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第五章 永遠の生命の視座――意識と人生…  

「21世紀への選択」マジッド・テヘラニアン(池田大作全集第108巻)

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1  仏教の根本目的は貪・瞋・癡からの自由
 テヘラニアン 前(第三章)に池田会長は、ブッダ(釈尊)の出家の目的について非常に示唆的な話をされました。人間の「苦の原因」とは、貧困とか病気などの「悲劇的事態」だけではない。他者を、病人、老人などと差別的な眼で見てしまう「心」であるというのがブッダの発見であったと述べられました。まったくそのとおりだと思います。私なりに言い換えれば、ブッダの出家の目的、つまり仏教の根本目的は、たんに富とか健康とかを追求するというものではなく、三つの自由――「独善からの自由」、誤った認識、つまり「倒錯からの自由」、「貪欲からの自由」――に要約できるのではないでしょうか。
 池田 慧眼です。貪欲、独善、誤った認識――それを仏教用語では、貪瞋癡と言います。まさしく、仏教はそのような「歪んだ心の鉄鎖」
 からの自由を求める実践哲学なのです。「貪」とは文字どおり、「貪欲」。「瞋」とは瞋恚、怒りですが、ただの怒りというより他者の存在自体が気に入らず、それを否定しつくしてしまうような破壊衝動のことと言えるでしょう。これは「独善」に通じます。「癡」は無明とも言い、正しくものが見えず、転倒した理解を生じることです。何かが分からないということではなく、その何かに対して間違った理解をしてしまうことです。まさしく「誤った認識」のことです。仏教では、これらを「三毒」と言います。人間の心にひそむ根本的な悪です。釈尊はその人間社会の根源悪の解決のために、王宮をあとにしたのです。
 テヘラニアン 貪欲から離れている、独善から離れている、倒錯から離れている――この三つの自由はスーフィズムの理想でもあります。繰り返しますが、スーフィズムは仏教の影響を受けた思想運動でもあります。そしてそれは、独善的なイスラム教の合理主義、形式主義、法律遵守主義に対する反抗から始まりました。「独善からの自由」から始まったのです。当時、一部の独善的な神学者はシャリーア(神の法)を尊重するためには、法の条文を「言葉どおり」に遵守しなければならないとしていました。
 池田 それに対して、スーフィズムの「タリーカ(道)」の思想が強調したのは法の「精神」の遵守ですね。教えの言葉のみを教条主義的に執着して、その教えが何のために説かれたのか、その教えにこめられた「思い」は何かを忘れてしまっては「宗教のための宗教」となってしまいます。宗教は人間のためであるべきです。「人間」を忘れては、偏狭な狂信、独善的宗教となってしまいます。そうではなく、教えの意味するところに思いをはせることがスーフィズムの伝統ですね。
2  教条主義ではなく教典の精神を読む
 テヘラニアン そうです。教条主義と精神主義の対立は、ほかの世界宗教にもあることですが、イスラムでも絶えず続いてきた対立でした。「精神主義」に関して、十三世紀のスーフィーの詩人ルーミーが端的に表現しています。「我らはコーランの精髄を掴み、 骨は犬たちに投げてやった」
 池田 私どもの信奉する日蓮大聖人は、経典の文字の皮相に固執してやまない聖職者を「文字の法師」と批判しています。もちろん、経典の文字や言葉は、尊重すべきなのですが、表面の言葉だけに固執しすぎては、悪しき「原理主義」におちいってしまいます。翻訳の問題や時代による言葉の変化の問題などもあります。日本の仏教史において、その問題に着目し、むしろ、経文に説かれた意味、さらにそれを説かんとした仏の心を読むことを訴えたのが、日蓮大聖人でした。
 テヘラニアン それは正当な批判であり、正当な主張です。次の二番目の「倒錯からの自由」については、仏教と同じくスーフィズムは、プラトンやアリストテレス、また後世のカントがその認識論において行っているように、誤った認識と正しい認識を峻別します。
 ザヘール(表面的な真実)とバテン(内面の真実)の違いは、スーフィーの考え方の中心です。表面的真実を超えた内面の真実に近づくためには、長い精神的教育が必要です。
3  “みずからの本質を想起し無知の鎖を切る”
 池田 「誤った認識」「倒錯」とは、仏教の用語では、サンスクリット語で「ミティヤージニャーナ」、漢訳では「邪見」にあたるでしょう。正しい認識は「タットヴァジニャーナ」、漢訳では「正見」にあたるでしょう。「如実知見」ともいえます。ただ、哲学史的にいえば、プラトンとアリストテレス、カントでは「倒錯」と「正しい認識」の区分に違いはありますね。
 テヘラニアン そうです。そのことに言及する前に、まずプラトンの「認識論」から順を追って述べたいと思います。プラトンは『国家』の中の有名な「洞窟の比喩」で、人間の在りようを暗い洞窟内に縛られている囚人の状態に譬えています。洞窟内の囚人は、直接外界は見えず、外の光が洞窟の壁に映している「物の影」しか見えません。プラトンは、この洞窟内の囚人の感覚と、洞窟外の直接光による認識を区別します。
 池田 洞窟内の囚人は影しか見えないのに、その影を実体そのものと思って錯覚する。囚人はわれわれ現実社会のふつうの人間ですね。つまり、プラトンによれば、私たちがふだん見ている事物は「倒錯」にしかすぎないということになる。
 テヘラニアン そうです。この比喩でいう「拘禁」はすなわち「無知」を譬えたものです。「無知」から自身を解放してはじめて、人は「錯覚の鎖」を脱し洞窟外の清浄な光を経験できるのです。プラトンは、このような人を「哲人王」と呼び、彼の言う「理想の国家」を治めるのにふさわしい人だとしています。そしてこの「光」を、プラトンは「真」「善」「美」を包含する理想だと考えています。
