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日蓮大聖人・池田大作

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第七章 「地球文明」の創出――平和への…  

「21世紀への選択」マジッド・テヘラニアン(池田大作全集第108巻)

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2  戸田城聖第二代会長は、一九五七年(昭和三十二年)九月八日、「原水爆禁止宣言」と呼ばれる歴史的なスピーチを行いました。
 「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」と。
 博士の詩には、師の叫びと相通じる心があると思います。
 平和研究所の仕事は、人間を幸福の方向へと導くための基盤づくりです。それは地味であるかもしれません。
 しかし、波涛が何度も何度も押し寄せて巌を削っていくように、倦まず弛まず、崇高な目的に挑戦し続ける。その人こそ、真の「人間王者」だと思います。
 テヘラニアン あたたかいお言葉をいただき、心から励まされる思いです。
 池田 この対談の大きなテーマは、文明間の「開かれた対話」ですが、昨今の世界の動向を見ても、この課題はますます重大な意義があると思います。博士には、縦横無尽に論じていただきたいと思います。
 テヘラニアン 分かりました。そのテーマは、私がもっとも関心をいだいているものです。
 池田 まず「文明」と聞いて思い起こされるのは、シュペングラーやトインビー博士などの学説です。彼らは、人類史を俯瞰するにあたって「興亡するものとしての文明」という概念を提起しました。とはいっても、両者が提起する概念の間には、大きな違いがあったといえます。
 『西洋の没落』を著したシュペングラーの場合、それぞれの文明はたがいに没交渉であり、おのおのそれ自体において完結していると見ました。ただし“誕生から没落へ”という衰退のプロセスのみは同一であり、このプロセスがおのおの繰り返されると規定したのです。
 一方、トインビー博士はそれぞれの文明の発展のプロセスが、必ずしも同一のパターンを繰り返しているとは見ませんでした。
 大著『歴史の研究』で、「挑戦と応戦」という理論を提示しながら論じているように、自然的には同じような条件(挑戦)でも文明の対応(応戦)によって、それぞれの違いが出てくると考えたのです。
 テヘラニアン 「文明」は、つねに魅惑的なテーマです。文明が、生命体のように誕生、若年、熟年、老年、死亡という循環を経ていくという、シュペングラーやトインビー博士らの比喩的一般論は、まさに概説されたとおりです。
 そのほかにも、マルクス、ウェーバー、フロイト、ソローキン、ノルバートエリアス等の思想家や学者をはじめ、多くの人類学者が文化と文明はいかにして出現し、発展し、衰退し、消滅するかという問題を論じてきました。
3  トインビー博士の特筆すべき業績
 池田 私もかねてより、文明史観に深い関心をいだいてきました。トインビー博士からロンドンの自宅にまねかれて、のべ十日間にわたり真剣に語りあったことがあります。二十五年ほど前の、懐かしい思い出です。(一九七二年五月と翌七三年五月に、合計四十時間におよぶ対談を行った)
 対談のなかで確認させていただいたことですが、トインビー博士は人類史における文明の発生と成長をふまえつつ、自然環境自体が民族の創造力の強弱を決めるのではなく、むしろ環境的な困難さにどのように対応するかが文明創造の発条となる、との趣旨のお話をされていました。
 テヘラニアン 池田会長とトインビー博士との対談集は、私もたいへん興味深く読ませていただきました。
 トインビー博士の業績をどのように評価されますか。
 池田 トインビー博士の業績として特筆されるべきは、それまで根強かった「西欧中心史観」を打破する歴史観を提起したという点ではないでしょうか。
 今でこそ文化人類学などの進展によって、西欧的価値観の一元的支配が突き崩され、文化の間に序列などないとする「文化相対主義」が定着してきましたが、トインビー博士はある意味で、その先鞭をつけたのではないかと私は思うのです。
 テヘラニアン 同感です。
