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日蓮大聖人・池田大作

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仏教における美術の役割  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

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2  ジュロヴァ キリスト教と同じく、仏教も豊かな芸術、文化を育んだのですね。
 池田 そのとおりです。残念ながら、現代世界においては、「芸術の力」はいちじるしく衰弱しております。芸術が人間の精神性の発露であるとすれば、「芸術の力」の衰弱は「人間の精神の力」の衰弱を意味します。
 ヴァルター・ベンヤミンが示したように、古来、芸術は宗教と結びつき、その唯一性の「オーラ」(ギリシャ語、ラテン語で「アウラ」光彩という意味。人が偉大な宗教や芸術と出あう瞬間に感じる荘厳さ)を放ってきました。
 しかし、写真、映画、テレビなど、複製技術の時代には、芸術作品が人の心をその根底からゆり動かす力は、たんに人の興味や好奇心をさそう力に、はるかに凌駕されるようになります。今や、芸術は、根本的な魂の力を失い、その「オーラ」を消失していっているのでしょうか。ベンヤミン自身は、この芸術の量産化、大衆化を、社会の進歩として一部肯定していました。確かに芸術が大衆のものとなったことは歓迎すべきことです。しかし反面、このことによって、芸術が芸術であることの根拠が失われることになりかねません。
 芸術は、人間同士を結ぶ力であり、また、人間をより高い存在へと導きゆく力でありました。芸術が、その本来の力を取り戻すことは可能なのでしょうか。
 それはたんに、芸術家のみがなし得る作業ではありません。宗教と芸術とは、本来、緊密な関係にあると私は考えております。それはともに、生命の創造的展開にほかなりません。したがって芸術の復興も、宗教的なるものを根底にして初めてなされるのではないでしょうか。
 ただ、早急に「宗教のための芸術」を求めることには無理があります。手段化した芸術は、芸術としての価値を発揮することはできません。
 偉大なる宗教は必ず、偉大なる芸術を育む精神の土壌となります。また、偉大なる芸術は、宗教性を鼓舞し続けることでしょう。
 「芸術のための芸術」、また「宗教のための宗教」をこえ、「人間のための芸術」「人間のための宗教」の同盟こそが、人間精神を高めゆく新たな「芸術と宗教」の世紀を開きゆくと思うのです。

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