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日蓮大聖人・池田大作

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聖徳太子と大乗仏教  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

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14  ジュロヴァ よく分かりました。次に、大乗仏教はたいへん普遍的な性格を持っていますので、“異教”を生む原因となる、“正統”と“逸脱”の区別はなかったと理解していますが、これは正しいでしょうか。もし正しいとするならば“異端”あるいは“異教”がないことが、かえって、仏教が改革を行う機会を失ってしまうことにもならないでしょうか。
 池田 ご質問の大乗仏教と“異端”との関係について述べてみたいと思います。
 七九四年、チベットのサムエという寺院で大法論が行われました。法論の主人公の一方は、仏教史上その名をとどろかせる大論師・竜樹直流のカマラシーラ、もう一方は中国の南頓禅の摩訶衍という僧侶でした。
 摩訶衍は、何も考えず何も思わない座禅の修行によって一人覚りを得ることが、仏教の目的であって、他人を救う利他の実践を行う必要はないと主張しました。それに対して、カマラシーラは、利他行の実践によって慈悲と知恵を得ることこそ、仏教の目的であると主張したのです。勝敗は明らかでした。とは言っても、摩訶衍派が異端として皆殺しにされたり、追放されたのではありません。むしろ、逆恨みした摩訶衍一派が、さまざまな陰謀を画策したと言われています。
 仏教の歴史のなかで、さまざまな論争はつねに行われてきました。竜樹やその弟子たちも、対論相手から「すべてを否定するもの」と呼ばれたくらい、歯に衣着せない論陣をはったのです。しかし、彼は世俗的権力に訴えて、他学派を弾圧することはありませんでした。
 仏教では、釈尊以来、あくまで「対話」を通じて「法」を広めてきました。仏教内部での対決も他の宗教との対決も、つねに「対話」による「法論」によって正邪――仏教の本義に適うか否か――を決しようとしてきたのです。そして、「法論」に敗れた方が、みずからの主張を捨てて、勝った方の弟子となることが求められてきました。しかし、現実には、敗れた側が、怨念をいだいたり、策謀をめぐらすこともありました。
 仏教の歴史を見ると不思議なことが分かります。“釈尊の教義”と照らしあわせると、教義の面での改ざんが多く、釈尊の精神から外れ「異端」的に見える人々の方が権力に結びつき、「正統」と思われる人々を弾圧したという例が多いのです。こういうところに、仏教の教義そのものが広く民衆側に開かれたものであることが表れているように思われます。
 博士は「異端のないことが改革の機会を失うのではないか」との疑問を提示されていますが、これまで述べてきたように、仏教の改革は、つねに「対話」(法論)を通じて行われてきております。
 「対話」には、“開かれた心”による相互の交流があり、「法論」に勝った側も、相手の主張に耳をかたむけ、自己反省を行い、とり入れるものはとり入れ、仏教の本義にあわせて判断しております。このようにして仏教の改革は、「法論」を通じて行われてきた、と言えましょう。

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