 それまでは、西洋こそ「洗練された」文明の絶頂に達しており、それにくらべると他の文化や文明は遅れているという見方が、西洋人の間では支配的でした。
 しかし今日、それはまったく通用しない。“先進性”を誇るといっても、せいぜいこの二世紀の間のことでしょう。それ以外の時代に関しては、だれもそのような見方には賛同しないことは明らかです。
4  「自文化中心史観」のもつ覇権主義的思考
 池田 前半の対話で、私たちがイスラム世界がヨーロッパにあたえた影響を論じあったように、西洋の優位が何も人類の歴史とともに連綿と続いてきたわけではないことは、もはや共通の認識になってきていますね。
 テヘラニアン ええ。西欧中心史観に見られる、進化主義的な硬直した見方の例として、人類学者エドワードタイラーの説があげられるでしょう。
 彼は、こんな言葉を残しています。
 「人間の生活は、野生、蛮生、洗練の三つの段階に大別できる。……ブラジル森林人の野生、ニュージーランド人の蛮生、ヨーロッパ人の洗練」と。
 こういった西洋の驕慢さが深刻な挑戦を受けることは、二十世紀においてヨーロッパが引き起こした二度の世界大戦までありませんでした。
 しかし西洋は、大戦中におけるユダヤ人に対する大量虐殺(ホロコースト)や、戦後も東西対立という冷戦構造を現出させ、核兵器による脅威や、ひいては環境破壊を引き起こしてきました。これらのすべての出来事は、西洋の先進性が“虚構”であることを如実に証明したのです。
 池田 たしかに、“洗練”された文明を誇るヨーロッパで吹き荒れた「非人間性」の嵐や数々の悲劇を思えば、いったい何が野蛮で何が進歩なのか、だれしも疑問を感ぜずにはいられないでしょう。
 ただ、そこで一足飛びに、西洋以外の文明のほうが優れているといった結論を導いては、堂々巡りになってしまう。
 むしろ留意すべきは、みずからの文明のみを絶対視する姿勢から生みだされる、覇権主義的な思考でしょう。そうした危険因子は西洋にかぎらず、どの文明にも少なからずあると思うのです。
 テヘラニアン 近年は、エドワードWサイード、ミシェルフーコー、ノームチョムスキーらの学者たちも同様の注意を喚起しています。
 「覇権主義」は、一つの文化にそなわる優越性から出現するというよりも、覇権そのもの、優越そのものを求めるなかで出現することを明らかにしているのです。
 現代のように、グローバリゼーション(地球一体化)が急速に進む時代にあっては、もはや一文化の優劣を論じることは無意味です。それよりも、むしろ文化間の対話と協議を中心にすえた“ポスト覇権主義”の時代に入っていることをよく認識して、人類は進まなくてはなりません。
 池田 私たちの対話がめざす方向性も、まさにそこにあります。そこにこそ、たしかな平和への大道が開かれていくにちがいありません。
5  「寛容」と「共生」を軸に新たな地球文明を
 テヘラニアン さらに議論を進める前に、ここで「文化」と「文明」の概念を整理しておきたいと思います。
 池田 そうですね。二つの用語は、ともすれば混同されがちです。「文化」と「文明」をどう区別し、とらえていくかということは大切なポイントです。
 テヘラニアン 私が思うに、「文化」とは、人間の生活形態の表現ともいうべきものです。
 一方、「文明」とは、その文化の形態を調整しながら、一定の物質的形態、精神的形態へと導いていく企てであると、私は考えます。つまり「文明」は、多様な「文化」を包摂しつつ、意識的に組織された、法的、科学技術的、経済的、政治的構成などの諸要素を含む複雑な社会的システムであると思うのです。
 この“包摂”ということでは、たとえば西洋文明は、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、その他の国々の文化を包摂しています。さらには、東洋、西洋、南洋、北洋といったさまざまな文明の寄与から出現しつつある、一つの世界的な人類文明――「地球文明」も、この包摂の例としてあげることができるでしょう。
 そうした意味でも、「文明」は分析上の有用なカテゴリー(範疇)といえるのです。
 池田 たしかに、昨今ではグローバリゼーションの進展にともなって、「地球文明」という言葉もしだいに現実味をおびてきています。
 しかし、このグローバリゼーションも無秩序に進行している感があり、そのことがまた、世界のいたるところで新たな不安定要因をつくりだしています。
