Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第九章 人間の安全保障――核兵器のない…  

「21世紀への選択」マジッド・テヘラニアン(池田大作全集第108巻)

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13  深い生命の尊厳観が人間共和の源泉に
 池田 仏法の「縁起」の思想にも相通じる考え方ですね。「縁りて起こる」とあるように、人間界であれ、自然界であれ、単独で生起する現象はこの世に一つもないと見ます。万物はたがいに関係しあい、支えあいながら、一つのコスモス(調和世界)を形成し流転していく、ととらえていくのです。
 「自分は生きている! 自分は、大きな生命の一部なのだ!」――こうした「生命」というもっとも普遍的な次元への深き詩的な眼差しは、そのまま、限りない多様性への「共感」となって広がっていきましょう。
 この生命の内奥から発する「共感」、いうなれば生命を内在的に掘り下げていったところに立ち現れる透徹した“平等観”や“尊厳観”こそ、「人間共和の世界」の源泉となりうるのではないでしょうか。
 テヘラニアン つまり、共生といっても、たんに「他者の存在を認める」といった表面的な寛容の精神だけでは不十分であるということですね。
 池田 ええ。それは、たんなる心構えといった次元を突き抜けて、生命の奥底から湧く秩序感覚、コスモス感覚に根ざしたものでなければならないでしょう。
 また、仏法では「依正不二」といって、生命活動の主体である「正報」と、環境である「依報」が二にして不二であると説きます。つまり、「主体」としての人間の生き方、生命状態が「環境」にも大きな影響をあたえていく――「内なる平和」の確立なくして「外なる平和」の創造は困難と考えるのです。
 ただし、「心の平和」だけではこの激動の社会の中で、たんなる観念論や抽象論の域にとどまってしまう危険性もないわけではありません。
 ゆえに私は、それと同時に、社会の平和と調和を追求する「現実の行動」が必要になると考えます。具体的実践がともなってこそ、「平和」は現実としての形をとりはじめ、定着しはじめていくのです。また、その戦いのなかでこそ一人一人の「内面の平和」も陶冶され、崩れないものになっていくのではないでしょうか。
 こうした往還作業が、やがて時代を突き動かす力となっていくと、私は強く確信するのです。

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