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日蓮大聖人・池田大作

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第三章 対立から共生へ――豊饒の時代の…  

「21世紀への選択」マジッド・テヘラニアン(池田大作全集第108巻)

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2  人間の内なる力は何事をも可能にする
 テヘラニアン ところで、日蓮仏法とイスラムにはいくつかの共通点があると思います。たとえば、どちらも、歴史というものを重要なものとして受けとめる点です。ヒンドゥー教やキリスト教のなかには、歴史をそれほど重要なものとは考えない宗派があります。また、現世よりも死後の天国を重視する宗教もあります。しかし、イスラムと日蓮仏法は、現実のこの世界に重きを置きます。この点、仏教について、池田会長から多くを学びたいと思います。そのなかで、イスラムと仏教の類似点、相違点もおのずと明らかになってくるでしょう。もちろん相違点が見られたとしても、私たちの意図としては、それを否定的に考えるものではありません。
 池田 そうです。「相違」は「多様」に通じます。共通性を基盤として、ともに協力していく。また相違性に着目し、それぞれの役割を尊重し、おたがいの長所を学びながら危機にある現代世界に対し、いかなる貢献ができるか模索せねばなりません。『法華経』に「三草二木」の譬えがあります。仏の説く真理がすべての生命を育みゆくことを、雨と植物との譬えを使って述べたものです。雨は多様な草木を育てます。
 同様に仏の教えも、多彩な人生、多様な文化を保証するのです。多様性こそ生命の証です。
 テヘラニアン そのとおりです。画一性は死の象徴です。まず仏教の創始者であるゴータマブッダの生涯と、その思想の歴史における意義について、うかがいたいと思います。
 池田 ゴータマブッダは日本においては、釈迦族の尊者という意味で「釈尊」と言い習わされています。その伝統にのっとって、私も「釈尊」という尊称を使わせていただきます。詩聖タゴールは、釈尊について次のように語っています。「インドにおける釈尊は人間を偉大なるものとなさった。カーストというものをお認めにならなかったし、犠牲という儀礼から人間を解放なさったし、神を人間の目標から取外してしまわれた。釈尊は人間自身の中にある力を明らかになさり、恩恵とか幸福といったものを天から求めようとせず、人間の内部から引き出そうとなさった。かくのごとく尊敬の念をもって、信愛の心をもって、人間の内にある知慧、力、熱意といったものを釈尊は大いに讃美なさり、人間とは惨めな、運命に左右される、つまらぬ存在ではないということを宣言なさった」(「仏陀」奈良毅訳、『タゴール著作集』7所収、第三文明社)
 テヘラニアン 偉大なる詩人の直感は、宗教の本質を鮮やかに示してくれますね。ブッダは、呪術的宗教から人類を解放し、幸福を“気まぐれな運命”の手から人間のもとに取り戻そうとしたということですね。
 池田 そうです。人間は決して運命の荒海に漂う、無力でみじめな存在ではない。人間の内なる力は何事をも可能にする――釈尊のこの獅子吼は、人類の偉大な「精神の独立宣言」と言ってよいでしょう。
3  「苦の認識」から「苦の原因の探究」へ
 テヘラニアン 会長は前に、釈迦族の王子であったブッダが、若き日にすべてを捨てて出家したと言われました。スーフィズム(イスラム神秘主義)でも、王位と財産を捨てて霊的啓示を求めたイブラヒムアダム王に関する伝説があります。この話はブッダの人生と軌を一にするようにも思えます。その出家の理由について、お聞きしたいと思います。ブッダはなぜ、青春と裕福のまっただなかで、すべてを捨てたのでしょうか。
