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第八章 精神の「内発性」――人類を照ら…  

「21世紀への選択」マジッド・テヘラニアン(池田大作全集第108巻)

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1  変革のダイナミズムこそ文明の生命
 テヘラニアン 私が所長を務める戸田記念国際平和研究所は、創立(一九九六年二月)以来、おかげさまで世界中の多くの方々から、ご理解と応援をいただいております。
 池田 先ごろ(一九九八年十二月)は、博士のおられるハワイの地元紙「ホノルルウィークリー」でも研究所の活動が大きく報道されたそうですね。
 多民族が共存するハワイは、人々の平和に対する意識も高い。
 テヘラニアン ええ。三ページにわたり、特集が組まれ紹介されました。反響の大きさに驚いています。見出しには、「地球の平和――戸田研究所は世界の人々をこの共通の基盤へ向かわせる役割を担っている」とありました。
 こうした例に見られるように最近、世界平和を願う心ある人々は共通の方向へ向かって動いており、大きな流れができつつある気がします。
 池田 そうですね。国連総会は西暦二〇〇一年を「文明間の対話年」と決議したことは先にふれましたが、さらに二〇〇一年から二〇一〇年までを「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力のための国際の一〇年」と決定しています。
 二十世紀文明が、あまりに暴力と殺戮を繰り返してきたゆえに、二十一世紀は“平和と非暴力の時代”に転換したい、との国際社会の切実な意思が感じとれます。
 テヘラニアン 二十一世紀の文明が、どのような「価値」や「哲学」を基盤とするかによって、人類の未来図はまったく別のものになるでしょう。
 池田 そのとおりです。この対話を通して、そのめざすべき方向性に光を見いだせればと願っています。
 そこで、「文明」の本質について引き続き、語りあいたいと思います。
 テヘラニアン それは、先に論じた「文明」の定義そのものにもかかわってくる問題ですね。
 私は、文明を「存在論」と「認識論」と「人間行動学」とが多かれ少なかれ首尾一貫している、一つの体系であるととらえています。
 「存在論」は生命の始まりと終わりに関する認識をあたえ、「認識論」は知識と学問に関する理論をあたえ、「人間行動学」は行動の規範をあたえます。文明においては、この三つが何らかの形で有機的な関係を形成しているのです。
 その意味で、文明間に一定の差異があるのは当然だとしても、あくまで私の立場は文明や文化そのものに優劣の序列をつける文明観を、いっさい認めるものではありません。
 池田 分かります。今、博士の言われた「存在論」、すなわち生命の始まりと終わりをどう認識していくかという問題は、非常に重要です。
 テヘラニアン もちろん、あらかじめ想定された指標に沿う進歩――つまり、物質面や道義面の進歩という点において、一種の類型論をもち出すことは可能でしょう。
 しかし文化と文明はすべて、有限、はかなさといった人間の普遍的状況に順応しながら、その状況を変革し乗り越えようとする人間のイマジネーション(想像力)の所産であると、私は思うのです。
 いかなる文化、いかなる文明でも、それぞれが独自の形でその文化や文明に属する人々に、自己超越の道、不屈の精神、外的な力に対する抵抗力をもたらすのです。
 池田 限りある自己を乗り越えていく想像力、またその所産としての変革のダイナミズムにこそ文化や文明の生命があるという見解に、私も全面的に賛成です。
 テヘラニアン それぞれの文化、それぞれの文明が、それ独自の生態的、歴史的状況のなかで「生の神秘」に向きあっているのです。
 だからこそ、それぞれの違いは人間の天分の多様な表れとして尊重され、讃美されるべきです。文明の次元の高低を論じるのは、人類史の展開におけるもっとも重要な多様性の価値を見失っているのです。