 地球一体化の流れは、もはや不可逆的であると思われるだけに、その進むべき方向性を示す確たるビジョンや哲学が要請されるのです。
 テヘラニアン ええ。いずれの文明も、一定の価値と基準を、ときには他の文明を犠牲にしながら最大に表現しているだけに、現在形成されつつある「地球文明」にとって何が望ましい基準となるのかを、ある程度、私たちは明確に認識しておく必要があります。
 そこで、そのような文明が発展するための基盤として、文化の「自己讃美主義」から「利他主義」へ移行する運動を考えてみたいと思います。
 この問題を考えるうえでまず念頭におくべきは、「自民族中心主義」が依然として、世界のいずこの地でも横行しているという現実です。
 言い換えれば、現存する文化形態のほとんどすべてが、トインビー博士のいう「挑戦」を内外から受けないかぎり、他の文化よりみずからの文化のほうが優っているととらえたままなのです。
 新しい、より優れた価値観をいかにして生みだすか。創価学会のすばらしさは、そのことを認識し、その価値設定をしていることです。
 池田 まさにそこが、問題の急所です。
 私が一九九八年の「平和提言」の中で、牧口初代会長が『人生地理学』で提唱した「他を益しつつ自己も益する」人道的競争の理念をふまえつつ、“競争”から“共創(ともに価値創造する)”への行動規範の転換を強調したのも、同じ問題意識に立ってのものでした。
 この行動規範の転換こそ、特定の価値観にもとづくきわめて同質性の強い世界秩序でもなく、無軌道でモザイク的な世界秩序でもない「第三の道」――つまり、「寛容」と「共生」を基軸とする地球文明への道を開くために、必要不可欠なものではないでしょうか。
 テヘラニアン 同感です。文化の「自己讃美主義」から「利他主義」へと移行するために、私たち人類は、今まさに意識変革を迫られています。
6  異文化の出合いの歴史――日本と西洋
 テヘラニアン ここで、人類の歴史を少し振り返ってみたいのですが、文化間の挑戦に対する応戦の範囲は、一般に「排他」から「模倣」「順応」へとおよんでいきます。
 西洋系文化に出合ったアジア系文化の場合が、その明らかな事例と言えましょう。なかでも、日本においては西洋に対する日本人の最初の応戦は、「南蛮」という軽蔑語に象徴されるように、全面的な排他ではなかったでしょうか。
 池田 そのとおりです。「南蛮」は象徴的な言葉です。そこには侮蔑の意味だけでなく、何か得体の知れない存在に対する恐れや違和感などもこめられていたでしょう。イエズス会の宣教師フランシスコザビエルが日本を訪れたのは十六世紀の半ば(一五四九年)、室町時代も終わりのころでした。「南蛮」という呼称は、その室町末期から江戸時代にかけて使われた言葉です。
 テヘラニアン その後、日本は西洋の進入に対し鎖国政策をとりました。(一六三三年)
 しかし二百年の時を経て、アメリカのペリー提督が軍艦を率いて浦賀沖に来航してからは、もはや西洋の軍事力と文化の支配に抵抗しきれずに、ついに日米和親条約を締結しています(一八五四年)。以来、日本は世界のなかでの優位を確保するために、西洋を模倣する道を選びました。
 明治維新によってこの路線は確立され、二十世紀に入ってからは、西洋の帝国主義や軍国主義までをも模倣するにいたりました。
 池田 博士のおっしゃるとおり、世界の列強諸国に伍するために、日本は「富国強兵」の道を突き進みました。そして、植民地支配の競争に遅れまいと戦争にあけくれ、アジアの近隣諸国への侵略を続けたのです。
 その結果、わずかの同盟国を除いて全世界を敵にまわす愚行を犯し、それは第二次世界大戦での敗戦にいたるまで止むことがなかったのです。
 テヘラニアン 敗戦が日本の人々に教えたのは、軍国主義を放棄すること、そして、現代の科学技術を西洋諸国から学び、復興をとげなければならないという点だったと思います。
 そうしたなかで、創価学会のように文化の壁を乗り越え、世界との交流を広げる団体も出てきました。そこには、文化の「自己讃美主義」を離れ、「利他主義」へと向かう運動が見られます。SGI(創価学会インタナショナル)の「対話」を重視する精神には、日蓮仏法に見られる普遍的な「非暴力」と「慈悲」の理念が結実しているのです。
 私の日本文化史に対するこうした認識が正しければ、その図式は他の国の文化や文明についてもあてはまるのではないかと思うのです。