 池田 いわゆる「イデア論」ですね。牢獄はわれわれの日常の領域を表し、太陽に照らされる世界が「理性の対象となる領域(ホノエートストポス)」を表します。イデア界です。
 テヘラニアン 私はプラトンの思想を、私たちの言語に内包される概念で説明しました。プラトンにおいて、感覚は人間の認識の二つの源の一対として、概念作用と対比されていますが、しかしプラトンの見解では、感覚より概念作用のほうが優れた源とされています。
 池田 概念とは私たちが頭の中で考える領域、「理性の対象となる領域」ですね。こちらのほうを、プラトンは優れていると考えていた。理性によってわれわれはイデア界を認識することができると。
 テヘラニアン そうですね。この見解をさらに補強するのが、プラトンの「人間精神論」です。
 池田 「想起(アナムネーシス)論」ですね。
 テヘラニアン そうです。プラトンによると、人間は別の世界――完全な認識が可能な世界――つまりイデア界からやってきたが、現世に下りてくるうちに自分の出自を忘れてしまった。ゆえに、「学ぶこと」は何か新しいものを得るというより、忘れたことを想起する過程であるというのがプラトンの考えです。ですから、彼の教育法は独特の対話術でした。そのなかでプラトンは学生たちに、彼らの精神が何を忘れているかを問うことによって学生を訓練したのです。
 池田 私もよく青年とソクラテスやプラトンをめぐって語りあうことが多いので、しばしばプラトンの著作をひもとくことがあります。今、言われた「想起論」は『メノン』に出てきますね。「魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてない」(藤沢令夫訳、『世界古典文学全集』14所収、筑摩書房)というプラトンの言葉にはいつも感動します。人間の可能性を信じた、すばらしい言葉です。厳密にいえば、プラトンの場合、「永遠の霊魂論」がその背後にあります。「霊魂」という実体的な“もの”の存在を認めない仏教の観点からみれば、多少の違和感はあるのは事実です。しかし、「想起論」を「霊魂論」ではなく、「人間のもつ無限の能力」を表現したものと考えれば、一転して、非常に示唆的なものとなります。
 テヘラニアン まったく同感です。私の理解では、人間の学習能力は無限です。だが私たちは、文化的な構成概念(概念成形)や五層からなる感覚体験(感覚)という網にとらえられてしまっています。私たちはより大きな理解へ進むために、洞察能力(精神的理解)や行動(試行錯誤)を必要とします。
4  人間の無限の可能性を開花させる文明を
 池田 人間はどれほど崇高な力をもつか。違った角度ですが、記憶や思考をつかさどる大脳皮質のニューロン(神経細胞)がシナプスを介してそれぞれ結合した場合、その結合の組み合わせパターンは十の十万乗にまで達する可能性がある、と言われています。
 宇宙の全原子数が十の八十乗もないと言いますから、実際は不可能にしても、人間の可能性は宇宙を超えるのです。「私は人の一万分の一しか、記憶力がなくて」といっても、約十万のゼロから、わずか四つをとっただけです。
 テヘラニアン まったく変わりませんね。(笑い)
 池田 これは一つの例ですが、人間はもっと英知を発揮できるはずです。プラトンは、ふつうの人間を無知の鎖に縛られた囚人に譬えました。しかし、プラトンの言う「無知」とは、初めから何も知らないのではなく、知っていたのに忘れてしまった、ということです。われわれは、みずからの崇高な本質を「思い出す」ことによって、無知の鎖を切ることができるのです。現代社会に広まる無気力や無関心は、この「崇高な人間の力」を確信できないことが大きな原因です。
 テヘラニアン 同感です。人間の無限なる可能性を開花させる文明の出現を、現代社会は渇望しているのです。おそらく、プラトンやカント、また仏教やイスラムの英知が果たすべき役割は非常に大きいのです。この点、アリストテレスは、師であるプラトンの認識論を部分的ではありますが、受け入れていました。アリストテレスは、知識の源としての感覚(五感体験)を最重要視しました。それゆえ、彼は現代科学を創設した哲学者と見なされるのです。
 池田 感覚的世界と理性の世界の区分ですね。現実界とイデア界といってもよい。
 テヘラニアン この考えをさらに進めたのが、近代哲学の祖イマニエルカントです。カントは不可知の世界と現象の世界とを区別しました。不可知の世界としてカントが考えたのは「名辞」の世界です。人間は世界を認識するために世界に「名前」をつけます。名前で分類し、理解可能なものにして認識するのです。
5  言語による認識の限界を厳しく批判
 池田 人間の精神作用の分析がしだいに精緻になってきた哲学史の過程を、じつに簡潔かつ明瞭に示してくださいました。ある意味でプラトンとカントは逆の立場に立ちますね。プラトンでは人間の理性が認識する世界はイデアの世界、理想世界です。プラトンは言葉や人間の理性的認識のほうを、感覚より優位に置いていました。
 テヘラニアン しかし、カントの主張では理性はそれほど優位には立っていません。
 池田 そうですね。カントは理性、彼の言葉を使えば「悟性(verstand)」の限界を見抜いていた。合理的な理性で人間はすべてを理解できるというのは人間の傲慢であり、越権であると考えた。私たちは「理性崇拝」の結果としての「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ」の悲劇を見てきました。ゆえに、人間の理性の限界を示唆したカントの批判は、非常によく理解できます。悟性だけに寄りかかってつくられた見解や哲学、意見が「独断」におちいるということを、カントは見抜いていたのです。