 池田 釈尊の出家の動機については、おそらく次の経典の一節(『アングッタラニカーヤ』)が、その消息をかなり正確に伝えるものでしょう。「わたくしはこのように裕福で、このようにきわめて優しく柔軟であったけれども、次のような思いが起こった、――愚かな凡夫は、自分が老いゆくものであって、また、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している――自分のことを看過して」 「愚かな凡夫は自分が病むものであって、また病いを免れないのに、他人が病んでいるのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している――自分のことを看過して」 「愚かな凡夫は、自分が死ぬものであって、また死を免れないのに、他人が死んだのを見ると、考え込んで、
 悩み、恥じ、嫌悪している――自分のことを看過して」(『中村元選集〔決定版〕』11〈ゴータマブッダ1〉春秋社) こう考えて、心から「若さの驕り」「健康であることの驕り」「生きていることの驕り」が消え失せてしまったというのです。
 テヘラニアン ブッダの出家の動機は、すべての人間存在の根本に存在する「苦」を直視したということでしょうか。たしかに、悲劇的な運命にさいなまれる人だけが「苦」を受けているのではない。「苦」は人間の存在そのものに根ざしています。
 池田 そのとおりです。「苦」が「驕り」と表現されているところが注目されます。今、博士がおっしゃったように、悲劇の渦中だけに「苦」があるのではないのです。他者を老人、病人などと差別的な目で見てしまう驕った心が、さまざまな「苦」を生みだしているのです。そして重要なことは、釈尊はそのような「苦」から逃れたいと望んで出家したのではないということです。というのは、「苦の認識」は「苦の原因の探究」へと続いていくのです。つまり、釈尊の出家は、苦からの「救済」――言い方を換えれば「逃亡」ではなく、「苦」をもたらしている「因」を突きとめ、それを滅ぼすためだったと言えるでしょう。だから仏典では、釈尊を「勝者」とも言うのです。決して「隠者」ではありません。仏は戦う人であり、勝ち続ける人です。
 テヘラニアン ブッダにおいて、出家とはどういう意義があったのでしょうか。
 池田 釈尊は死を前にしたとき、『ディーガニカーヤ』の中で、こう語っています。「わたくしは二十九歳で善を求めて出家した」(同前)
 「求めて」という表現は注目されるべきでしょう。ここには厭世的な雰囲気はありません。「若者」と「老いたる人」、「健康な人」と「病ある人」、「生者」と「死者」を分断する「驕り」――この意識の奥底にひそむ「自他の区別へのこだわり」という「深層のエゴイズム」こそが、「苦」を生みだす元凶であることを釈尊は喝破し、その苦との戦いの勝利をめざして「出陣」したのです。
4  人々の幸福のために歩き、語りぬくのが仏
 テヘラニアン 私は世界の諸宗教に関心をもち、それなりに学んでまいりました。前に申し上げたように、仏教にはスーフィズムとの類似点が多いことを深く感じます。大乗仏教についての会長の解釈には、スーフィズムの世界観と密接に符合するところがあります。どちらの宗教も、おもに説いているのは現世の生の“脆さ”と“儚さ”です。そして、ともに強調しているのは人間の責任、内的生活であり、どちらの世界観も宗教的独善を回避し、すべての信仰や思想、哲学との対話を求めています。
 池田 よく分かります。ハーバード大学のヤーマン教授と語りあった折、教授は「スーフィズムは、じつは仏教との出合いによって、その『瞑想』等の思想に影響を受けたのではないかと思う」と言われていました。
 テヘラニアン なるほど、うなずけます。しかも、どちらも現世を否定しません。どちらの宗教も、観想のために時間を割くことを勧めていますが、この世の俗事を放棄せよ、とは言いません。
 むしろ“社会のために貢献せよ”と訴えています。ともに、会長が言われる「善の追求」を人間の義務としています。あえて相違点をあげれば、スーフィズムには職業的な聖職者がいないことでしょう。個人がすべての存在の根源と直接的に対面するのです。
 池田 日蓮仏法では「立正安国」といって、仏教者はつねに社会とのかかわりをたもち、率先して社会をリードする人格とならねばならない、という理念があります。また、釈尊も「人々の幸福と利益のために、人々のなかに飛び込め」と弟子たちに呼びかけています。仏とは、決して座して瞑想するのではなく、人々のなかを歩きに歩き、幸福への大道を語りに語る存在なのです。