 池田 博士の日本文化史に対する認識は、非常に的確であると思います。とともに、私ども創価学会やSGIに対する深いご理解に感謝いたします。
 こうした志向性は、学会の創立時(一九三〇年)、つまり戦前の時代にすでに確立されていたものです。
 先に紹介したように、牧口初代会長が人道的競争の理念を世に問うたのは、今世紀初頭(一九〇三年)、日本が「富国強兵」への道を突き進んでいた時代のことでした。
 創価学会は、この初代会長の理念を受け継ぎ、仏法の人間主義を基調に、平和文化教育の運動を、一貫して展開してきたのです。
 一九九五年に制定した「SGI憲章」でも、とくに一項目を設けて、「SGIはそれぞれの文化の多様性を尊重し、文化交流を推進し、相互理解と協調の国際社会の構築を目指す」(第八項)と謳っております。
7  人間の二面性を反映した二十世紀
 テヘラニアン たいへん、すばらしいことです。世界全体が、そうした方向へと向かっていくべきだと思います。
 科学技術の発展にともない、人類はかつてない繁栄を手にしたかのように見えます。しかし、今世紀における数々の事例が示しているように、物質的な進歩に精神的な進歩の度合いが合致する保証は何もないのです。二十世紀というのは、物質文明が驚異的に進歩した世紀であると同時に、有史以来、未曾有の流血を見た世紀でした。
 大量破壊兵器の開発とともに殺傷率と命中率は進歩しましたが、国際紛争解決の手段としての暴力を抑制する道義上の制度は、いまだ確立されていません。ひとたび戦争が起これば、人間は野蛮人に変わってしまい、それまでの洗練された行動様式などかなぐり捨ててしまうのです。
 池田 ご指摘のように、二十世紀はそうした両面性がとりわけ際立った時代でありました。
 この点、「20世紀とは何だったか」(日本経済新聞一九九七年九月二日付)の中で、アメリカスタンフォード大学のケネスJアロー名誉教授も「二十世紀は、大小さまざまな戦争や政治的な虐殺によって多数の犠牲者を出し、人類の破壊行為の頂点としての自然環境破壊が加速した『最悪の世紀』だった」とし、その一方で「長寿社会や経済成長を実現し、民主的な制度や個人の自由が浸透した『最良の世紀』でもあった」と総括しています。
 さらにアロー氏は、「二十世紀の二面性は、人間の二面性――邪悪さに向かう傾向と良識や穏健性に向かう傾向――をそのまま反映したものである」とも述べています。
 私が思うに、人間の道義性という観点からは、人類が克服すべき課題はまだまだ山積しているというのが、まぎれもない現実ではないでしょうか。
8  「同苦」の精神が文化や国家の壁を超える
 テヘラニアン 同感です。そのなかでも、とくに科学技術の進歩と道義の関係について、人類は重要な問いを立てなくてはなりません。
 私たちは、科学技術の進歩に道義がともなっていない現在の諸国家以上に、将来において、両者が相ともない進歩していく国家の姿を想像することができるでしょうか。答えはむろん、「ノー」です。
 ことに私が提起した判断基準――すなわち、文化の「自己讃美主義」から「利他主義」への移行という基準を考えれば、より明らかです。
 「利他主義」は、他者の苦悩に「同苦」する心の状態と価値観の体系を必要とします。だからこそ、利他的な文化においては、他者を操作や破滅の対象にすることなど絶対にありえないのです。
 池田 「同苦」する心――それは、他者との共存を実現するうえで、一つの重要なキーワードですね。
 フランスの思想家シモーヌヴェイユも、次のように述べています。
 「国民の偉大という自負心は本来排他的で、ほかの国民のものにすることはできないのに対して、胸を痛める心は本来普遍的なものである」(「デラシヌマン」大木健訳、竹内良知編『疎外される人間』所収、平凡社)と。
 ヴェイユは、この「胸を痛める心」にみずからの足場を見いだしながら、より普遍的なユマニスム(ヒューマニズム)への可能性を展望しました。そこに、みずからが属する集団に対する「自負心」――いわゆる狭隘な“われわれ意識”を克服するカギがある、と。
 テヘラニアン そうした「自負心」を表す言葉は、枚挙にいとまがありません。「白人の責務」「自明の運命」(アメリカは北米全体を指導すべき運命を担っているという理論)といった言葉や、いわゆる「超ドイツ連邦」「神国日本」などの観念は、文化の自己讃美の最たる例です。
