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日蓮大聖人・池田大作

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序文  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

前後
1  この対談が始まった当時、世界にはまだイデオロギーによる障壁が存在していました。芸術の分野などで情報公開の兆しが見られたものの、いかなる大胆な予測も、その後に起こった出来事を言い当てることはできませんでした。
 イデオロギーによる障壁の除去や、国家を越えた経済圏の拡大は、精神領域においても、大きな変化をもたらしました。精神的な領域での変化について、広くその概略を述べることが、私たちの対談の主題の一つです。たとえば、知識は情報にとってかわられ、哲学は社会学にとってかわられました。また芸術の創造は、芸術の解釈や商品化にとってかわられ、芸術的価値よりも機能が尊重されるようになりました。
 私たちすべてが希求していた障壁なき世界は実現したものの、それが地域紛争を勃発させることになるとは、予想もできませんでした。
2  私たちは、自由経済という法則を手にするためには、おそるべき代価を支払わなければならないなどとは予想すらしませんでしたし、伝統的な価値体系と「すべてが自由である」という自由市場の道徳的な要請の間に、これほど大きな葛藤が生じることも予期していませんでした。
 池田先生は、一九八一年(昭和五十六年)にソフィア大学で行われた講演の中で、「……そうした歴史と伝統に裏付けられた若さであるからこそ、私は、ブルガリアの民族精神に、強い魅力を覚えるのであります」と述べられました。現代ブルガリアの体験は、伝統を排除するものでありましょうか、またこの講演のように、伝統に裏づけられた若さを証拠だてるものでありましょうか。私たちは今、真摯に自問しているのです。
 ブルガリアと日本の伝統文化は、明日の世界の重荷となるのでしょうか、それともかけがえのない価値となるのでしょうか。私は、過去が組み込まれていない未来を思い浮かべることはできません。
 未来は過去の連続である――これが、この対談で私が提示したいビジョンです。「ブルガリアはバルカン半島の未来を構築しゆく鍵の役割を果たすでしょう」と、先生はおっしゃってくださいました。
 ブルガリアについて、私が池田先生のご見解に全面的に同意する点があります。それは、ブルガリアが、地理的にだけではなく、歴史的、精神的、文化的にも十字路に位置する国であるということです。
 そのほか、私たちが語りあうテーマとしては、次のようなものが挙げられます。十三世紀にブルガリアがその地に定着する上でのリスク(危険)とチャンスについて、そうした地理的位置にあってブルガリアが好機を生かせた点と生かせなかった点について、バルカン半島で起こった東西の出あいと闘争について、その出あいの地域について、たがいに融合し統合することのまれであったオリジナルな文化について、考古学的な層が積み重なった土地について、豊富な口承伝統、民俗文化、音楽的才能を持つ人々について等々です。
 私たちはまた、伝統文化への大きな挑戦であるニューエイジ(新世代)の問題についても語りあいます。それは、民族的なアイデンティティーや文化を保持してきた人々にとってだけでなく、世界をグローバル化しようとしている人々にとっての挑戦でもあります。
 私たちは、自由世界に対して、当然とも言える問いを提出しているのです。つまり、物質的な富や精神的・文化的価値は、いかにして創造されるのだろうか、と。
 私たちが本書で共有している見解の基盤には、次のような信念があります。それは、来るべき世界は、精神的ニヒリズム(冷笑主義)や消費的な生活態度の上には築かれないだろうという信念、また、その世界は理念、文化や制御された消費が交換される世界となるであろうという信念、さらに、その世界は軍事的脅威および自然に対する人間の攻撃的態度を抑制するといった意味での、非暴力の世界となるだろうとの信念であります。これらはすべて、民衆の立場に立った信念であり、決して、専門家としての評価ではありません。
 本書のような対談の目的は、現在と未来についての理念やビジョンを提示することではなく、むしろ、それらを示唆することにある、と私は考えます。その根底には、未来は現在よりもよいものになるだろうとの希望が存在するのです。
  一九九九年十月十二日 アクシニア・D・ジュロヴァ

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