 それもまた、「文化の自己讃美主義」の表れにほかなりません。
 池田 まったく同感です。
 たがいの差異が対立を呼ぶというよりも、自分たちのほうが優れているという偏見が、対立をまねく真の要因なのではないでしょうか。
 そのためにも、「文明の衝突」か「文明の共存」かという二者択一的な考え方そのものを、まず見直す必要があります。
 なぜなら、かりに「共存」を実現したとしても、それがたんなる横並び的な「並存」であれば、人類にとって有益であるとは言いきれないと思うからです。
2  文明間の創造的関係生む「開かれた対話」
 テヘラニアン 私の見解も、まったく一致しています。
 前にも少しふれましたが(第五章)、人間の思考はややもすると二分法におちいりやすいものです。光と闇、善と悪、白と黒といった両極端によるのは、世界の認識方法としては単純明快であっても精緻さに欠ける方法であり、議論です。
 生命はもっと格段に複雑なものです。光と闇、善と悪、白と黒といっても、その間には、まことにさまざまな段階があります。その微妙な色合いや意味合いを認識するには、より柔軟な思考の枠組みが必要になります。
 中国の哲学にある「陰陽」という考え方は、単純きわまる二分法を超克する道を示唆しています。その道に従うと、もはや“二つのうちの一つ”ではなく、双方の観点から物事を考える方向へと導かれるのです。そこでは、光と闇、善と悪、また生と死の普遍的な相互依存性が示唆されています。問題は区分線をいかに引くかではなく、その調和をいかにたもつかにあると言えましょう。
 池田 陰陽にかぎらず、東洋思想では、西洋的な二元論とは異なる世界観が見られます。
 仏法でも「善悪一如」と説かれています。これはたんに善と悪との相互依存性を論じたものではなく、善にも悪にもなる人間事象をいかに乗り越えるかという点に主眼が置かれているのです。
 文明の出合いそのものが悪いのではない。問題は、それが実際にどのような結果をもたらすかにあるのではないでしょうか。
 哲学者のカールポパーは、異なる文明の接触から起こりうる危険は疑いもなく大きいが、しかしそれは同時に文化的創造性の源泉となりうると論じました。(『イスラーム文化』井筒俊彦、岩波文庫、参照)
 事実、歴史を振り返ってみれば、シルクロードを通じての中国文明とインド文明の関係や、地中海におけるギリシャ文明とイスラム文明との関係といったように、文明の接触が豊かな文化を開花させ、新しい価値観を生みだす契機となる例は数多く見られます。
 テヘラニアン おっしゃるとおりです。
 文明間の出合いには、破壊的な関係だけでなく創造的な関係もありえます。おそらく、その両方と言ってもよいでしょう。
 池田 異文明の接触によってもたらされるエネルギーを、真に創造的な方向へと生かせるかどうかはひとえに双方の努力、まさに「対話」にかかっている、と私は思うのです。
 カールポパーは、「ヨーロッパ文化の起源」(『開かれた社会の哲学』所収、長尾龍一訳、未来社 )の中で、ギリシャ文明が地中海文明、ヨーロッパ文明へと成長発展した原因が「文化衝突」にあると指摘し、複数の文化が接触するなかで、人々は長期間にわたって当然と思ってきたみずからの生活様式や習慣が、じつは「神の命じたものでも、人間性の一部でもない」と悟ってきた。それが歴史なのである――と論じています。
 このように、自分の属する文化や文明が、決して唯一無比なものではなく、人間の力で左右できるのだと気づくことによって、人類史は発展してきたとも述べています。
 異なる文明と接触するなかで、みずからの存立基盤を他の文明の枠組みを通して冷静に見つめられるという意味では、たがいの「差異」もよき刺激となるのです。そうした接触をグローバル(地球規模)に積み重ねていくところに、新たなる文明の展望も開けてくるのではないでしょうか。
 テヘラニアン 「文明間の対話」がめざす目的は、まさしくそこにあります。
