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日蓮大聖人・池田大作

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後記 「池田大作全集」刊行委員会  

「21世紀への選択」マジッド・テヘラニアン(池田大作全集第108巻)

前後
2  池田SGI会長とエイルウィン大統領との対談集は一九九七年十月、「日本チリ修好通商航海条約」締結百周年の佳節に『太平洋の旭日』と題し出版された。両者の強い信頼関係と友情が結実したものである。
 一九九二年十一月、チリと日本の外交史上、国家元首としては初めて日本政府の公式招待により、エイルウィン大統領が来日。両者は東京の宿舎のホテルで会談した。
 多忙な訪日スケジュールのなかで、両者は百年の知己のごとく和やかに語りあい、それは予定時間を大幅に越えて四十分にもおよんだ。話が大統領のなしとげたチリの劇的な民主化、人間主義の政治のあり方など興味の尽きない展開となったためである。
 同大統領は、その人間的スケールの大きさを表すような、柔らかな物腰と微笑をたたえ、「哲人政治家」と称される。
 チリは元来、民主主義の伝統をもつ国だが、一九七三年から十六年余りの長きにわたり、軍事独裁のピノチェト政権に支配された。多くの人々が不当に逮捕され、冤罪で処刑された人もあとをたたなかった。国民は残虐非道ともいうべき権力の横暴に苦しめられ、暗黒の時代を過ごさざるをえなかった。
 しかしついに、軍事独裁政治に終止符を打ち、民主化の道を開くチャンスが到来する。ピノチェト大統領が、八八年十月、大統領職の任期八年延長の是非を問う国民投票を実施したからである。
 これに対し、エイルウィン氏が中心となり「ノー(否)」をめざす政党連合が結成され、最終的に民意を結集し「ノー」に導く。翌年、十九年ぶりの大統領選でエイルウィン氏が圧勝。チリの民主主義が見事に復活した。氏の優れたリーダーシップが国民を救ったのである。
 このチリの民主化の道は、その後の「ベルリンの壁」崩壊や、チェコの「ビロード革命」に象徴される東欧の民主化とともに、二十世紀の民主化の歴史的流れを決定づける出来事として評価されている。
 SGI会長と同大統領との対話は、さらに九三年二月のSGI会長のチリ初訪問の折に継続された。それは海外歴訪五十カ国目にあたるものであり、恩師戸田城聖第二代会長との世界広宣流布の師弟の誓いを果たす旅でもあった。
 二回目の会見は、首都サンティアゴの大統領府(モネダ宮殿)で行われた。会談は東京での対話を引き継ぎ、文化交流、環境保護、経済成長など未来志向の希望に満ちたものとなる。
 その後、エイルウィン大統領は任期を終えた翌年の九四年に来日され、創価大学(東京八王子市)を訪問する。この滞在中、両者は再会。チリ民主化の秘められたエピソード、人権と文化、さらには環太平洋時代への展望等をテーマに幅広い対話を続けていくことを約しあう。対談集はこうした経緯を経て、やがて往復書簡などで意見を積み重ね出版にいたったものである。
3  対談集は全二十章。チリの民主化への道から始まる。民衆の意志と力を結集し、軍事独裁政権を「紙と鉛筆」(投票)で打倒する。このチリ民主主義の勝利を導いた民衆のパワーを焦点とした部分が前半のハイライトである。
 さらに政治と宗教のあるべき姿に言及し、公共に奉仕する存在としての政治家のあり方が論じられる。
 続いて展開される二十一世紀の人権論、すなわち第三世代の人権、人権と文化論は、民主主義と人権のために戦い続けてきた同大統領の真骨頂を示す部分ともなっている。
 さらに環太平洋時代への期待、冷戦終結後の新たな国際秩序が展望され、非暴力と核廃絶の世界が希求される。青年の可能性に期待を寄せる教育論、環境保護への主張、共生の哲学への言及は、両者の人間主義が「共通」のものであることを実感させるものとなっている。
 「“人間主義的なモラルの力”こそ、今後の世界秩序を考えるうえで、一つの大きな機軸となりゆく」とし、両者は行動する楽観主義者として人類の未来に明るい展望を描く。
 かくして両者の「開かれた心」による対話は、歴史を動かす「民衆」に対する限りない信頼と期待を表すものとなり、読者に勇気と希望をあたえゆくものとなっている。
4  もう一人の対談者、イスラム世界を知悉する平和学者マジッドテヘラニアン博士は、一九九二年七月、初めて池田SGI会長と東京で会談する。
 それは長く厳しい東西冷戦が終結し、人々の関心が新しい世界秩序の構築に向けられた時期であった。同時に、ソ連邦の崩壊とあいまって、イスラム世界の動向に世界の注目が集まりつつあった時でもある。
 両者の対話は、そうした国際情勢の激動を背景に、イスラムと仏教との興味深い「文明間の対話」の展開となった。それは狭い枠にとらわれた「宗教間の対話」を超えて未来を包括的に展望する、まさに「文明間の対話」そのものであった。