 テヘラニアン そういう意味で「独断」を批判したカントも、私たちが求めているのと同じ「開かれた対話」の条件を求め続けたと言ってもいいかもしれません。たしかに、認識の点においては、人は事物の本質を知ることができない。しかし、人は現実の人生において崇高なるものを求め続け、永遠なるものを求め続けねばならない。このかぎりにおいて、人間は自由をもつことができるというカントの主張と、私たちのこの対話とは同じ志向性をもっています。人間の知識は時間と空間に限定されています。対話だけが時空を超えることを可能にします。
 池田 同感です。カントの精神は私たちが語りあった「永遠なるもの」を希求する「宗教的精神」と呼応しあうでしょう。さらに、ここで私は、仏教とカントの「認識論」の類似点について、もう少し述べさせていただきたいと思います。人間の理性は“もの”そのものを認識することができず、それに「名前」をつける。ある意味では「名前」で限定し、自分に理解できる形にして人は何かを認識するのです。「男」「女」、「敵」「味方」、「ムスリム」「キリスト教徒」等々。そうして分類されて認識されたものは、決して私たち一人一人の前にいるかけがえのない個人ではない。その人間の精神の落とし穴をカントは指摘したのです。仏教が主張するのはまさにそれと同じものです。今まで何度か話しあいましたが、釈尊もまた竜樹も、われわれの概念的な認識、また言語による認識に対して、厳しい批判を行いました。そういう意味で仏教は、同時代のプラトン等より、約二千数百年後のカントを彷彿とさせるのです。
 テヘラニアン そうですね。まさに、それは仏教の卓越せるところです。世間でしばしば行われる二分法――善と悪、光と闇、黒と白、民主と独裁――は、いずれも真実の世界を十分には定義しえない人間の心のなせる業でしょう。
 その限界を仏教は示唆したのです。そうした二分法は世界の現象を分析するもっとも原始的なやり方といってよいでしょう。
 池田 人は多様で多彩な世界を、如実には認識できず、そういうように単純化し分類してしまうのです。しかも、自分は善、光、白、民主主義の領域の側に入れて……。
 テヘラニアン その意味で、私たちは真理の探究において、「言葉の囚われ人」です。私たちが真実を追求する過程において言語を超えて、音楽や芸術、宗教的儀式や沈黙にまで手をのばさなくてはなりません。
 池田 「客観的」と決めつけている事柄にも主観や偏見が入り込んでいるのです。貧しい人を見て「無教養にちがいない」「不作法にちがいない」とか決めるのもそうです。たしかに金銭的な理由などで、大学などの「学校制度による教育」は受けていないかもしれない。しかし、それと人格とは別です。こつこつと、手仕事一筋で生きてきた職人さんのほうが、有名な大学を出た官僚などより、立派な人格者であるという例を私はたくさん見てきました。この人たちは、学校制度での高等教育は受けられなかったかもしれないが、人生から教えを受けたのです。
 テヘラニアン まったく同感です。「人々の声は神の声」という言葉があります。だから、たとえ欠点はあっても民主主義が政府のあり方としては、いちばん優れているのです。
6  「囚われの鎖」から解放する「如実知見」
 池田 ともかく、そのような「つくられた客観」
 「邪見」におちいりがちなわれわれの性向に、つねに注意を向け、「正見」「如実知見」へと向けていくのが、仏教で説く「空」の理論です。
 テヘラニアン よく理解できます。
 池田 「空」は残念なことに日本では誤解されて、虚無主義的に用いられることが頻繁です。しかし、「空」の理論は、私たちが当然と考えている言葉や概念が、人工的であり、慣習的につくられたものであることを示すものです。この慣習的につくられたものを、仏教では「サンスカーラ」、「行」といいます。「すべての慣習的につくられたものは、恒常ではない」、漢訳で言えば「諸行無常」が仏教の主張であり、慣習の「囚われの鎖」から、私たちを解放しようとしたのが釈尊であり、竜樹なのです。
 テヘラニアン カント的見解からすれば、いかなる言葉も、それを述べたとたんに現実への妥当性を失ってしまいます。現実は絶えざる流動のなかにあるのに、言葉は硬直して化石化するのです。スーフィー的な考え方からすると、貧困(ファガル)、もしくは、何もない状態(ヨァナ)が最高の精神的高みにあると考えます。象徴的に、これは自身を「永遠」に溶け込ませるために、世俗的な所有物や先入観から解放された状態を言っているのです。
 池田 そうです。現実は、千変万化です。硬直した言葉や意識、概念にとらわれていてはなりません。本質を見失います。「絶えざる流動」のなかにある事物のありのままの姿を、仏教では「諸法実相」と言います。その諸法の実相を見るのが「如実知見」です。
 テヘラニアン その点をよく言い表している二つの対句が、ルーミーの詩にあります。
 「愛の秘密を教わった人は誰でも 口は閉ざされ唇は封じられる」
 「人びとの紛争は意味論に始まる さらにより深い本質に近づいていくにつれ、調和が支配する」
 池田 もちろん、いっさいの言葉を放棄しては「対話」は成り立ちません。言葉にからみつく「囚われの心」を注意深くはがしながら、「如実の智慧」、「真実を語る言葉」は成立してくるのでしょう。「口は閉ざされ」と語ったルーミーは、決して沈黙したのではありません。彼は詩人でした。「言葉の天才」でした。つまり、この美しい対句の「口」や「唇」、紛争を始める「意味論」とは、変化してやまない物事の流動する本質から外れたものです。先ほどあなたが言われた「化石化した言葉」であり、「倒錯」なのです。