 プラトンの対話篇では、真理とは、熟慮を尽くした対話によって、意見の対立と収斂を経由して探求されるものであるとしています。
 ヘーゲルとマルクスの弁証法でも、テーゼ(定立)とアンチテーゼ(反定立)から、正反対のものの統合、ジンテーゼ(総合)へといたることが進歩であり、目的とされているのです。
 池田 敵か、味方か――といった単純な図式化はたんに不正確であるだけでなく、人々の心の中に偏見を植えつける、まことに危険なものです。
 情報化社会を迎えている現代にあってなお、異なる文化や文明のイメージばかりが先行し、ときには歪められ拡散されるなかで、実像が正しく伝わらないという状況が根強くあります。それだけに、人間同士が直接会って話しあう「対話」、そしてたがいの文化、文明というものを理解しようとする慎重かつ謙虚な姿勢が強く求められるのです。
 テヘラニアン 同感です。
 私たちの認識は、ふつうは空間の三次元(縦、横、奥行き)と時間を合わせて、四次元にすぎません。ところが、物理学の「ストリング」理論は、さらに六次元まであることを数学的に示しました。
 また、理論物理学者のカクミチオ氏(ニューヨーク市立大学教授)は、著書『ハイパースペース』の中で、実体を十次元まで認識するにいたっています。
 私たちは四次元にとらわれるゆえに、それ以外の次元の存在に気づかない。ですから、認識ということに関しては「謙虚」であることが、何よりも賢明であると思うのです。
 池田 そうした謙虚で開かれた心にもとづく「文明間の対話」が行われることが、双方の対立を超え、より高い次元への跳躍を可能にするカギとなると思います。
 私が、「衝突」でもなく「並存」でもない、第三の道――「文明間の対話」による共存共栄を提唱するゆえんは、その点にあるのです。
3  「ミリンダ王の問い」が示唆するもの
 池田 ここで、歴史における事例をいくつか顧みたいと思います。
 「文明間の対話」というテーマを聞いて、私が第一に想起するのは、『ミリンダ王の問い(ミリンダパンハ)』という有名な仏教の古典です。
 これには、今から二千百年ほど昔(紀元前二世紀後半)、西北インドを治めていたギリシャ人の王ミリンダと、仏教僧ナーガセーナによる「対話」が収められています。
 当時は、アレクサンダー大王の遠征を契機として東西の文明(インド文明とギリシャ文明)が出合い、たがいに触発しあった時代でありました。
 テヘラニアン この対論は、西洋的理性と東洋的英知の魂の交流――ともいうべき有名なものですね。
 池田 ええ。特筆すべきは、東西の文明を代表した両者の対話の内容もさることながら、両者が「王者の論」ではなく、あくまで「賢者の論」を貫いたところにあるといえます。
 対話を始めるにあたって、仏教僧ナーガセーナは、ミリンダ王に呼びかけます。
 「大王よ、もしもあなたが賢者の論を以って対論なさるのであるならば、わたしはあなたと対論するでしょう。しかし、〔大王よ〕、もしもあなたが王者の論を以って対論なさるのであるならば、わたしはあなたと対論しないでしょう」(『ミリンダ王の問い1』中村元早島鏡正訳、平凡社)
 そこでミリンダ王は、「賢者の論」と「王者の論」の違いを問いました。
 ナーガセーナは、答えます。
 「賢者の対論においては解明がなされ、解説がなされ、批判がなされ、修正がなされ、区別がなされ、細かな区別がなされるけれども、賢者はそれによって怒ることがありません」「大王よ、しかるに、実にもろもろの王者は対論において、一つの事のみを主張する。もしその事に従わないものがあるならば、『この者に罰を加えよ』といって、その者に対する処罰を命令する」(同前)と。
 ミリンダ王は、ナーガセーナの言葉が意味するところを深く理解し、両者の長く実り多き「対話」が始まったのです。
 テヘラニアン 現代にも通じる大切な視点が、このエピソードには盛り込まれていますね。
 「王者の論」が力によるのに対して、「賢者の論」は対話によると言えましょう。
 「力」と「対話」という、二つの相対する極点の本質的な違いを示唆している「ミリンダ王の問い」の話は、他の文化的伝統のなかにもいくつか類例が見られます。