 それらに対し、「人類はすべての国家を超える」「地球的に発想し、地域的に行動せよ」といったスローガンや、「宇宙船地球号」「ガイア説」等に見られるグローバル(地球的)な発想は、地球単位の世界文明がすでに発芽している例と言えましょう。
 池田 仏法でも、文化や民族の違いを超えて連帯する源泉として、ヴェイユの言葉に通じる「同苦」の心の重要性を説いています。
 この「同苦」の心から発する「慈悲」こそ、仏法の骨格中の骨格の精神なのです。
 テヘラニアン よく分かります。他者の苦しみを「同苦」する心――そうした人間性の回復こそが、現代にあっては急務です。またそのためにも、「利己」ではなく「利他」という、人間関係を再構築する新しい価値観を確立せねばなりません。人間が、他の人間や自然との関係にあって、他者を自分の狭い了見で判断したり、利己的な欲望を実現するための対象としてあつかってはならないのです。
 ただし私は、マルチンブーバーの言う「我と汝」の関係、すなわち自他彼此を差別しない相互関係へと達しうるには、人類はまだ長い道のりを歩まねばならないと考えます。
 池田 だからといって、決してあきらめてはならないし、地道であっても私たちはその歩みを止めてはなりません。
 テヘラニアン おっしゃるとおりです。この問題をさけて、人類の希望の未来は開けないのです。
9  ハンチントン教授の「文明の衝突」論
 池田 文明間の対立や衝突は、はたして不可避なものなのか――。冷戦後の国際社会を論じるうえで、このテーマは一つの大きな焦点となっています。
 以前にも話題となりましたが、よい意味でも悪い意味でも、その論議を呼び起こすきっかけとなったのは、ハーバード大学のサミュエルハンチントン教授が発表した論文「文明の衝突」(「フォーリンアフェアーズ」誌、一九九三年七月号)でした。
 テヘラニアン そうです。その論文には、さまざまな角度から賛否両論が寄せられました。
 池田 ハンチントン教授はその中で、「冷戦」という“イデオロギー対決”の時代が終焉した現代の世界を、中華文明、日本文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、西欧文明、ロシア正教会文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明の八つに分類します。
 そのうえで、“文明の衝突が世界の政治を左右する世紀となる”“文明間の相違が未来の紛争の境界線となっていく”と予測し、それを論証する事例として、旧ユーゴスラビアから中央アジア、中東など「文明」の境界線上で多くの紛争が続いていることをあげています。
 テヘラニアン 西洋を他の文明圏と対立させるハンチントン教授の「文明の衝突」というテーゼ(命題)には、十九世紀の観念の一部が木霊のように宿っていると言えましょう。
 しかし、その短所を批判する前に、まず教授の論文が寄与している点を、私なりに指摘しておきたいと思います。
 このテーゼが寄与している第一点は、国際関係における文化、文明、価値観、道義、規範等を取り上げていることです。
 そして第二点は、外交や外務の問題を、国家中心の観点から見る傾向を弱めていることです。
 ハンチントン教授は、世代からいえば、現実主義者を自認しているアメリカの政治学者の世代に属しています。彼らは、外交行為においては価値観や道義は無用であると主張します。
 国内の活動は道義上の合意にもとづくものではあるが、国際的な活動においてはその種の合意はないというのです。
 こういう現実主義派の領袖であるハンスモーゲンソーの言葉を借りていえば、外交政策はただ一つの“導きの星”、すなわち「国益」に従って実行すべきであるということになります。
 アメリカを、朝鮮戦争やベトナム戦争、そしてペルシャ湾岸戦争へと導いたのは、こういった理論でした。
 池田 国益を至上のものと考え、国際社会における道義性を認めなければ、戦争といえども、外交政策のなかの一つの選択肢にすぎなくなる。だからこそ国家は、つねに戦争へと走る誘惑にさらされてしまう――国益至上主義の陥穽は、まさしくそこにあると言えましょう。
 ハンチントン教授は、こうした旧来の国益至上主義の立場にそのまま立っているのではない、ということですね。
 テヘラニアン ええ。その意味では、ハンチントン教授は「修正主義者」であると見なされます。現実主義者と断ずるには、国際関係における文化、文明、価値観、道義、規範の重要さをそれなりに認めているからです。