7  今こそ要請される欲望からの自由
 テヘラニアン まったくそのとおりです。つねに「錯覚」「倒錯」におちいらない、深い探求が大切なのです。さて、第三の自由、「貪欲からの自由」は、もちろん仏教の根本をなす自由です。仏教は人間の苦の原因が貪欲であることを示唆します。人間がほかの人間や物に対する所有欲をもたないようにしないかぎり、人間の苦は終わらないのです。富や力、形式的な知識、長寿などの現代人が求めてやまない物事は、すべて貪欲の対象となります。
 池田 しかし、現代は欲望の達成こそが人生の目的であるかのごとき錯覚があります。
 テヘラニアン この貪欲な社会にあっては、私たちはつねに商業的宣伝に攻めたてられています。商業的宣伝は、実際には必要でないものを必要であるかのように思わせ、それが所有できないと渇きを感じさせます。私たち個人のアイデンティティーは、こうして社会的に私たちの消費癖によって決められます。私たちは消費しなくてはならないような固定観念をもっています。
 池田 あまりにも悲劇です。かけがえのないはずの個性が、製品の選択の違いだけになってしまっている。
 テヘラニアン 車とか香水とか、付き合っている有名人とかによって、その人の個性が決まってくる……。このばかげた競争社会では「所有」すればするほど、私たちの「存在」する意味が希薄になります。消費に埋没する自我は、内的な生命によりも、外的な所有物に依存しているからです。「虚ろな人間たち」という有名な詩をTSエリオットが書いたとき、おそらく彼が意味したのは、そのことでしょう。「我らは虚ろな人間たち 我らは内に詰物をした人間たち」 ガンジーの「この世界には、われらのすべてにとって十分なものがある。しかし一人の貪欲にとっては十分にはない」との言葉が、この貪欲社会についてのもっとも的を射た表現です。
 池田 釈尊は「もしあなたが仏道修行を捨てたならば、ヒマラヤほどの財をなすだろう」と悪魔にささやきかけられたとき、毅然とこう言っています。
 「ヒマラヤを黄金とし さらに、それを二倍にしても ただ一人の欲望すら満たされない そう知りて、人よ、行いを抑制せよ」(『南伝大蔵経』12、大正新脩大蔵経刊行会、参照) 欲望のヒマラヤには、美しい草原も澄んだ湖も、鳥のさえずりもありません。欲望の抑制、いや欲望からの自由が、今日ほど要請されているときはないでしょう。
 テヘラニアン おっしゃるとおりです。スーフィーの詩人、サアディーはこう言っております。「貪欲な目は禁欲か墓場の灰で満たすべきだ」と。
 池田 現在、市場経済の嵐が全世界に吹き荒れています。国家の財政を一週間で破綻に追い込むほどの嵐です。
 テヘラニアン そうです。それは先ほど述べた画一的な消費経済と歩調を合わせ、世界を吹き荒れています。
8  経済に倫理を導入したセン博士の卓見
 池田 しかし、光明がないわけではありません。「わたしはむしろ、大動乱が過ぎ去ったあとの、歴史の新しい章のはじまりを、奉仕と犠牲の精神で浄められた晴朗な大気を待ちのぞみたい。おそらくそのような曙光は、この地平から、太陽の昇る東洋からさし昇るだろう」(「文明の危機」森本達雄訳、『タゴール著作集』8所収、第三文明社)とのタゴールの言葉のように、この市場経済と消費経済の「周辺部」から、未来に向けての、新しい「知恵」と「実践」の枠組みが出てきていると思います。
 その実例の一つは、この市場経済の嵐が吹き荒れた一九九八年のノーベル経済学賞を受賞したアマーティアセン博士の主張です。
 テヘラニアン 卓越した思想家です。アジア人として初めてのノーベル経済学賞受賞でした。彼はこれまで「功利」を求めてきた経済学の枠組みに、「人間の可能性」を初めて理論的に導入することに成功したのです。
 池田 セン博士が生まれたのは、詩聖タゴールが理想の全人格的教育をめざして大学を創立したインドのシャンティニケタンです。「アマーティア」という名も、タゴールが名づけたといいます。「死を乗り越えた」とか、「不死」とかいう意味だと聞いています。
 テヘラニアン セン博士が財産や経済効率より「自由」をその経済理論で重視するのは、タゴールの“すべてのものの虜とならずに、自由な創造性を発揮せよ”との、人類に向けたメッセージを具現化したものと言われていますね。
 池田 ええ。そして、彼の主張が非常にインパクトがあるのは「不正義を容認することは、不正義を行うことと同じである」という、その一貫した姿勢です。これは牧口初代会長とまったく同じ姿勢です。「悪を見て何もしないのは、悪を行うのと同じ」という信念から、軍部権力やそれに協力した宗教権力とまっこうから戦いました。
 テヘラニアン 尊敬に値します。敬意を表します。
 池田 このセン博士の考えも、タゴールに由来すると、博士自身がある新聞のインタビューに答えて、語っておられました。(「東京新聞」一九九九年一月一日) 第三世界に貧困や飢餓が起こっても、今まで先進諸国は、直接的な原因が先進諸国にある場合は別として、自分たちには責任がないと考えてきました。しかし、このセン博士の主張のポイントは、「あなたが不正を起こしたかどうかは問題ではない。あなたたちがその事態に対して何ができるか。その不公正を変えるために何ができるかが、今、問題なのだ」という問題設定にあります。
 テヘラニアン 非常に画期的な考えです。
 池田 また、「コミットメント」という概念も、セン博士の独創的なアイデアの一つです。これは、他人の苦しみを不正なことと考え、その苦しみを止めるためにみずから犠牲をはらう態度、とされます。簡単に言えば「経済」は「儲かること」を目的としてきました。しかし、セン博士の「コミットメント」理論は、「損をすること」を経済の視野に入れたのです。
