Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

東方正教会の人間観  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

前後
1  ジュロヴァ 私は、ここで、東洋と西洋に見られる主体と客体の二元論、および一元論について、考えてみたいと思います。一元論をとる東洋とは異なって、西洋哲学では主体と客体の二元論は典型的なものです。
 二元論か、あるいは主体と客体の統一かという点は、美学においても東西を分けています。西洋は、完全な美を神の領域に移し、それを日常生活から分離したのです。
 一方、東洋では、美はかなり主体的なものであり、それは客体の中に体現されます。
 このような二元論的な特質は、西洋人の外向性、実際性、理性信仰を説明します。西洋では、何千年にもわたって、「ロゴス」(言葉、理性)が最高位に君臨してきました。
 他方、主体と客体を一つのものと見る考えにより、東洋思想の内向性と人間の内的世界への志向と内省が理解できるでしょう。そこでは、真理はせまい、限定的な知性の境界を乗り越えた時に達成されるのです。
 また、西洋哲学では、哲学と宗教は分離しているのに対し、東洋思想においては、美学、芸術、哲学と宗教は融合しています。
 東洋の人々の精神には、倫理的要素が強く埋めこまれており、西洋の人々の精神には、合理的要素が深く埋めこまれているのです。
 池田 東洋と西洋を対比して考察するならば、博士が指摘されたとおりです。西洋が二元論的思考を主軸とするのに対して、東洋では、一元論的傾向性が濃厚だと言えるでしょう。
 ジュロヴァ 西洋における人間中心主義は、人々が神の創造力と優劣を競うこと、すなわちデミウルゴス(世界の形成者)になることも可能にします。他方、東洋の宇宙中心主義は、自然崇拝をもたらすのです。
 西洋で、被造物および自然に対する人間の支配が生じるのは、自然にとけこみ、その一部になりたいとの願いからではなく、つねに自然を変えていきたいとの願いからです。
 これは、進展してきた個人主義の結果であり、その個人主義は、ユダヤ・キリスト教で表現され、ルネサンスの人間支配において完全に展開されたのです。
 西洋人の人間中心主義とその創造力は、ルネサンス期に、人間に神のレベルにまで昇る権利をあたえました。初期ルネサンスの代表人物の一人であるアルベルティは、「人間は、望むならばいかなることもなし得るのだ」と述べています。
 これは、「巨人(タイタン)の時代」への第一歩でした。すなわち、ギリシャ・ローマ時代の魅力的な文化が見直され、高く評価されたのが、ルネサンスの時代だったのです。その時代は、“ルネサンス的人間”がリードすべきだ、と考えられました。
2  池田 「巨人」とは“ルネサンス的人間”ということですね。
 ジュロヴァ “ルネサンス的人間”は、何ものとも比較できない至高の価値を持っていました。人間は世界を超越し、神を超越した存在だったのです。“ルネサンス的人間”は、肉体、精神、魂の統合をなしとげた巨人であり、英雄だったのです。ルネサンス期以降に見られた思想の発展は、人間の精神の力強さを重要視するものでした。
 池田 仏教の関心事は、初めから“人間自身”でした。人間の中に“宇宙”を洞察したのです。“外なる大宇宙”と共鳴し、その根源において一体となった“内なる宇宙”を発見したのです。その意味において、一個の人間生命に無限の可能性を主張するのです。
 ジュロヴァ よく分かります。人間は“宇宙の普遍性”を身に帯びており、自己発展の無限の可能性と、社会を富ませる無限の可能性を持っています。言いかえれば、“普遍性”と“人間固有の特性”が調和して発展しゆく時に、“善”と“悪”をコントロールするという人間の使命を達成することができるのです。物質と精神の発展のバランスを維持することができれば、よりよい生存の状態をつくりだすことができるでしょう。
 これが、人間の使命と善悪のコントロールについての、私たちの解釈です。
 池田 仏教では、生命の中に、慈悲心、知恵、信、非暴力等の善心とともに、悪心として瞋恚や貪欲を含む多くの“煩悩”を見いだしていますが、それらの悪心は、心の一部をなすゆえに、煩悩をなくそうとすれば、心そのものを失ってしまいます。大切なのは、心を制御して煩悩を正しい方向へと昇華していくことです。“善”と“悪”のコントロールという点において、博士の考え方に同意します。