 しかし、彼の認識の基軸は、結果的には地政学と現実主義という伝統的な方向へと転じました。世界の文化の多様さを無視して、一部の地域と一部の文明を結びつけ、西洋は他とは明らかに異なる文明であるというのです。
 それに、さしたる理由を述べずに、ただなんとなく、西洋のほうが優れていると思われるゆえに、世界の他の地域を「文明化」する使命を西洋が遂行するのは当然である――といったことが、教授の分析には微妙に、ときには露骨に示唆されています。
 なかでも、ことに中国とイスラムの協調は西洋の価値観にとっては特別の脅威となるゆえに阻止しなければならないと、ハンチントン教授は主張しているのです。
 池田 たしかに冷戦後の国際社会は、まるでそれまでの矛盾が一気に噴き出すかのように地域紛争が続発したり、世界的不況にともなう経済対立が深刻化するなど、新たな衝突の火種が生じてきている面はいなめません。内容はともあれ、この論文がインパクトをもちえたのは、そうした背景があったからと言えましょう。
 しかし、非常に複雑な要因がからみあった問題を、単純に「文明の衝突」という図式だけでとらえることには疑問を感ぜざるをえません。
 そこには“文明が異なるのだから、対立は不可避である”といった見方を、定着させる危険性がひそんでいるのではないでしょうか。
 未来への展望が、私たちの現在の行動に強い影響をおよぼすことを鑑みれば、十分な吟味は欠かせないと思うのです。
10  「人権」を人類普遍の価値とするために
 テヘラニアン まったく同感です。ハンチントン教授の主張は、人間がおちいりやすい文化の「自己讃美主義」が新たな装いをおびて表れたものと言えましょう。
 これに対しては、三つの根拠によって批判できます。第一には思想的側面から、第二に実際的側面から、第三に現実的側面からです。
 第一の点から申し上げますと、文化の「自己讃美主義」は、いかなる種類のものであれ、文化間の偏狭な差別を生じさせるということです。
 こうした偏狭さは、「文化間の対話」を前提として文明のグローバリゼーションへと進むべき私たち人類にとって、時代に逆行する性格のものなのです。
 さまざまな価値観のなかでも、こと人権に関しては、文化の違いを理由に例外を認めることは望ましくないと私は考えます。
 「世界人権宣言」とそれに付随する宣言に述べられている人権は、地球上のすべての人に適用すべきであると言ってよいでしょう。
 文明を地理的な領土と同等と見なしたり、各文明の間に緊張がないかのように自分たちの価値観を優先することは、問題をあまりにも単純化しすぎています。
 池田 そうですね。ただし、人類が共有すべき理念としての「人権」は、外在的な規範というよりも、あくまで一人の人間の生命を内在的に徹底して掘り下げたところに初めて立ち現れる平等観、尊厳観――つまり、「内在的普遍」ともいうべきものであらねばならないと、私は考えます。
 一九九三年にウィーンで開かれた世界人権会議では、「人権」のとらえ方をめぐって先進諸国側と開発途上諸国側が鋭く対立しましたが、会議の焦点となった「人権の普遍性」というテーマも、そうした角度から見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
 そうでないかぎり、平行線をたどる人権論議の膠着状態から、本当の意味で抜けでることはむずかしいように思えます。
 テヘラニアン おっしゃる意味はよく分かります。
 歴史を振り返れば分かるように、法華経、ハンムラビ法典、十戒に始まり、マグナ=カルタ(大憲章)、アメリカ独立宣言、世界人権宣言にいたるまで、人権論はたんに西洋だけでなく、すでに世界の文化間の協議と合意の形成の一部になっていることを、人々は認識すべきでしょう。
 その意味で、いかなる国も、いかなる文明も、人権思想の独占を主張することはできないことを付言しておきたいと思います。
 池田 本当にそうですね。
 自文化の先見性、優位性を認めさせるために、人権思想の独占を声高に叫ぶよりも、どうすれば世界中で人権の尊重が実現できるのか、たがいに心を開いて話しあい協力しあう時代へと人類は進むべきです。
11  文明間の対話は「実際的」「現実的」視座で
 テヘラニアン 私もそう思います。
 第二に、実際的な面でも、ハンチントン教授の分析には重大な欠陥があります。