5  島国根性への良薬――「桜梅桃李」
 テヘラニアン 今の会長の言葉で、十三世紀の偉大なペルシャの詩人であるサアディーの書いた詩を思い出しました。「祈ることは、人類に仕えることにほかならない。祈祷用の絨毯も数珠も 托鉢の鉢も、無用である」―― 私は、仏教をいっさいの束縛から解放された「希望の宗教」であるととらえる会長の意見に、まったく同感です。それはスーフィズムにも通じるものです。その点で、仏教もスーフィズムも、現代世界が必要としている諸条件にぴったり合致しているのです。この現代世界において独善的であっては、人類の多様性にも、現出している困難な課題にも対応できません。
 池田 おっしゃる意味は理解できます。独善とは、もっとも小さなエゴに束縛されている姿です。人類に仕えること、人々に奉仕することによって、人間はそのような束縛から解き放たれるのです。
 テヘラニアン 創価学会の運動について私がもっとも尊敬する点は、グローバリスト(地球主義者)であることです。これは、島国の日本人がもっとも必要としているものではないでしょうか。その意味で、創価学会は(日本の島国的精神を治療する)「良薬」です。薬だからこそ、「良薬は口に苦し」で、圧迫があるのでしょう。
 池田 あたたかいご理解に、感謝します。博士は、多様性を認めていくことを訴えておられますが、日本は「島国根性」で、このことをなかなか理解できません。しかし日蓮は、多様性を尊重していました。「桜は桜」「梅は梅」「桃は桃」「李は李」として、それぞれが個性を豊かに開花させながら、美しい調和の花園をつくっていく。それが生命本来の姿であると、うながしているのです。
 テヘラニアン たいへん分かりやすい譬えですね。見事な「調和の哲学」です。
6  政治と宗教の「創造的緊張関係」
 池田 ここまで、釈尊の出家の動機などをめぐって対話を進めてまいりましたが、私が信奉する日蓮仏法について、もう少々述べさせていただきます。
 テヘラニアン ぜひお聞きしたいところです。信じられないほどの熱意で、平和と人権に貢献される創価学会の思想的基盤を知ることができたなら、多くの示唆が得られるでしょう。
 池田 日蓮(一二二二年―八二年)が生まれた時代は、日本の歴史上の大きな転換点でした。長いあいだ続いてきた天皇、貴族たちによる政治から武家社会へ、大きな内乱と庶民の悲嘆をともないながら、移り変わろうとしていました。また、大地震や飢饉、疫病なども頻繁に起こりました。一方、東アジア地域でモンゴル帝国がその版図を拡大しており、荒廃した日本社会には緊張と終末観が漂っていたのです。
 テヘラニアン 偉大な思想は、つねにそのような政治的、道徳的危機の時代に出現するものです。
 池田 日蓮は三十九歳のとき、当時の最高権力者に「立正安国論」という警世の書を送りました。宗教は死後の安心立命ではなく、現実社会の平和建設にこそ貢献すべきである――これが日蓮の信念でした。
 テヘラニアン 会長が前に紹介された大乗仏教の特徴が、日蓮に受け継がれていますね。つまり、社会と宗教、政治と宗教が、政教分離の原則を守りながら、たがいに監視しあいながら触発しあう理想的な関係が志向されています。政治と宗教は、理想と現実の「創造的緊張関係」を通してこそ「抑制と均衡」が可能です。政治は宗教の理想によって矯正され、宗教は政治の不可避的な流動や混乱、腐敗に巻き込まれることがさけられるのですから。
 池田 「創造的緊張関係」――的を射た表現です。師の戸田先生(創価学会第二代会長)も「青年は、心して政治を監視せよ」と叫びました。戸田先生は、善人は徹底して大切にし、悪人には厳しかった。また、青年が嘘をついたりすると、それは厳しかった。本当の意味で「平和の人」でした。「正義の人」でした。平和や弱者保護などの宗教的理念から政治を監視し、正しい方向を示すことは当然の権利であり、義務です。それは宗教者としてだけでなく、市民としての当然の義務です。