 テヘラニアン 三百万人が餓死したという一九四三年のベンガル飢饉をその眼で見たことが、「経済に倫理を」というセン博士の考えの基盤にあったとされます。これからもセン博士の理論は、途上国支援の有力な基礎となるでしょう。
 池田 アダムスミスの古典経済学の根本的読み直しをも行っていることから、西洋的な知識の蓄積も当然、見られるのですが、セン博士の考え方はタゴール思想を母体としていることは明白です。タゴールやガンジーの精神は、決して古くなることはないのです。
 テヘラニアン ブッダの思想も、ムハンマドの思想もです。ご存じのようにイスラムは、語源的にはアラビア語のサラーム(平和)、ヘブライ語ではシャロームに関連しています。池田会長も平和提言の中で「積極的平和」
 という概念を論じられていましたが、そのことをさした言葉とも言えましょう。積極的平和は、社会的正義なしには達成できません。
9  「貧者の銀行」は国際的な開発援助の模範
 池田 そうです。そこには、まだ試みられるべきアイデアがたくさん存在します。汲めども尽きぬ精神の泉です。今、アジアではもう一人の経済理論家が注目されています。それはマイクロクレジットで有名なバングラデシュグラミン銀行総裁のムハマドユヌス博士です。
 テヘラニアン セン博士の理論は「貧者の経済学」と呼ばれていますが、ユヌス博士の銀行は「貧者の銀行」と呼ばれています。どちらも、富める者がより多くの財を得ることができるかという観点ではなく、貧しい人々がどのように貧困を克服していけるかという考えが基礎にあります。
 池田 ユヌス博士の提唱したマイクロクレジットは、まず博士の生まれたバングラデシュで実行されました。
 テヘラニアン 貧しい人々に、無担保で小額の融資をする。そして、銀行のスタッフが現地に行き、その地域で、その人にあった商売を、その人や周囲と対話しながらともに考えていく。戸田平和研究所の研究プロジェクトでも、個々人の自立や先住民族の発展のために、貧しい女性や少数民族、小規模農民、貿易業者などに低利子でローンを提供する世界銀行、信用金庫、基金等の創設を提案しております。
 池田 それこそ「行動する対話」です。また、現地主義が大切です。机上の空論では、本質的な解決は望めないからです。最初、マイクロクレジットは「夢物語」と思われていました。多くの人々は「貧乏な人間に融資するなんて、無謀だ。その人たちはお金を借りるだけ借りて、ほとんど返済しないに決まっている」と考えたのです。しかし、結果は逆でした。貸し倒れ率は、一パーセント以下だったのです。
 テヘラニアン 驚異的な低さです。
 池田 人々は、貧しい自分に融資してくれるということで「自分は社会にとって必要とされている」と誇りを持つことができた。それで、必死で働いたのです。これこそ民衆は、その本質が善であり賢である、何にも勝る証拠です。また、その民衆に上から何かをしてあげるという態度ではなく、ともに不幸の原因を考え、その原因を取り除くための方法を考える――そういう支援のあり方は、国際的な開発援助の一つの模範と言えるでしょう。
 テヘラニアン 今では、バングラデシュで千二百万人もの人々が、マイクロクレジットを支えとして自力で貧困から立ち上がりつつあります。そして、マイクロクレジットは、バングラデシュだけではなく南アフリカやヨーロッパ、アメリカなど六十カ国で、貧しい人々を支援するプログラムに組み込まれています。
 池田 いわば「人権の経済学」「慈悲の経済学」です。西洋近代合理主義以来の経済理論とは異なった思想潮流が今、現れてきたのは刮目すべきことです。
 テヘラニアン 会長が先ほど引用されたタゴールの言葉そのままにですね。アリシャーティやモルテガモタヘリのようなイスラムの思想家は、慈悲や社会的正義を強調した正義的経済について多く出版しています。
10  求められる「人間の幸福のための経済」
 池田 ユヌス博士は保守的な宗教制度には、批判的ですが、自伝を読むと非常に敬虔なムスリムの家庭で育ち、高邁な宗教的理想に燃える周囲の人々の感化も感じられます。グラミン銀行の創立の日の祝賀のときも、コーランが詠唱されています。コーランに見られる寡婦や貧者への支援などの理念が、広い意味でユヌス博士に受け継がれているように思えます。前に(第四章)私は、ボタン一つで巨億のマネーを動かす「市場(マーケット)」ではなく、イスラム諸国に見られる市場、つまり、「バザール」(ペルシャ語)、「スーク」(アラビア語)の意義を今、見直すべきであると述べました。
 テヘラニアン それは人間の顔が見え、言葉が行き交い、息が交錯する場所です。私が中央アジアを一九九二年、九四年、九六年と訪れたとき、七十年以上の旧ソ連による統治も、中央アジア経済で唯一、生気のある部分である伝統的バザールを破壊できなかったという事実に目を見張りました。アシャバッドの郊外で、私は何千という人々が宝石から布地、カーペット、車の部品、家畜までを取引しているノミの市を目撃しました。それとは対照的に政府の商店は人も物も空っぽでした。市場は必要ですが、専売や搾取からは解放されるべきです。
 池田 かつて、クリフォードギアツが、スーク経済を詳細に分析したことがありました。スーク経済の特徴は定価がない、ということです。客と商人との関係によって、値段が変化するのです。
 テヘラニアン オリエンタリズム的な偏見では、あくどい商人が観光客に不当な代金を要求するイメージが定着しています。