 たしかに、民族文化と地域文明は、現在でも分析上の有用なカテゴリーです。しかし、地球規模の世界市場、移動、交信による急速なグローバリゼーションが、いわば“文化の雑種化”という状況を広範に生じさせています。
 ところが、ハンチントン教授は、民族の「純血性」という十九世紀の観念を“文明の純粋性”という装いのもとに復活させようとしているのです。
 しかし、今やそのような純粋性は、民族主義者の思考のなかにしか存在しません。
 池田 日本でも、歴史的事実を十分にふまえないままに、自国をあたかも「単一民族の国家」と見なす考え方がいまだ根強いわけですが、そうした思想は日本にかぎらず、もはや“虚構”にすぎなくなっていると言えます。もちろん、厳密にいえば、もともと“虚構”であったのですが。
 テヘラニアン ええ。今ではほとんどすべての国家が“雑種の文化”であり、その傾向はますます進んでいるのです。
 ですから、伝統的な文化と文明が、文化間の対話と協調、借用や順応によって、みずからをいかに蘇生させているかを述べるほうが文明の純粋性を論じるよりも、はるかに現実の姿に即しているでしょう。
 実際、ハンチントン教授が、八つの文明の周辺に引いている「境界線」も、ぼやけたものであり、まったく恣意的なものです。
 池田 たしかに、教授による分類は、何か“分類のための分類”と化している感もいなめません。
 提示された八つの文明の分類についても、多くの学者が概念の曖昧さと、根拠の妥当性を問題視しています。
 テヘラニアン 最後に現実的側面から言いますと、冷戦後の世界情勢は、国際紛争と国際協力の実情を認識するうえで教授の主張がいかに不的確であるかを証明しています。
 冷戦後に進んでいる分裂過程のなかで趨勢となっている民族主義の台頭は、文明の大ざっぱな一般論によっては説明できません。
 ボスニア、コーカサス、ペルシャ湾岸、イスラエルとパレスチナ、朝鮮半島、アフリカにおける紛争を文明間の紛争として観てしまったならば、これらの紛争は十分に理解できないものとなるのです。
 池田 私が危惧しているのも、そうした地域紛争の安易な図式化、単純化です。
 なにがなんでも「文明」に結びつけようとする態度では、対立の真の原因が見失われるだけでなく、無用の誤解や固定観念を人々にあたえかねません。
 こうしたステレオタイプが広げる“害毒”は、想像する以上に人々の心に根深く残ってしまうものなのです。
 テヘラニアン まったくそのとおりです。
 たとえば、ボスニアにおける紛争は、ローマカトリック教徒のクロアチア人、セルビア正教会教徒のセルビア人、ムスリム(イスラム教徒)のボスニア人からなる三つの民族派の政治紛争です。
 しかしながら民族的文化的に見ると、三つのグループはともにスラブ系なのです。歴史的には、ローマ帝国、オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ帝国の間に挟まれ、バルカン半島における帝国主義の対立を理由に分裂してきた、いわば民族の従兄弟同士が今にいたっても紛争しているわけです。
12  地域ごとに異なる「対立」の原因
 池田 現代を称して「冷戦から内戦へ」と位置づける識者(HMエンツェンスベルガー)もいますが、ボスニア紛争などもその意味では、文明の対立というより、むしろ“内戦”の様相に近いと言えますね。
 テヘラニアン ええ。また、コーカサスにおける紛争は、アゼルバイジャンとアルメニア、グルジアとアブハジア(自治共和国)、ロシアとチェチェン、それぞれの間の紛争です。
 いずれの場合も、文化間の紛争に関するものというよりも、民族主義の台頭や、対立する領土権の主張に関することが多いのです。
 これにからんで、イスラムのイランと資本主義化したロシアが、キリスト教のアルメニアに味方する一方、世俗的なアメリカとトルコが、アゼルバイジャンに味方している。つまり、ここでの対立の主因はカスピ海の石油資源であり、文明間の衝突ではないのです。
 池田 よく分かります。
 近年の紛争には、直接的にしろ間接的にしろ、経済的利権がかかわっており、そうした面を無視して論ずることはできないと私も思います。なかでも石油資源は、国際社会を左右する重要なファクター(要素)の一つであり、保有国の優位はいまだ失われていません。