 釈尊はこう言っています。
 「心を制することは楽しい。心をまもれ。怠るな。生けるものどもは心に欺かれている」(前掲『ブッダの真理のことば 感興のことば』)と。
 ジュロヴァ 現実問題として、何が“善”で何が“悪”かを決定するための、恒久的な立場というのは、存在するのでしょうか。また、あらゆる時代に有効な普遍的な定義、ただ一つの見解を見いだすことは可能なのでしょうか。
3  池田 固定的で、絶対的な基準を見いだすことはできないのではないでしょうか。仏教では、固定的な「善悪二元論」に対して、「善悪不二」を主張しています。つまり、「善悪」は一体不二でありつつ、現象面では「善」と「悪」として顕現するという法理です。
 ジュロヴァ ギリシャの対話『自由意志について』の、十世紀のペトル皇帝治下に著されたブルガリア語の翻訳の中で、善悪の問題は哲学的二元論と関連してあつかわれています。すなわち、「見える世界は無から生じたのであろうか、あるいは何かあるものから生じたのであろうか。もし何かあるものから生じたとするならば、このあるものは、神の存在と同時に存在したのであろうか。
 もし無から生じたとすれば、創造者である神は、悪の創造者でもあると考えられるべきであろうか。神はなぜ、『悪魔』に擬人化される悪の存在を許してきたのであろうか。
 また、人間の行いは神の摂理によってあらかじめ決められているのだろうか。そうだとしたら、人間の行いに責任があるのだろうか、あるいは悪が人間の行いに表現を見いだしているだけなのだろうか。人間は善と悪の両方を自由に行えるのだろうか……」と。
 この対話は次のように終わっています。
 「私は言う。人間は望むことは何でも自由に行うよう生まれついているのだ」と。
 ここで思い起こされるのは、エラスムスが、ルターとは違って、「自由意志」に賛同の立場をとったことです。今、示した古いブルガリアの文献では、「自由意志」の訳語はヒューマニズムの概念――個人が善悪を選択し、みずからの人格を形成するための個人の無限の可能性――に近くなっています。
 この関連で、私は、「それ(事物や世界)は神の出現に先立っている」と述べた老子を思い起こします。老子のこのような思想は、善悪の問題を考える文脈のなかでは、どのように解釈されるでしょうか。
4  池田 老子が実在の人物であったかどうかは、いまだに議論があるところです。現存する『老子』と名づけられた書物にも、新旧の層があります。その上で、現存の『老子』をもとに、私なりの考えを述べてみますと、今、示されたところは、原文ではこうありますね。
 「物有り混成し、天地に先だって生ず。(中略)以て天下の母と為す可し。吾、其の名を知らず。之に字して道と曰ひ、強ひて之が名を為して大と曰ふ。(中略)道は大なり。天は大なり。地は大なり。王も亦大なり。域中四大有り。而して王も其の一に居る。人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」(阿部吉雄・山本敏夫『老子』、『新釈漢文大系』7所収、明治書院)
 確かに、ここには人間の偉大さが、天地の成立以前の「道」に根拠づけられています。しかし、それだけでは恣意的、自己中心的になりかねません。そこで、人間と同じく「道」の後に成立する「天地」に「法る」という規範が用意されているのです。「恣意性」を回避する「他者性」が、ここには用意されています。
 「天地」の法――大自然の法とともに生きるべき「人間」の法、倫理性が示されているのです。
 また、『老子』にはこうあります。
 「人の生まるるや柔弱なり。其の死するや堅強なり。(中略)故に堅強なる者は死の徒、柔弱なる者は生の徒なり」(同前)
 そして結論的に、「強大なるは下に処り、柔弱なるは上に処る」(同前)と述べるのです。
 精神の「固化」は「死」へと導くというのです。それはテオドール・アドルノの言う「同一化」と同じ意味でもありましょう。
 精神の「固化」をたずねて、『老子』は言います。「知りて知らずとするは上。知らずして知れりとするは病。夫れ唯病を病とす。是を以て病せず。聖人病せず。其の病を病とするを以てなり」(同前)と。