 「力」は銃剣によって得られますが、たとえ王であっても、より永続的な支配を確立するには、「対話」を用いざるをえないのです。
 この点はまた、プラトン、アリストテレスから、ニザームアルムルク、ファーラービー、イブンルシュド(アヴェロエス)、マキャベリ、ホッブズ、ロックやルソーなど、さまざまな政治哲学者が論じてきたところでもあります。
 池田 しかし残念ながら、こうした考え方はいまだ有力な位置を占めるまでにはいたっていません。
 私は、ナーガセーナの語った「賢者の論」という象徴的な言葉に、時代を超えた普遍的な対話の要件、つまり、理性的で実りある対話を成立させる基本が示されていると思います。
 それはまた、平等で自由な対話を根本としてきた、釈尊以来の仏教者の姿勢でもありました。
 力による押しつけでなく、「賢者の対話」で道を開く以外にない――人類史に輝くその偉大な模範を、はるか二千年以上も前に、ギリシャとインドの先哲が示したのが、まさにこの「ミリンダ王の問い」であったと私は思うのです。自由で平等な言論が民主主義をつくる
 テヘラニアン その「ミリンダ王の問い」の現代的意義を考えるうえで示唆的なのは、ドイツの哲学者で社会学者でもあるユルゲンハーバーマスが唱える「コミュニケーションの道理」です。
 彼は、民主主義の発展の基礎としてこの道理を非常に重視し、「実際的道理」「方便的道理」「批判的道理」といった他の道理と区別しています。
 「実際的道理」は、それぞれの文化的伝統のなかで、いわゆる「常識」と呼ばれるものです。しかしながら、この道理は普遍的なものではありません。
 ある文化における常識が他の文化では非常識になるということが、現実にあるからです。
 卑近な例をあげれば、西欧ではレストランやホテルでサービスをうけるとチップを渡すのが常識ですが、日本で同じことをするのは非常識になります。
 西欧の資本主義国では、サービスは商品と同様であり、それに対しては相応の代金を支払わねばなりません。ところが、日本ではサービスは礼遇なのであり、それに対しチップを支払うのは、お金には代えられない価値の品位を下げることになりますね。
 しかし、相反するこの二つの「実際的道理」は各文化の事情のなかでは、それぞれ理にかなったものなのです。
 池田 つまり「実際的道理」とは、ある限定された集団のなかでのみ通用する道理ということですね。
 テヘラニアン そのとおりです。
 二つめの「方便的道理」は、これよりも普遍的なものです。
 この道理は、ある仕事や目的をもっとも効率的になしとげるためにはいかにすべきかという、合理的な計算にもとづくものです。
 たとえば科学技術などは、この「方便的道理」の手段であると言えます。そして、この道理においては社会と個人を含む全世界が、特定の目的を達成するための操作の対象と見なされます。
 さらに、三つめの「批判的道理」は、初めに一定の規範的考えを構築し、その規範とくらべるかたちで現在の状況を批判するものです。
 すなわち、まず理想とするモラルやイデオロギーを打ち立て、その理想の世界観から現実の世界の状況を批判するのが、この道理であると言えます。
 池田 みずからの構築した理論やモデルを絶対視し、現実がこれに合致しないと批判を繰り返す――こうした例は、現代に数多く見受けられますね。
 二十世紀は、とくにイデオロギーによる呪縛が数々の悲劇を生みだしてきました。それは、ギリシャ神話に出てくる「プロクルステスのベッド」の逸話そのものの状況を呈していたと言えましょう。
 このギリシャの伝説的強盗は、旅人を自分のベッドにおびき寄せては、ベッドに縛りつけた。そして、ベッドの大きさに合わせ、旅人の背丈が短いときは引き伸ばし、長いときは足や頭を切り落としました。
 同じく、人間が生みだしたイデオロギーや理論が逆に人間を規定し、人間と社会を荒廃させ圧殺しゆく“凶器”となってきたのです。
