「家族愛」といった人間的な“絆”を、体験的に学習していくことが多いのです。
 ジュロヴァ それは非常にすばらしいことだと思います。私には未来の社会がこうした“絆”を完全に断絶するとは考えられないのです。
 池田 私も、同じ意見です。コンピューターの発達で、さまざまな情報伝達の手段はますます発達していきます。しかし、その手段を使って伝達される情報の内容が、いちだんと豊かになっていくとは言いがたいものがあります。むしろ人と人との豊かな交流を、うとましいと考える傾向性も生じてきています。人間は、たんなる“情報の交換”だけで生きることはできません。情報を知識として生かすためにも、人格的な交流が必要なのです。
 コンピューター・ネットを介した情報交換は、気に入らなければ切断することができます。しかし、他者との人格的な交流は、気に入らないからと言って、そうやすやすと切れるものではありません。そのわずらわしさを避けるのではなく、積極的に他者との人格的交流を積み重ねていくことによって、“友情”や“信頼”をつちかい、情報を活用する人生の知恵を得ることができるのではないでしょうか。

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