 人間の知識には限界があります。その限界を知らなければ、すべての現象をその限界のなかで解釈し、それがすべてであると思ってしまうのです。その場合、人は自己と同一の性質を持つ画一的な世界を、周囲に構築してしまいます。
 ジュロヴァ そこで、仏教では「空」を主張するのですね。
5  池田 そうです。聖者は自分の知識の限界を知っています。つねに心は開かれているのです。ゆえに、事物の“実相”を、ありのままにその“多様性”において見ることができるのです。“善悪”についても、それらを固定的に見ることこそ、警戒しなければならないでしょう。“善悪”を考える上において、「道」「天地」の法から展開する哲学には、学ぶべきことが多々あります。
 また、博士が指摘された仏教の「空」の思想でも、意識の「固定化」の病を指摘しています。「空」とは、「内なる宇宙」の「普遍性」をそれぞれに顕現しゆく“多様性”を生かしつつ、万物との調和のなかで、積極的な人生を自由自在に開拓しゆく法理なのです。
 ジュロヴァ おそらく、「真理」というものは、私たちの行為を規制する私たち自身の立場を「選択する自由」に含まれるのでしょう。それが、善悪の評価を決定するのです。個人による選択はまた、私たちのもっとも偉大な「責任」でもあります。先ほど先生が、心のコントロールについて引用されたブッダの言葉のように、「自由」の権利を人間的に行使することは、すべての人にとって「もっとも偉大な責任」であり、人間の運命なのです。
6  池田 まったく同感です。善悪の価値観は、権威をもって外から押しつけられるものではありません。しかし、「自由」が何ら善悪の価値判断を伴わないとすれば、それはたんなる「放縦」におちいってしまうでしょう。
 人間は、精神の不断の闘争によって、みずからの内に善悪の価値を構築していくという形で、「自由」を持っているのです。人間は価値を創造する「自由」を持っているのです。私どもの「創価学会」の名も、「価値創造」という言葉に由来するものです。
 ジュロヴァ 善悪の概念の定義は、イデオロギー化する以前のキリスト教の道徳規準では、もっと容易だったと思われます。キリスト教に生気を吹きこむような試みが、通例、初期キリスト教の道徳原理への回帰を伴うのは偶然ではありません。ボゴミール派やトルストイを思い起こしましょう。
 人間は本来、「二重性」を持つために、人々や行為を分類し、分極化させる傾向があります。“善”“悪”という基盤は、人間の内に深く埋めこまれています。そして、“悪”の核心には熱情と本能があります。しかし、“万物の無常”についての思想は、私たちの感覚を、いっそう鋭くさせ、冷静にさせるものですね。
 池田 そのとおりです。「この世は無常である。弟子たちよ。不断にみずからを磨き続けよ」――死を前にした釈尊は、こう語りました。みずからの生きる世界の「危うさ」「はかなさ」の自覚、しかし、決して逃避や隠遁におちいらない確固とした決意が示されています。「無常」の自覚によって本能や情念を反省し、コントロールすることができるのです。
 ジュロヴァ “善”きものになるためには、人間はみずからの中にある“悪”を自覚すべきです。“悪”は生命の中にあります。
 ブルガリアの作家であり、司祭のコズマ(十世紀)は書いています。「誘惑が存在しなくてはならない。そうすれば、選ばれた人々が目立つことができるのである」と。
7  池田 仏法では「十界互具」という法理を説きます。「十界」とは、地獄畜生・修羅声聞菩薩・仏という人間の境涯の十種のカテゴリーのことを言います。
 「地獄」界では、瞋恚の煩悩があれくるっています。恨み、嫉妬の情念の心です。自他ともに破壊する極悪の境涯です。
 「餓鬼」界は、貪欲につき動かされ、飢餓感に苦悶する境涯です。
 「畜生」界は、本能的欲求のままに生きる境涯であり、ここには、人間的な理性、良心は働いていません。したがって、仏教では、この三つの境涯を「三悪道」と言います。
 次に、「修羅」界では、自我の働きが出てきますが、その自我は「勝他の念」にかられ、慢心、他者への「差別」感を伴います。この意味では、この境涯も“悪”と言えましょう。仏教では、ここまでを「四悪趣」としています。
 人界と天界は、良心と理性が働いている境涯です。一応、“善”の境涯と言えますが、人間は天界も同様に、他者を犠牲にしてでも、自己の欲望――とくに権力欲、支配欲をかなえようとして、かえって、自他ともに「地獄」界へと転落していくものです。ここまでの六つの境涯の繰り返しの人生を、仏教では「六道輪廻」と呼びます。