 テヘラニアン そのような忌まわしい悲劇は、断じて繰り返されてはなりません。
 この「批判的道理」とは対照的に、ハーバーマスの言う「コミュニケーションの道理」は、そうした現実を束縛する理想を初めから立てることはしません。あえて言えば、彼はこの道理を通して「理想的な言論社会」の構築を志向しています。
 これは、力による強制がなく、意思疎通のアプローチに平等性が確立され、対話に参加する人々全員が、コミュニケーションの手法に通じている社会のことです。
 もちろん、現実の世界には、そのような理想にかなった社会はありません。しかし、私たちは意思の表現における自由と平等を尊重することによって、それに近づくことはできるはずです。
 実際、私たち二人が空間や文化の障壁を超えて、このように対話していること自体が、「ミリンダ王の問い」における「賢者の論」に通じ、ハーバーマスのいう「コミュニケーションの道理」の具体例であると思います。
 池田 ハーバーマスは、「誠実な話し手は、自分の発話行為が真面目であるという暗黙裡に含意された条件でもって自らが引きうけた帰結に対して責任をもつ、という義務を負う」(『批判理論と社会システム理論』佐藤嘉一山口節郎藤沢賢一郎訳、木鐸社)と述べていますね。
 博士の指摘されたとおり、たがいが「誠実さ」と「開かれた態度」をたもつことが、真に対話を行ううえでの不可欠の要件であると言えるでしょう。
 その意味で、ハーバーマスが「支配なき討論」の実現をめざして提示した所論は、コミュニケーションをもっぱら戦略的な手段としてとらえる発想を、根底から問い直したものと評価できると思います。
4  二つの文明結んだ“対話の詩人”
 池田 こうした「賢者の論」の精神とともに、実りある対話を成立させるうえで欠かせないものは、たがいの文化的な背景や土壌といった差異を乗り越える「普遍性」への眼差しであると、私は考えます。
 そこで次に焦点をあてたいのが、サアディー、ハーフィズに並ぶ「ペルシャ三大詩人」の一人として名高いルーミーです。
 文明を結ぶ“対話の詩人”であったルーミーは、日本の鎌倉時代、日蓮大聖人とほぼ同じころの十三世紀に活躍しました。当時はモンゴルが領土拡張をめざし、世界に覇を唱えていた時代ですね。
 テヘラニアン まさに、西アジアと中央アジアの大混乱期でした。モンゴルの侵略が旧来の世界を動揺させ、一二五八年にはバグダッドのアッバース朝のカリフ統治を終息させました。
 さらに、ネイシャプールをはじめ、人口一〇〇万を超える都市が潰滅しました。人間はもとより、生きているものすべてが殺されたのです。猫や犬でさえ生き残れなかった、と歴史家は記述しています。
 そうした惨状のもとでは、生きていること自体が疎ましくなり、人々は絶望に打ち沈んでいたと思われます。
 池田 大詩人ルーミーは、そんな動乱の時代に現在のアフガニスタン北部にあるバルフの町の、学者の家に生まれ育ったのでしたね。
 テヘラニアン ええ。ルーミーは、イスラムの優れた法学者を輩出した家系の出でした。彼の父も、バルフにおけるサルタンアルウレマ(学者の王)だったのです。
 ルーミーは、こんな詩を残しています。
 「多くのインド人がいても、(言葉は通じるが、心が通じないのでは)たがいに他人同士である。多くのインド人とトルコ人がいても、(言葉は通じなくとも心が通じれば)たがいに分かりあうことができる。“舌の言葉”よりも“心の言葉”である」という内容です。
 池田 動乱の時代、ルーミーは両親とともに、ペルシャ、イラク、アラビア、シリアと各地に移り住み、ついには小アジア(現在のトルコ)の一都市であるコニヤに定住したと言われています。その詩の中にも、彼が長い旅路を通じて培った、体験と知恵のようなものが凝縮しているように思います。
 テヘラニアン 先ほど会長は、ルーミーを「文明を結ぶ“対話の詩人”」であると言われましたが、この詩を見るだけでも、その着眼点がきわめて的確であることが証明されると思います。