 池田 ギアツはスークに、騙しだまされるだけの関係の場、買う側は安く買いたい、売る側は高く売りたいという欲望だけの人間関係の場を超えた、一つの社会制度を見ています。ギアツに刺激されて、その後スーク経済を研究する学者がふえていますが、たとえば、ウィリアムディヴィスはスーク経済の本質を信頼やモラル、誠実さ、利他的行為などの人間性に見ています。
 テヘラニアン スークの商人はずっとそこに店を出しているのです。法外な値段で物を売りつけ続けるならば、ずっと繁盛し続けるはずはありません。良心が繁栄のもとなのです。両者ともに、納得できる値段を決めるために値段の交渉をするなかで、買い手と売り手の間に友情すら生まれます。
 池田 定価がない、というと非常に脆弱な経済の仕組みを思い浮かべがちですが、それは人間関係が脆弱だからです。
 テヘラニアン 利潤の追求、資本の蓄積などという近代経済学の常識とは、まったく違うところで厳然と存在する経済体制がある。それをスーク経済は教えています。
 池田 やはり、ここにも「人間」が見えます。貨幣、値段を基準として、すべてを一律に計量するのではなく、
 多様な人間的要素をスーク経済は重要視するのです。偉大なペルシャの詩人サアディーの『薔薇園』に出てくる商人は、こう謳います。「ペルシャの硫黄を中国へ持っていって売ろう。中国では高値で売れるということだ。中国の陶器を小アジアへ持っていって売り、小アジアの錦襴をインドへ、インドの鉄をアレッポ(=シリアの都市)へ、アレッポの鏡をイエメンへ、イエメンの布をペルシャに――それ以後は旅行をすべて中止して、店さきにすわろう」(蒲生礼一訳、平凡社、参照)
 ここでは商売は幸福な人生そのものであり、異文化との出合いに満ちた、豊かな文化そのものなのです。事業の成功は決して、事業規模の拡大ではなく、小さなスークの店で、客人とやり取りすることに戻ることです。
 テヘラニアン 欲望の拡大に終始する人生とは、異質な人生がここにはあります。ご存じのように、サアディー自身がアジアを広く旅しました。多くの職業にもつきました。ダマスカスでは、ブロックで壁をつくる仕事もしました。彼の知恵は現実的な経験から生まれました。彼の著『花園と牧草地』は、ニューデリーからサマルカンド、イスタンブールにいたるイスラム圏でバイブルのようにもてはやされました。
 池田 今、金融市場からは「人間」が見えなくなりました。たしかに、そこには株や為替の上げ下げに一喜一憂する人々はいます。しかし、そこには人間と人間の交流はない。
 テヘラニアン そうです。「人間」です。セン博士の画期的な経済理論もユヌス博士の斬新なマイクロクレジットも、そこには「人間」の顔がある。
 スークにも、「人間」がいるのです。
 池田 人々の苦しむ顔を喜ぶ顔に変える――そのような「人間の幸福のための経済」が注目されていくことは論をまたないでしょう。
11  仏教と「人権思想」深化の道のり
 テヘラニアン 私は会長からさまざまな仏教の理念をうかがってきました。二十一世紀を「人間の世紀」とするために、仏教の理念は大きな役割を果たすでしょう。いかに仏教の原理が正しいか――これを証明するのに、「人権運動」にまさる例は思いつきません。人類は長い道のりを経てやっと今の状態まで来ました。しかし、ブッダの「慈悲」の教えを実行していると言える地点には、まだまだいたっていません。いくらかは前進したことは事実ですが。
 池田 おっしゃるとおりです。
 テヘラニアン 近代ヨーロッパにおいては、人権思想の第一歩は、いわゆる自然権に重点をおき、「生命、自由、および幸福の追求」を謳いました。これらの権利が、ヨーロッパの啓蒙運動期に公式化され、アメリカの「独立宣言」に明文化されました。
 池田 いわゆる「第一世代の人権」ですね。専制君主から生命を脅かされないという権利です。人間として最小限の権利です。つまり、それ以前は、生きるという最小限の権利すら脅かされていたのです。
 テヘラニアン 次に来る「第二世代の人権思想」は「 世界人権宣言」に明文化されたものです。この人権思想は、ことに思想、言論、良心、集会、陳情の自由を主眼にしています。
 さらに社会的経済的権利を重視する社会主義諸国の主張によって、就職、社会保障、労働者の同盟罷業、補償雇用、社会福祉の諸権利が、のちにつけくわえられました。これは「社会的、経済的人権」と言えます。これらの三つの文書はまとめて、国際人権宣言として知られています。
 池田 マルクスはたんなる個人的な「人権」を利己主義の保障とみなし、「市民社会の成員の権利、つまり利己的人間の権利、人間および共同体から切り離された人間の権利にほかならない」(『ユダヤ人問題によせて』城塚登訳、岩波文庫)と批判しています。それはブルジョアの権利である、と。そして彼は「公民権」を立てます。マルクスが言う「公民権」とは今、言われた第二世代の人権になるかと思われます。
 テヘラニアン そうです。そして、人権思想の第三世代は、おもに植民地の民衆の闘いによって認められるようになりました。植民地の民衆は、“宗主国”の文化支配を、自身の共同の文化に対する脅威と見なしたのです。ここで注目すべき点は、人権思想の第一世代と第二世代が主として個人を中心にしていたのに対し、第三世代は民衆の集団的権利を認めたということです。そしてこれらの権利は、いわば「文化的権利」と言えます。これは一連の集合的権利宣言へとつながりました。たとえば、女性、少数民族、子ども、人種差別、大量殺戮などです。
 池田 生存に関する権利から社会的権利へ、そして文化的権利へ、人類は歩みを進めています。
 テヘラニアン ええ、さらに最近は、環境保護運動と連帯した人権の第四世代が、国際的に論議されるようになっています。人間を対象にした第三世代までとは対照的に、この第四世代の権利は「生物種間」の権利と言えます。
 池田 「権利」の領域は広がっています。個人から社会へ、そして人間以外へ――。