 欲望や瞋り等の煩悩をコントロールして、六道輪廻からの脱出を試みる境涯が、「声聞」界と「縁覚」界です。その意味で、欲望にふりまわされない、主体性の確立に向かったと言えましょう。しかし、声聞と縁覚は、その確立した主体性が、時として、自己のみの幸福を求めるという、“エゴイズム”に堕落する可能性をはらんだ状態です。「菩薩」界や「仏」界は、民衆の苦悩と同苦し、その超克――抜苦を通して幸福を創造する、「自由自在」なる境涯をさしております。
 『法華経』に内包される法理を、天台は「十界互具」として体系づけました。それは、ここに述べた十種の境涯の各々の中に、さらに「地獄」から「仏」までの他の境涯が内在している、と説く法理です。
 たとえば、仏という“最善”の境涯の中にも地獄という“最悪”の境涯がそなわっていると言うのです。つまり、「善悪不二」です。
 ではなぜ、仏の生命にも、“悪”があるのか。仏に内在する“悪”は、社会に存在するさまざまな“悪”、「欠陥」「苦」を洞察し、同苦することを可能にします。しかし、仏はその“悪”に翻弄されることはありません。「誘惑」を洞察し、それに勝つのです。勝つことによって、自己の“善”を強化するのです。
 仏教では、生命の中の利己性、他者破壊性を、「魔」と呼びます。その「魔」は、「天界」において、欲望がかなえられる頂点で顕現し、自他の破壊に向かわせるのです。この「魔」こそ、最大の「誘惑」です。仏伝を見ると、仏はしばしば「魔との戦いにおける勝者」と言われています。
 さて、仏教の“善”“悪”に対する考え方を示したところで、今度は、キリスト教における“善悪”論に焦点を移したいと思います。
 そこで博士に、キリスト教での「原罪」からお話し願いたいと思います。
8  ジュロヴァ キリスト教は、一個人がつくり上げたものではなく、偉大な時代、偉大な理念の運動が反映されたものです。初期キリスト教の理念――ヘレニズムとは異なる理念――は、人類が持つ普遍的かつ平等な権利に関する理念です。
 キリスト教が、ヘレニズムにとってかわったことにより、どのような代価が支払われたのでしょうか。それは、「原罪」という人間の重荷の受容でした。原罪が、人間の悲劇的運命を決定するとされ、ついには、世界の破滅をもたらすとされたのです。イエスの再臨の日に、各人の罪に基づいて懲罰が執行されるのです。
 「理性の文化」が、「罪の文化」に道をゆずりました。「理性の文化」を手にすることができたのは、ほんの一にぎりの人だけでしたが、「罪の文化」は、努力すれば、大衆も手にすることができました。原罪の結果である普遍的な「罪」と「罰」、そして「救済」の約束は、来るべき世界の終末、救世主の出現という神話を生みだしました。そして、地上での人間生活は、永遠の「原罪」をつぐなうために果たすべき、「道徳的努力」になるのです。
 そうした状況にあっては、罪人たちにとって、「救済」の探求が第一に重要なことでした。こうして、「良心」はキリスト教の道徳規準における基本的な教義となりました。その後、三世紀のうちに、この教義はキリスト教に公認され(三一三年のミラノ勅令)、キリスト教は現実的にも大衆の宗教になったのです。古代ギリシャの「理性」と「名誉」から、「罪」と「良心」への移行がなしとげられたのです。それは、人間の「良心」をあらわにさせる道を開きました。
9  池田 キリスト教における「原罪」と「救済」の原理について、分かりやすく説明していただいて、ありがとうございます。
 それでは次に、「神」と「人間」の関係についておたずねしたいと思います。
 ジュロヴァ 使徒パウロは、「ローマ人への手紙」の中で、「彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた」、また、「箴言」の中で、「主をおそれることによって人は安心を得、その子らはのがれ場を得る」と述べております。
 キリスト教において「神」と「人間」の間の対話を決定づけるのは、“勝利への希望”と“身をさすようなおそれ”です。
 神は人間に信従を命じます。こうした一方向的な関係は、神―人間―キリストという教義によって和らげられています。神の子が人々の間に出現した後には、人間が神になることが可能になりました。「わたしは言う、あなたがたは神々である」(「ヨハネによる福音書」)と。