 その後も対話は続けられ、二〇〇〇年十月に『二十一世紀への選択』として出版された。引き続き英語版も発刊(二〇〇三年)され、タイトルは『地球文明――仏教とイスラムの対話』と銘打たれ、欧米で反響を呼んでいる。近々、イランの出版社からペルシャ語版の発刊も予定されている。
5  米国の同時多発テロ事件(二〇〇一年九月十一日)以来、イスラム過激派の動きがクローズアップされ「文明の衝突」が憂慮されている。こうした情勢のなかで、本書の出版はまことに大きな意義をはらんでおり、かつタイムリーなものと言えよう。
 両著者は、単純直線的な「文明の衝突」論に与しない。歴史的に、文明はたがいに交わり「対話」することにより前進し発展してきた。そして「文明間の対話」こそ、二十一世紀の平和のキーワードである、との基本的認識に立つ。
 仏教とイスラムという代表的な世界宗教の対話は、釈尊とムハンマド(マホメット)という精神的源流にまでさかのぼりつつ、現代世界の緊急の課題に広く目配りし、その根源的解決への視座と知恵を求めゆくものとなった。
 いうまでもなく、SGI会長は歴史家アーノルドトインビー博士との対話(対談集『二十一世紀への対話』は二〇〇四年五月現在、世界二十四言語で発刊されている。海外版は『生への選択』の書名で刊行)をはじめ、世界の名だたる学識者と「文明間の対話」を重ねてきた。その積み重ねた学識が今、焦点となっているイスラムの思想と見事に交錯し、花を咲かせたのが本書である。
 一九六二年、SGI会長はイラン、イラク、トルコ、エジプト、パキスタンというイスラム諸国を訪れ、イスラム世界に直接ふれて以来、長くイスラムへの関心を育んできた。時来り、深い縁の糸に結ばれたかのように、両者は出会い、そして対話を重ねる。
 テヘラニアン博士はイラン出身の政治経済学者。幼い日を第二次世界大戦の戦火のなかで送り、長じてはテヘラン、パリ、ボストン等で研究生活を送り、現在はハワイ大学教授として国際コミュニケーション論を教えている。
 旺盛な知的好奇心を持ち、世界の数多くの国を巡り、古今の歴史、文化、宗教への造詣はきわめて深い。本対談の随所で展開されるSGI会長との興味深い対話には、同氏のこうした多彩な国際経験が生かされている。それゆえ、両者の対話は、最初から最後まで「地球市民」同士の交流の観を呈している。
6  九六年二月、テヘラニアン博士は、SGI会長の創設した戸田記念国際平和研究所の所長に就任。同博士の卓越したリーダーシップにより研究所は順調に成果をあげており、二〇〇四年初頭の時点で、十一冊の研究書籍を発刊するにいたっている。世界五十七カ国に研究協力を惜しまない学識者のネットワークを組み上げているのは、テヘラニアン博士の情熱と力量に負うところが大きい。
 日本人にとって、イスラムの人と思想は縁遠い存在である。近年、イスラム関係の紹介書がふえているとはいえ、一般の人々には分かりにくい。仏教とイスラムとの類似点、相違点を明らかにした本書の文明論は、同時にイスラムへの正確な理解と認識をもたらすものとなっている。
 ここで語られ示されたイスラムの多様性、寛容、人間主義の考え方は、人々のイスラムへの偏見の眼を大きく変換させるものである。しかも具体的な例を通し、歴史に照らし、思想を通じて説得力に満ちた展開となっている。
 なかでも興味深いのは、両者が「宗教的精神」の必要性で一致し、「分断と対立」の時代を、「寛容と共生」を軸とした新たな地球文明の時代へと転換しようとしていることである。「地球文明」とは決してユートピアの思想ではない。
 テヘラニアン博士からは、そうした文明が発展するための基盤として、文化の「自己讃美主義」や「自民族中心主義」を排し、「利他主義」への移行が主張されている。
 善悪二元論にかたむくことなく、人間と人間とを結びあう道にしか人類の未来はありえない。「利他」の生き方には他人を信頼し他のために尽くすことが自分もよりよく生きることになる、という積極的な生のあり方が示されている。
 テロの脅威が色濃くおおう世界。混迷の国際情勢のなかで、本書がさし示す人間と人間とを結ぶ“精神のシルクロード”は、人類に希望の未来を約束している。世界は今、二十一世紀への新たな歩みを開始しはじめた。たゆみなく積み重ねられてきた池田SGI会長の世界の識者指導者たちとの対話は、じつに千五百回を超えている。友情と信頼の強い絆のうえから織りなされる二人の語らいは、現代文明の闇と混迷が深ければ深いほど、これからも倦むことなく続けられるだろう。希望の火を赤々と灯すこの人間主義の『対話』を滋養として、われわれは新たな文明構築への挑戦をしていきたいと思う。    二〇〇四年五月三日

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