12  利他的行為がみずからを高める
 テヘラニアン ここ二、三十年間に環境災害と言われるものが次々と起こりました。チェルノブイリ、スリーマイル島の原発事故、インドのボパールでの化学工場の事故、アラスカの石油流出汚染、クウェートの油井火災……。
 池田 いずれも事故が起こったときだけでなく、将来に対しても大きな負の影響をあたえました。環境災害は国境だけではなく、世代も超えるのです。このままでは、私たちは未来の世代に負の遺産ばかりを残してしまいそうです。しかし、そうではいけない。絶対にそうであってはならない。正の財産、善の遺産をどれほど残せるかが今後、数年間の喫緊の課題です。
 テヘラニアン 今まで先進国が蔑視していた土着の文化の英知に対する認識が深まるにつれ、人類は大空や陸や海洋、そしてそこに生きる無数の生物が健全でなくては繁栄はもとより、生存もできないことが実感されるようになりました。人間を自然の上位におき、自然を支配する啓蒙主義の傲慢さが、人類を自然の一部と見る環境保護論者の思想から挑戦を受けているのです。
 池田 その見方は、ネイティヴアメリカンやオセアニアなどの先住民、イスラムや仏教やヒンドゥーの思想、第三世界の思想に大きく影響されています。
 テヘラニアン おっしゃるとおりです。この第四世代の権利思想は、自然と諸生物の相互依存関係を主眼にしています。それは仏教の縁起思想と同じなのです。さらに今、私たちは視点を人間の「権利」から人間相互の「慈愛」へ移すことを可能にする「第五世代の思想」が必要となりました。この移行は、権利から責任へ、法令から社会的義務へ、法の条文から法の精神へ、知識から心への転換を意味するでしょう。
 池田 よく分かります。「人権」の歴史をたいへん分かりやすく説明していただきました。「人権」に対する考え方を深化させてきた歴史が、釈尊の「慈悲」をはじめとする世界宗教の教えの地平に近づいてきたことは、私も実感しております。今おっしゃった「第五世代の人権」とは、みずからに見るものと言うより、尊敬の念とともに他者に見るべきものと言えるでしょう。そこに仏教の「慈悲」との親近性があります。仏教の人権思想を象徴するエピソードがあります。あるとき、釈尊は一人の病人に出会います。釈尊は、その病人の体を拭いてあげ、その汚れた寝具を洗い、日に乾かして、次のように弟子たちに言います。「病める人に尽くすことは、仏に尽くすことと同じである」と。(大正二巻、参照)
 テヘラニアン なるほど、「慈悲」は“上から下”への施しや哀れみではなく、尊敬の行動であるのですね。
 池田 仏を敬う行為と同じと言うのですから、いわば“下から上”とも言える。だから仏教においては利他的行為が「行」つまり、みずからを高める「修行」になるのです。
 テヘラニアン よく分かります。卓越した考えです。まさしく、第五世代の人権思想をリードするすばらしい理念です。
13  仏教の「輪廻説」が教えるもの
 池田 さて、仏教とイスラムといえば、一般には、その生死観に大きな違いがあると思われています。
 テヘラニアン 仏教は人は何度も生まれ変わる「輪廻説」であり、イスラムはキリスト教やユダヤ教と同じく、人は一度だけ死んで、最後の審判のときに再生するという考えです。
 池田 このイスラムと仏教の相違と思われていることについて、少し語りあいましょう。
 テヘラニアン 結論を先に申し上げるならば、教えの「象徴的意味」に目を凝らせば、表面的な相違にもかかわらず、両者は深く通じあうと私は確信しています。
 池田 少し、仏教の生命観を述べさせていただきますと、原始仏典に『テーラガーター』『テーリーガーター』と名づけられた一対の経典があります。「テーラ」とは男性の仏弟子、「テーリー」とは女性の仏弟子です。いわば、釈尊の弟子たちの体験談集ともいうべきものです。ここでは、仏弟子が仏教に帰依する以前、どのような生活をし、何に悩んでいたかが赤裸々に語られます。
 テヘラニアン それは、興味深いものですね。
 池田 そこでは、親や子、愛する者との別離、病、貧しさ――さまざまな苦悩が、釈尊との出会いでどのように癒されたかが述べられます。注目すべきことに、「不死なることを得た」「不死なる境地を得た」などという表現で、そのときの境地が表されるのです。
 テヘラニアン 具体的にどのようなものがありますか。
 池田 たとえば次のような一節があります。「わたしは、一族を失い、夫を失って、世人には嘲笑されながら、不死〔の道〕を体得した」 「わたしは、八つの支分よりなる聖なる道(=八正道)、不死に至る〔道〕を修習した」 「これは不老であり、これは不死であり、これは不老不死の道です。〔その道は〕憂いなく、敵なく、さまたげなく、つまずきなく、恐れなく、熱苦を離れています」(「長老尼の詩〈テーリーガーター〉」早島鏡正訳、『世界古典文学全集』6所収、筑摩書房)
 テヘラニアン 仏教の説く理想的境地が、弟子たちによって「不死の境地」と表現されているのですね。
 池田 ええ。釈尊自身、伝道の開始にあたって次のように述べています。「甘露(不死)の門は開かれた」 「盲闇の世界において不死の鼓をうたう」(「仏伝に関する章句」中村元訳、同全集6所収) 釈尊も「不死」の語を、みずからの教えに対して使っているのです。この「不死」とは何を意味しているかが重要となります。もちろん、文字どおり、肉体が不老不死ということではありません。
 テヘラニアン そうです。そう受け取るべきではありません。実際、ゴータマブッダは死んだのですから。