 テヘラニアン ペルシャ湾岸地域の紛争も、イラン、イラク、クウェート、トルコの各国や、クルジスタン(クルド人居住地)が競合する国家主義の対立と言えますが、それはまた、この地域の石油資源をめぐる国際的利害と国家主義者の思惑の対立でもあるのです。
 したがって、湾岸戦争ではキリスト教の西洋諸国が、サダムフセイン(イラク大統領)と対峙するのに、イスラムの根本主義を遵守するサウジアラビアおよびクウェートと連帯しました。
 これは文明を超える連帯でした。西側のマスコミは、アラブ対イスラエルの争いをしばしば宗教間の紛争であるとか、文化間の紛争であると解釈してきましたが……。
 歴史をよく観察してみれば、アラブとイスラエルとの間における紛争は疑わしい宗教上の正当化にもとづいた、同じ土地の領有権を主張しあう競合的な国家主義の対立であることが分かるはずです。
 そのほか、朝鮮半島における対立は、民族的には同一である韓国と北朝鮮の二つの異なる社会体制間の対立が、冷戦終結後もなお残存している状態です。
 アフリカでは、多様な部族間の争いが歴史的に今でも続いており、その紛争は部族主義によるところが大きいと言えましょう。
 またそれらは、とりわけ冷戦中に、米ソ両超大国の利害のために恣意的に操作されてきた面があったのです。
 池田 ゆえに、ハンチントン教授の論を一律に世界各地の紛争にあてはめることは、現実的ではないというのですね。
 地域紛争には、それぞれ歴史的、政治的、経済的、文化的なさまざまな諸要因が折り重なっており、いずれが主でいずれが従なのか、それぞれのケースによって様相はまったく異なると。
13  「文明の衝突」論が対立をあおる懸念
 テヘラニアン そのとおりです。ただこのように観てきたうえで、なお一つの問いが残ります。
 それは、なぜハンチントン教授のテーゼがかくも世界中の注目を集めるにいたったのか、という点です。
 池田 私も教授の論文の内容そのものよりも、国際社会における注目度の高さこそが、この問題の根深さを物語っているように思います。
 テヘラニアン そこで、私なりにその理由を考えてみたのですが、大要、二つの点があげられると思います。
 第一には、昔からの偏見が根強く、それがなかなか死に絶えないということです。
 すなわち、民族の多様さが特徴であるアメリカ、ロシア、イラン、イラクのような国々の政治体制は、国民の団結を強めるためにしばしば外敵を必要とします。それだけに、目に見える外敵がいない場合は、どうしても新たに敵を想定しようとする傾向が強いのです。
 ハンチントン教授は、東と西の両洋に敵をもうけようとする人々にとって、まことにつごうのよい壮大な理論を提供しました。
 その結果、教授の見解はアメリカはもとより、皮肉なことに、中国やイスラム諸国の極端な政治主義者たちの間でも支持者を得ることになったのです。
 池田 ハンチントン教授の理論が、排他的で攻撃的な立場をとる人々によって集団間の対立感情をあおるための格好の言説として援用されていく――そこに私は、大きな悲劇を感ぜずにはいられません。
 博士も以前、こう論じられていましたね。
 「ハンチントン氏の問題のとらえ方は、かつて、過去の古い時代の脅威であったものを復活させただけなのである」
 「憎むべき敵が欲しければ、どのような形にでも作りあげることは可能なのである。しかし、このようなやり方で敵をつくりだそうとすれば、アメリカ合衆国のような多民族、多宗教の社会をたがいに『対立する文明』への忠誠という枠組みによって分断してしまう危険をおかすことにもなるのである」(「聖教新聞」一九九四年六月二十二日付「世界の眼’94」)と。
 テヘラニアン そうでした。
 もう一つ、教授の論文が注目を集めた理由として考えられるのが、彼の説がアメリカの外交政策通の一部で好評を得たという点です。そこで世界の他の国々も、アメリカの外交政策立案者たちのこうした戦略思考に注目するようになったのです。
 しかし幸いなことに教授の説に対し、中国とイスラム諸国に対する好戦的な意味合いがこめられていることを警告する良識の声が、アメリカ国内にも多いことを付言しておきたいと思います。
 池田 よく分かりました。「文明の対決」という事態をまねかないためにも、「文明間の対話」を粘り強く進めていくしかありません。この一点に、二十一世紀の人類の命運はかかっていると言っても過言ではないからです。

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