 しかし、神と接触するためには、信従と禁欲生活が必要とされます。信従の法がその関係を維持させるのであり、それはヒエラルキー(位階制度)の枠組みの中で実行されます。グリゴリイ・ナズィアンスキーは述べています。「信従の法はおかされるべきではない。それが天国と地上を支えるものだからである」と。
 信従の法は、神は世界の創造者であり人々の法をつくったものであるという、『旧約聖書』に示される教義に基づいています。すなわち、エホバは「天国と地上を創造した」歴史と時の支配者なのです。
10  池田 よく分かります。博士が示された引用文に見られるように、「原罪」に苦しむ人間は、救世主キリストの取りなしによって、神の恩寵を得ることができるとされるのです。そして神の、裁き支配する側面より、恩恵をあたえる側面が大きくクローズアップされたのですね。
 そこで、西欧のキリスト教と比較しての東方正教会の人間観についてですが、私の印象では、カトリック教会をはじめとする西欧のキリスト教は、「原罪」による人間の堕落を強調するのに対し、東方正教会は、同じキリスト教であっても、「原罪」や堕落をそれほど強調しないように思えます。むしろ東方正教会は、人間の堕落を説くにしても、それは仮の姿であり、神と人との交わりによって、人間は、その本来の姿である神の似姿へとよみがえり得ることの方を強調しているように思われます。
 東方正教会は、原理的に考察すれば、人間の蘇生をもたらす神と人との交わり、あるいは他界との接触という信仰体験を重んじ、教会や儀礼やイコンは、むしろ、そのための「案内役」であるというあり方をとっているように思われます。
 ジュロヴァ ビザンチンの人生観の基本的な要素は、聖像の神学的特質です。それは、前に語りあった八世紀から九世紀にかけての「聖像破壊運動」の議論から受け継がれており、キリスト教の主要な理念に基づいていました。すなわち、聖なる言葉が人間へと変容し、超越的なものであることはやめないけれども、姿を持ち見えるものとなったという考え方です。これは、図像の聖なる特質を決定づけました。
 ここで私は、もう一度、「原罪」は東方正教会とカトリック教会の双方の核心にあるものであることを強調したいと思います。しかし、その上で、罪のつぐないの可能性や、「罪人」と神とのより密接な関係についての考え方は、確かに、両教会では異なっています。東方正教会においては、人間は聖なる典礼の秘跡(サクラメント)によって、神に近づくことができる、とされます。
11  池田 私は先に、東方正教会において儀礼は「案内役」と述べましたが、「たんなる案内役」ではなく、「確実な案内役」というわけですね。
 ジュロヴァ そうです。カトリック教会のミサ音楽は深い感銘をあたえるものですが、それでさえも匹敵できないほどの絢爛たる典礼を東方正教会が練り上げたのは、このような理由からなのです。カトリック教会においては、神に到達するために人間が登らなければならない梯子の第一歩は、司祭への定期的な信仰告白でした。
 東方正教会とカトリック教会では、主要な祝祭日が異なりますが、それは、東方正教会では「原罪」は一時的なものとされ、人間本来の情欲は克服される、としていることによります。カトリック教会では、磔が主要な祝祭日であるのに対して、東方正教会では復活、つまり人間の罪をつぐなう神の恩寵が主要な祝祭日なのです。ブルガリアでは聖母マリア崇拝が大きく発展し、西欧ではキリスト崇拝が発展したのは、興味深いことです。ところが西欧では、しだいに、教会が、道徳を是認するにあたり独占的な権利を持つ機関となっていきました。
12  池田 そこで宗教改革の運動が起こったのですね。
 ジュロヴァ そうです。ルターは、カトリック教会が「人間」と「神」との仲介者になることを拒絶し、神の前ではすべての信者が平等であるとの初期キリスト教の理念を強固なものにしました。神はもはや、審判の場に座す支配者ではなく、ふたたび、人々を愛し、人々に救いと慈悲をあたえる父となったのです。
 ジョン・カルヴァンや、その他の宗教改革者たちは、ルターの『教理問答集(カテキズム)』を発展させ、宗教生活と社会生活の両方にわたる現実的な「文化プロジェクト」を作成しました。そこでは、人間は神をおそれることなく倫理の法に従って生きるべきであり、キリスト教徒は神によって自分が置かれた世界、すなわち町や社会に責任を持つべきであるとされたのです。
