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日蓮大聖人・池田大作

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東方正教会の人間観  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

前後
14  池田 ドストエフスキーは、ある書簡でこう述べています。「もしだれかがわたしに向かって、キリストは真理の外にあることを証明し、また実際に真理がキリストの外にあったとしても、わたしはむしろ真理よりもキリストとともにあることを望むでしょう」(「書簡」、『ドストエーフスキイ全集』16〈米川正夫訳〉河出書房新社)
 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中の有名な登場人物、アリョーシャは、現代人から言うと非合理なほど、ゾシマを信じていました。ドストエフスキーは安易に奇跡を信じ、その功徳を賛嘆したのではありません。確かに、ゾシマは数々の奇跡を起こすのですが、アリョーシャはいわば奇跡のゆえにゾシマを信じたのではなく、ゾシマへの深い傾倒のゆえに、奇跡までも信じてしまったのです。
 ドストエフスキーは、その慧眼で、「信じる心」が疲弊し枯渇してしまう時代の到来を予見していたのですね。
 ジュロヴァ 近代になって、教会制度とキリスト教信仰が区別されました。ロマン主義者たちは、「神」への信仰を「詩」で表すことによって、信仰を教会から分離しようとしました。しかし、制度と信仰の対立は、二十世紀の到来とともに一神教の基盤の喪失をも促進したのです。
 宗教を、現実に苦悩をかかえる人々から遊離させ、権威主義にしてしまった理由を理解するには、教会制度の本質と、教会が人間と神の間のつながりを打ち立てる仕組みへの検討が必要です。また、宗教がいかに人間を変革させ得るのかを問い、善悪の本質を見極めることも必要なのです。
 池田 仏教においても、歴史のなかで権威主義に堕落していった場合が、数多く見受けられます。
 ジュロヴァ こうした問いに答えることは、必然的に、人間自身の理解をもたらします。人間は、すべての存在のなかでもっとも重要で複雑なものです。人間こそ、科学技術が精緻に発達した現代においてさえも、おそらく、もっとも探究されていない領域なのです。

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