 ルーミーは、異なる地域で誕生した文化的遺産――ブッダ(釈尊)の教えとイスラムの教えを結びつけ、二つの文明の橋渡しをする働きをなしとげたのです。ここでルーミーについて語りあうまえに、彼が生まれ育った中央アジアのもつ地域性について、若干、言及しておきたいと思います。
5  「文明の十字路」としての中央アジア
 テヘラニアン ルーミーの生まれたバルフは、もともとペルシャ帝国の太守の領地でしたが、紀元前三二八年にアレクサンダー大王に降伏します。
 しかし、紀元前二五六年には、そのバルフが独立を宣言し、ギリシャ人に「バクトリア」の名で知られる強大な国家となって、その征服の版図をインド北部の奥にまで拡大したのです。これが結果的にバルフを、ヒンドゥー教と仏教に接触させたと言えます。
 のちに中央アジアにクシャン朝(クシャーナ朝)が興隆したことが、仏教の発展にとって望ましい環境をもたらしました。中国へ最初に仏教が伝えられたのは、じつは中央アジアからです。仏教がインドから中国に入ったのは、イエスキリストと同時代のころでした。
 池田 創価大学のシルクロード学術調査団が、一九八九年と九一年、九三年の三回にわたり、中央アジアのウズベキスタンとの学術交流で、シルクロードの
 要衝であった遺跡を共同で発掘したことがあります。
 なかでもクシャン朝の遺跡が多く、当時の都城や集落の跡が発見されました。創価大学の学術調査団が調査した「ダルヴェルジンテパ遺跡」も、クシャン朝の代表的な都城址であったと言われます。
 クシャン朝の時代(盛期は紀元一―三世紀)、インドでは大乗仏教が栄えました。またガンダーラ芸術が興隆した王朝としても知られています。
 最盛期の王であるカニシカ王は、仏教を厚く保護し第四回の仏典結集も行った。またこのころ、竜樹馬鳴らの大乗学者が活躍しました。
 テヘラニアン 創価大学の調査団による「南ウズベキスタンの遺跡」に関する本を拝見しました。仏教の伝播を含めて、いかにして中央アジアが文化交流と交易の十字路になったかを理解するには、こうした歴史的背景をふまえておく必要がありますね。
 シルクロードを通って東と西からやってくる商人たちが物資を交換していた時代に、一方では学者たちが宗教と政治の思想や知恵をたがいに伝えあっていたのです。
 池田 はるか東方の中国へ渡って栄えた仏教美術にも、ガンダーラ美術の影響があったことは、敦煌の千仏洞の仏像群や絵画などにもうかがえます。それがさらに日本に伝来して、仏教に大きな影響をあたえたとも言われています。
 もしもカニシカ王による仏教保護と興隆がなければ、仏教の世界宗教としての性格の醸成はもっと遅れたのではないか、と指摘する識者もいるほどです。
 カニシカ王の仏教史上の功績は、じつに大きいものがあります。
 テヘラニアン 私も一九七一年にアフガニスタンを、九二年と九四年には中央アジアを訪れましたが、往時の文化交流の遺産のすばらしさを見ることができました。
 池田 そういえば、私たちが最初に東京で会談した(一九九二年七月)のは、たしかちょうど、博士がシルクロードへ向かわれる旅の途中のことでしたね。
 テヘラニアン ええ、そうでした。
 一九七一年に当地を訪れたさい、アフガニスタンと旧ソ連の国境に流れているアムダリヤ川の川岸で、ギリシャ時代の都市国家の遺跡を見ました。そこでは、礎石や台木、幾何学模様の壷などが発掘されました。
 カブール(アフガニスタンの首都)の郊外数マイルのところにあるバーミヤーンの石窟では、周囲の山に彫られた壮大な仏像を見ました。もっとも大きい彫像は、高さが五十五メートルもあるということでした。像の背後には、僧房窟がありました。一時期は、アジアの各地から参拝に訪れる仏教徒が集まる場所だったのです。
 カブール博物館では、ギリシャ的特徴と仏教の特徴とが融合した、特異な様式の彫像と装飾のデザインにふれることができました。しかし、不幸にも博物館は内戦で破壊されてしまいました。
 武装勢力タリバンによる攻撃で、巨大な仏像は大きな損傷を受けたと聞いております。多様性の奥にある「人間性」の普遍の光
