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日蓮大聖人・池田大作

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「獅子」の意味するもの  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

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24  池田 民衆を守るものとして、独立、自立のシンボルとして、また悪を防ぐものとして、さらには、勇気と勝利のシンボルとして獅子が選ばれた。そこには、地理上の運命的な位置のなかで、毅然と、誇りを保ち続けてきた気高いブルガリアの精神性が貫かれています。
 レフスキーや革命詩人ボテフの話をお聞きして、仏教者の視座から、一言、付け加えたいと思います。
 それは、「仏教の社会性」ということにつながるものです。釈尊は、決して座して瞑想するだけの仏ではありませんでした。彼は、法を人々に教えようとしたのです。この仏の説法は、「獅子の咆哮(獅子吼)」にたとえられることがしばしばなのです。
 「獅子」のイメージは、仏や菩薩がさまざまな迫害に打ち勝って、その教えを人々に広めていく姿に重ねられています。
 人々のなかに、民衆のために、法を広めていく象徴が獅子なのです。
 とくに、獅子と言えば、日蓮大聖人を思い浮かべずにはいられません。日本が軍事大国への坂道を転がり続けていたとき、良心的キリスト者としてそれに抗した内村鑑三は、日蓮大聖人を「骨髄まで真実なる一個の霊魂、人間として最も正直なる人間」「日本人として最も勇敢なる日本人」と述べ、「真の意味に於ての宗教的迫害は、日本に於ては、日蓮を以て始まつたのである」(『代表的日本人』鈴木俊郎訳、岩波文庫旧版)と述べています。
 一切の権力や武力などの後ろ盾を持たず、強大な権力に立ち向かった日蓮大聖人は、自身および弟子たちを、しばしば「獅子」にたとえております。それは、今、博士が言われたように、レフスキーにも通じる強靭な「自由意志」の象徴であり、不屈の独立性の象徴なのです。
 私は一九九四年十月、貴国ブルガリアから、「世界平和への尽力」と「ブルガリアと日本の文化交流への貢献」を評価され、「マダラの騎士第一等勲章」を受賞いたしました。
 その時の正章、副章には、ともに先ほど述べられたマダラの騎士レリーフが刻まれていました。不屈の意志を持つ平和の騎士として権力と戦った日蓮大聖人、また日本の軍国主義と戦い投獄された牧口初代会長、戸田第二代会長の心のままに、これからも世界の平和のために、文化の交流のために、尽力したいと決意を新たにしております。

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