 池田 また、霊魂不滅説――肉体は霊魂の器であり、人の死後、霊魂は肉体を離れ、他の肉体に移る――を、仏教が否定していることはいうまでもありません。ゆえに「不死」は霊魂不滅説でもありません。輪廻説も同様です。事実として輪廻するかどうかではなく、先ほど博士がおっしゃった「象徴的意味」を理解しなければなりません。大切なことは、輪廻説を確信することによって、どのように意識を変革でき、また人生がどのように変革できるかです。
 テヘラニアン そのとおりです。仏教の「輪廻説」が教えているのは、霊魂不滅説ではなく、人間は他の動物と等しく自然の部分であり、他の生物に対して支配的立場にあるのではない、と思うべきであるということでしょう。
 池田 そうですね。実際にどうか、という次元を超えて、たとえば、あそこにいる鳥はもとは自分の親族だったかもしれない。ここにいる犬は菩薩が修行のために、願って苦しむ生を選択したのかもしれない。そう思う人は、鳥たちや犬たちを軽蔑できません。慈しみの心が出てきます。そのように思うことによって、生き方が変わっていきます。自分が非常な苦しみの立場に生まれてきた。そこで「私は過去世に、同じ苦しみの人を救うことを誓って、この人生を選んだのだ」と確信すると、生き方が変わるのです。
 テヘラニアン 非常によく理解できます。「輪廻思想」は、あらゆる生あるものを親族として敬うことに結実していかねばならないのです。また、勇気をもって苦しみと対決することに結実していかねばならないのです。
  しかし、その「輪廻」の物語を象徴としてではなく、文字どおりに受け取ると、厳格なカースト制度を維持するイデオロギーにもなりかねません。
 池田 そう、そのとおりなのです。文字どおりの輪廻思想はバラモン教で説かれています。バラモンたちは輪廻思想を吹聴し、過去に積んだ悪業のゆえに現在の身分が決定している。したがって、身分の低い人間は社会にその責任があるのではなく、その人が悪いのだと主張していたのです。
14  今の一瞬に無限の生命を生きる
 テヘラニアン 神話は、身分制度のような圧制の正当性を示しうるイデオロギーにもなりうるのです。一見、「霊魂」を説かない仏教とは対照的に、アブラハム系の宗教は、人間は肉体と霊魂を具備しているとしています。そして、肉体は滅びるけれども、霊魂は永遠に不滅であるとされているわけです。しかし、最初に申し上げたように、言葉の表面上の違いにもかかわらず、この教えの深い意味は、仏教の輪廻説が深いところで意味するものと通じていると思います。善と悪の行動が審判される日まで、人間の魂は煉獄のなかで運命の決断を待つのです。この神話は私たちが自分の行動によって、今ここで天国や地獄、幸福や苦悩の生活をするということを言っています。
 池田 「不死」とは、本当に死なないのではない。苦しみからの自由です。それが輪廻からの解放です。その考えは『法華経』でもっともよく現れます。
  『法華経』の第十六番目の章は、その名も如来寿量品――いうなれば「如来の永遠の生命の章」です。この章では、釈尊が久遠の昔から仏であったと述べられます。
 テヘラニアン もちろんそれは文字どおりではなく、「象徴的意味」を考えねばならない言葉ですね。
 池田 ええ、日蓮はこの法理を「本有常住の仏なれば本の儘なり是を久遠と云うなり」と述べています。つまり、「久遠の仏」とは過去にさかのぼって見つかるものではない。仏道修行によって、みずからの心の中に“いま”顕れてくる人間本来の生命なのです。
 テヘラニアン よく分かります。人間は永遠なる自然の一部であることをあるがままに認識できれば、死の恐怖や欲望に結びつく種々の不安から自由になるのです。そして、そのとき、人は、他者への奉仕に、よりよく献身できるのです。この献身のなかでは、他者の幸福が自身の幸福になるでしょう。私たちがそれを永遠の精神ヤーヴェと呼ぶにしろ、キリスト、アラー、ブッダと呼ぶにしろ、この永遠性に加わるとき、私たちも不滅となるのです。
 池田 釈尊は『ダンマパダ(真理のことば)』の中で、信仰実践について「つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、死者のごとくである」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波文庫)と語っています。
 仏教の生命観に共振する魂を有していた詩聖タゴールは謳います。
 「生命をふんだんにほどこすほど
  生命はますますほとばしり、
  もはや 生命は尽きないだろう」
 (「滝の目覚め」森本達雄訳、『タゴール著作集』1所収、第三文明社)
 仏教の生死観は、生死を永遠と見ます。ただし、それは霊魂不滅説ではありません。今の一瞬に無限の生命を生きることができるという意味です。
 テヘラニアン 今、会長と話をしていて、二人の女性のことを思い出しました。
 ダイアナ妃とマザーテレサです。両人は自身を超える偉大な目的に生を捧げられ、世界の人々の心を揺さぶりました。ダイアナ妃は、多くの慈善事業の率先はもとより、恐るべき対人地雷の撤去運動に勇気ある行動を示し、未来の英国女王たる身分から、世界の「心の女王」へ変身しました。
 マザーテレサは、ダイアナ妃の若々しい魅力と体力とは対照的に、肉体は虚弱な女性でありながら、インドの貧しい人々のなかに入って挺身し、ノーベル平和賞を授けられました。この非凡な二人の女性たちは、それぞれの人生の可能性をまっとうすることによって、自身の死を克服する精神の生きたる模範です。
 それぞれに、怠惰な無関心や優雅な孤立の人生を生き続けるのではなく、他者たちの苦を和らげる苦難の人生を選択した「王妃」と「聖者」であると追憶され、永遠に世界中の人々の心に生き続けることでしょう。

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