 池田 一方で、中央アジアは、イスラムとの間でも深い関係を育んできていますね。
 テヘラニアン ええ。イスラムが七世紀に中央アジアにおよんだときは、すでにそこにはじつにさまざまな伝統――ヒンドゥー教、仏教、道教、ギリシャ思想、イラン思想(ゾロアスター教、ミトラ教、マニ教、マズダク教)――が根づいていました。
 イスラムはこれらの文化伝統に対し、最終的には対話関係を結ばざるをえませんでした。そしてイスラムは、すでに豊饒であった文化のうえに、独自の宗教的、文化的な寄与を果たしていったのです。
 池田 スーフィズム(イスラム神秘主義)も、そうした諸文化と諸文明の接触の影響を多分に受けたものと理解してよろしいですか。
 テヘラニアン そのとおりです。スーフィーの教えはイスラムの比喩と象徴を用いていますが、その中身はまったく普遍的で多文化的です。
 そうした総合化の働きが主眼としたものは、法の条文よりも法の精神を、シャリーア(イスラム法)よりもタリーカ(道)を、理知よりも心理を、外形や儀式よりも内的真理を、偶像よりも真髄の礼拝を、生の差異よりも存在の統合を、重んじることでした。
 スーフィーの教えは道教にもよく似ており、道教のように道を志向し、詩歌を伝道の手段として用いました。
 池田 詩人ルーミーは、こう述べていますね。
 「一〇個のランプが、同じ場所で灯っている。(ランプの)外形は、みな、それぞれ異なっているが、その明かりを、じっと見たとき、どの光がどのランプのものなのか、見分けることはできない。(それと同じく)精神の領域には、いかなる分断もない。そこには、いかなる個も存在しない」――と。
 人類の統合さえ構想していたと言われるルーミーが訴えているように、たとえ百の国、千の民族があろうとも、その多様性の奥には必ず「人間性」という普遍の光があるはずなのです。
 人類の心にこの光を灯し、その光をたがいに寄せあうことが、今こそ求められています。またそれは、民族や文化伝統といった多様性を、真に生かす道であると言えないでしょうか。
 テヘラニアン 同感です。現代はある意味で、十三世紀の西アジアや中央アジアと似かよっていると言えます。
 つまり、科学技術の大進歩は私たちの社会に絶え間ない変化をもたらしましたが、その一方で限りない欲望が人々の心を支配しているのです。
 そして、このことから生じる不安と懸念が、官僚化の進む社会の中で生の匿名化や抽象化に結びつき、一人一人の人間を精神的な意味で“根無し草”の存在としているのです。
 池田 こうした現代人の状況は、チェコの哲人政治家、ハベル大統領が「自分自身の主人になれない」危機と指摘しているところです。
 テヘラニアン 現代は信仰もなく、真の共同体もなく、確たる指針もない無意味な世界が広がりつつあると言えるでしょう。
 そうしたなかで、人生の意味を探求する世界中の思慮深い人々は、自分たちのかぎられた文化の地平の彼方をのぞみ見て、他の文化や文明のなかに現在の難局を打破する答えを求めています。
 だからこそ、世界各地で大乗仏教の流れをくむSGIが発展し、アフリカやアメリカでイスラムが、旧ソ連の諸地域と中国でキリスト教が、それぞれに発展していると私は見ております。
 世界のどこを訪れても、排他的な民族主義、自民族中心主義、「文化の自己讃美主義」を超えることのできる普遍性が希求されているのを、つくづく実感するのです。
6  大いなるコスモス――「共生」の秩序感覚
 池田 そうした時代の志向性については、私も一九九四年に行ったモスクワ大学での講演(「人間―大いなるコスモス」がテーマ。本全集第2巻収録)で大要、次のように論じました。
 ――『法華経』では譬喩をもって、それぞれの“衣服の裏”に、等しく同じ宝を、すなわち「仏性」という尊厳な「普遍の生命」を見いだすことを説いている。