 宗教改革は、礼拝の簡素化、修道院生活と禁欲(独身生活)の非難、家庭へのプロテスタント倫理の導入をもたらしました。唯一の権威は、一五三四年にドイツ語に翻訳された『聖書』でした。神への奉仕は、世俗での活動と公的生活のなかで具体化されなければなりませんでした。
13  池田 マックス・ウェーバーは、資本主義の初期の段階では、プロテスタント倫理が勤労精神の形成に大きく寄与した、と述べていますね。
 ジュロヴァ 宗教改革は、封建主義から資本主義への移行期に始まりました。それはヨーロッパにおける市民革命の第一段階でした。ルターは、「天職(ベルーフ)」の理念を復活させ、カトリック的な世俗的領域と霊的領域への世界の分割を否定しました。
 さらにカルヴァンは、人間は、地上での生涯の間に天職を見事にまっとうするか否かによって、みずからの場所――神に選ばれた人たちの間にか、そうでない人たちの間にか――を見いだすことができると主張しました。言いかえれば、世俗の活動が「聖なるもの」とされたのですが、この点は現代の西欧人の行動のルーツを理解するために非常に重要です。
 このように宗教改革は、「原罪」という神話を修正して、罪深い人間を無罪放免し、原罪のかわりに人間の知性と理性を置きました。こうして、数世紀にわたり行われてきた道徳的抑制が失われていったのです。そして、次に、無神論の段階に入るのです。
 フランス啓蒙主義は、大衆を導くことのできる普遍的な精神的選択肢を提示しませんでした。たとえば、ヴォルテールの理神論を考えてみましょう。それはカトリシズムの発展でしょうか、あるいは無神論でしょうか。ヴォルテールによれば、「神」とは、自然と切り離せない特別の実体ではなく、自然自体にそなわった行動原理です。「神」を自然と同一視することは、神と人間の間の距離を除去することを意味してはいないでしょうか。
 ヴォルテールは、具体的な姿の「神」は存在しないけれども、神は罰することができるとの考えを、人々から奪うべきではないと書いています。しかし、罰する権利が残るならば、罰する者と罰せられる者との間が変わるはずがありません。
 ここから、人間は信仰なしに生きられるだろうか、という主要な問いが生まれてきました。これは、ドストエフスキーの問いでもありました。
14  池田 ドストエフスキーは、ある書簡でこう述べています。「もしだれかがわたしに向かって、キリストは真理の外にあることを証明し、また実際に真理がキリストの外にあったとしても、わたしはむしろ真理よりもキリストとともにあることを望むでしょう」(「書簡」、『ドストエーフスキイ全集』16〈米川正夫訳〉河出書房新社)
 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中の有名な登場人物、アリョーシャは、現代人から言うと非合理なほど、ゾシマを信じていました。ドストエフスキーは安易に奇跡を信じ、その功徳を賛嘆したのではありません。確かに、ゾシマは数々の奇跡を起こすのですが、アリョーシャはいわば奇跡のゆえにゾシマを信じたのではなく、ゾシマへの深い傾倒のゆえに、奇跡までも信じてしまったのです。
 ドストエフスキーは、その慧眼で、「信じる心」が疲弊し枯渇してしまう時代の到来を予見していたのですね。
 ジュロヴァ 近代になって、教会制度とキリスト教信仰が区別されました。ロマン主義者たちは、「神」への信仰を「詩」で表すことによって、信仰を教会から分離しようとしました。しかし、制度と信仰の対立は、二十世紀の到来とともに一神教の基盤の喪失をも促進したのです。
 宗教を、現実に苦悩をかかえる人々から遊離させ、権威主義にしてしまった理由を理解するには、教会制度の本質と、教会が人間と神の間のつながりを打ち立てる仕組みへの検討が必要です。また、宗教がいかに人間を変革させ得るのかを問い、善悪の本質を見極めることも必要なのです。
 池田 仏教においても、歴史のなかで権威主義に堕落していった場合が、数多く見受けられます。
 ジュロヴァ こうした問いに答えることは、必然的に、人間自身の理解をもたらします。人間は、すべての存在のなかでもっとも重要で複雑なものです。人間こそ、科学技術が精緻に発達した現代においてさえも、おそらく、もっとも探究されていない領域なのです。

1
1