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日蓮大聖人・池田大作

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第六章 「宗教的精神」の蘇生――価値を…  

「21世紀への選択」マジッド・テヘラニアン(池田大作全集第108巻)

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11  異質性は「差別」でなく「尊敬」の根拠に
 池田 オスマン帝国におけるユダヤ人の共同体では、ユダヤの文化的伝統が維持されていましたね。平等は、画一ではありません。違いを認め、違いによって差別しないことです。決して違いをなくすことではありません。
 テヘラニアン そうです。現代の大衆社会は、人を同じ尺度で測る傾向がありますが、それは正しいことではありません。
 この明らかな一例が、いわゆる知能テスト(IQテスト)です。言語能力と数学能力を測定する画一テストが開発されて以来、身体能力、音楽の才能、社会的適性など他の能力や知能が、はなはだ軽視されてきました。
 池田 おっしゃるとおりです。人を思いやる心、悪と闘う勇気などは、決して知能テストでは測定できません。しかし、そのような精神的な力こそが、人間の最大の徳なのです。
 テヘラニアン 「公正」「平等」は、まず人間が多様であることを認め、その価値を尊ぶことから始まらなければなりません。生は多様で、死は一様です。
 もっとも平等で公正な社会とは、まず一人一人の異なる潜在能力を発揮させることが、全員の潜在能力を発揮させる前提条件であると信じられている社会でしょう。
 性、人種、民族、年齢の違いは、差別の根拠にされるのではなく、礼讃されるべき、また尊重されるべき多様性なのです。
 池田 異質性は差別の根拠ではなく、尊敬の根拠――。すばらしい考えです。
 ふたたびご紹介しますが、仏教においても、「桜梅桃李」の考えがあります。桜には桜のよさがあり、梅には梅のよさがある。桃には桃のすばらしさがあり、李には李でかけがえのない価値がある。それぞれの個性を花開かせることが、社会に多様性という豊かさの薫りと実りをあたえるのです。
 テヘラニアン まことに示唆深い思想だと思います。

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