Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ボゴミール運動の意義  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

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15  池田 もちろん、その意味はニヒリズムに堕するのではなく、ニヒリズムを生きぬく、耐えぬくことによってですね。
 ジュロヴァ そうです。民衆が労働によって持ってきた道徳への回帰は、悲哀およびニヒリズムと戦う道でした。トルストイは、道徳的、倫理的態度をとりながら、神が人間の子であることを深く確信し、福音を神秘的にとらえることなく素朴に受け入れました。彼は、人間の虚飾という虚偽の背後に、真理と善を発見しようと試みたのです。
 実際、トルストイの道徳哲学は、ボゴミール派との接点を持っていたのです。しかし、ボゴミール派の社会的理念の方がいっそうはっきりしていました。ボゴミール派は、当時の社会構造を否定して、神と人間の仲介者としての教会制度を否定しました。すなわち、彼らは、中世的な「神―人」関係の考え方を修正し、画一的な善悪のカテゴリーに疑問を提示したのです。
 池田 ボゴミール運動を、その視点や教義、倫理といった点で評価するとすれば、次のことが強調されるべきでしょう。それは、ボゴミール派は、ボゴミール派が修正したもとのキリスト教や、ユダヤ教やイスラム教といった他の一神教と比較してみると、よりいっそう道徳的な純粋性や、根本的な源泉――「神」――を志向していたということです。ボゴミール派は、精神的なものを物質的なものの上にすえたのです。

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