 そうした認識を通じて、異なる文化や民族、文明に属するあらゆる人々が、宇宙的な自己認識に到達していく。そこで浮かびあがってくる「普遍性」とは、人間と自然と宇宙が共存し、小宇宙(ミクロコスモス)と大宇宙(マクロコスモス)が一個の生命体として融合しゆく「共生」の秩序感覚であり、そうしたみずみずしい「普遍性」を生命に充溢させていくならば、たとえ属する集団が異なったとしても、対話も相互理解もつねに可能である――と、訴えたのです。
 テヘラニアン まことに示唆深い哲学ですね。
 現代においても、人々の精神的希求に呼応するかのように、新しい“神話”が登場しつつあります。
 いわゆるユダヤ教のいう「選民」や、もともとはアメリカの領土拡張を正当化した「自明な運命」、あるいはキップリングの詩の題名に由来する「(有色人の未開発国を指導すべき)白人の責務」といった古い神話に代わる、新しい神話が登場してきているのです。
 なかでも、地球を一個の生命体とする「ガイア」神話は、母なる地球を守る共同の努力に諸民族、諸部族を連帯させうる強力な普遍的神話であると言えるでしょう。こうした創建神話は、たがいの差異を超えて、すべての文明の基盤を形成するものです。
 それに対して、特定の人種や民族の優越性を奉じる信仰は、帝国主義を台頭させ、しばしば戦争を引き起こし、破壊をもたらしてきたのです。
 池田 今日、世界各地で頻発している民族問題も、そうした閉鎖性が根底に横たわっていると私も思います。
 先のモスクワ大学での講演でも言及したのですが、トルストイの『アンナカレーニナ』の中に、こんなくだりがあります。
 セルビア戦争にさいして燃えあがった、自己犠牲をも辞さない民族的熱狂に水をさすように、登場人物レーヴィンは、こう言います。「しかし、単に犠牲になるだけでなく、トルコ人を殺すんじゃありませんか」(中村白葉訳、『トルストイ全集』8、河出書房新社)と。
 この短いセリフに端的に示されているように、民族的熱狂のような狂気には、他集団に対して非人間的な行為を平然と行ってしまう“魔性”がひそんでいると言えましょう。
 またレーヴィンは「神性の現れ」を自分のうちに感じながら、こう自問します。“ほかのユダヤ教徒や、イスラム教徒や、儒教の徒や、仏教徒――彼らは、この最善の幸福を奪われているのだろうか?”と。レーヴィンが感じたものは、まぎれもなく内発的な啓示でありました。そこで、彼は考えたのです。こうした幸福はキリスト教徒にかぎられているのか、異教徒はどうなるのか、と。
 トルストイが提起する、このレーヴィン的懐疑こそ、自己の内面を見つめ直し、普遍性のなかで、新たな自分を創りあげていこうとする内発的な力であると、私は考えるのです。
7  歴史の転倒正す「人間革命」運動
 テヘラニアン そこに、宗教的ドグマ(教条主義)を乗り越えるカギがありますね。
 ドグマに呪縛された宗教は、歴史上、数えきれない悲劇を人間にもたらしてきました。
 池田 「内発性」――それは古来、人格的な価値の枢軸をなし、対話の要件ともいうべき、謙虚さ、寛容性を生みだす母胎となってきたと言ってよい。
 この「内発性」をおろそかにしたがゆえに、宗教史において独善や傲慢が横行し、“宗教のため”に人間が傷つけあい、殺しあうという転倒が繰り返されてきたと言えるのではないでしょうか。
 “宗教のため”ではない、いっさいの根本は“人間のため”という一点にある――私たちSGIがめざす「人間革命」運動は、こうした歴史の転倒を正し、ともに光り輝く地球文明を創出するための方途として、一人一人の人間生命の次元からの変革を第一義として掲げているのです。
 テヘラニアン すばらしいことです。
 戦争や無知、そして不正に対抗して世界を一体化させ、人々を結びつけるために、科学的証拠にもとづく「ガイア」神話のような基軸的原理を皆が心にいだくべきときが、到来していると私は思います。
 “宇宙船地球号”を文明間の平和、友好、超越をめざす私たちの共同の旅の乗り物と見なす「地球文明」は、会長が主張されるように、まさに一人一人の「人間革命」を基軸として創造されなくてはならないのです。

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