 テヘラニアン 私は、日本における創価学会の運動こそが、宗教と政治の創造的な均衡をなしとげている、と思っています。創価学会は、宗教団体と支持政党を分離することによって掲げた政策に失点がある場合は、支持政党を批判する独自の権利を保持していますね。
 池田 そのとおりです。創価学会の会員は、政治家に対しては非常に厳しい目をもっています。それが第二代会長の遺訓であるからです。
 テヘラニアン その権利を保持するかぎり、創価学会は、ある政策や政党を支持することによって創価学会の宗教的理念である平和と公正へ、社会を前進させることもできるでしょう。いずれにしろ、現実社会の中での活動を重視する仏教、なかんずく創価学会のような社会的実践を重んじる仏教運動と、イスラムには共通点があります。
7  現実世界と対話し、民衆の中で法を具現化
 池田 話は戻りますが、「警世の人」が権力の座にいる人々に受け入れられるはずはありません。日蓮は、二回の流罪を含む国家権力からの弾圧に耐え続けねばならなかったのです。しかし弾圧は、日蓮が「法華経の行者」であることの証でもありました。
  日蓮は極寒の流刑地佐渡で、「開目抄」と名づけられた一書をしたためます。日蓮はその中で“人々を守る人はだれか”“精神的指導者はだれか”“子を思う親のように人々を愛する人はだれか”――という三つの観点から、歴史の検証を行っています。そして教主釈尊こそが、その三点において傑出した人であり、弾圧に抗しながら、一切衆生は平等に仏性を有するという法を弘めている日蓮こそ、その魂を継ぐものであると宣言するのです。
 テヘラニアン なるほど。恣意的主張におちいらない、客観的な知的努力がありますね。なによりも、民衆へのあたたかな眼差しがあります。
 池田 日蓮はつねに、みずからの主張をなすとき、経典にはどう書かれているか(文証)を重視しました。また、理性と矛盾しないこと(理証)、現実にその主張が実証されること(現証)を重視しました。いわば“仏と対話しながら”“理性と対話しながら”、そして“現実と対話しながら”、つねに自分の主張がドグマにおちいっていないことを検証する――そのなかで、日蓮は「一切衆生平等」という『法華経』の精神を深化し、民衆のなかに具現化しようとしたのです。
 テヘラニアン 目的観の強固さ、意志の純粋さ、正義と平等を追求する情熱、人は僧侶の介在がなくても、信仰によって宗教の本源に直接いたれるという主張――これらのすべてが、驚くほど現代的であり、民主的な宗教に通じるものです。スーフィズムにおいても、この意志の純粋さということは、われわれの行動をためす最大のものといってよいでしょう。
 そして、私にはムハンマドの生涯を想起させます。日蓮に対する権力者の弾圧も、ムハンマドがメッカの支配部族から受けた迫害に酷似しています。また、ムハンマドも狂信者であるかのように誹謗されてきました。しかし、無理解と迫害は、少しも驚くべきことではありません。民衆を服従させ、精神的にも政治的にも自信を失わせ、無気力にさせようとする支配勢力にとって、日蓮とムハンマドの教えは、これからも“脅威”であり続けると、私は確信しています。
 池田 日蓮は「虎が吠えれば大風が吹く。竜が唸れば雲が起こる。野兎がなき驢馬がいなないても、風は吹かず雲も起こらない」(御書一五三八㌻、趣意)と述べています。すべてを見おろした、悠々たる境界でした。
8  冷笑主義が蔓延する現代とどう向きあうか
 池田 続いて、現代社会の問題に対して、仏教とイスラムという二つの宗教が、どのような視点を示すことができるのかを考えたいと思います。現代社会がかかえる大きな問題の一つとして、永遠なるもの、普遍的なるものに対する健全な精神が枯渇していることがあげられるのではないでしょうか。個人主義が徹底する一方で、普遍主義は後退しました。個人主義は、普遍的なものに対する健全な眼差しに裏づけられていない場合、他者への無関心、冷淡さに堕落してしまいます。現代社会に蔓延するシニシズム(冷笑主義)は、たいへん気がかりです。
 「どんなものも大差ないさ」「どっちにいっても、かわりはないよ」という冷ややかな態度は、とてつもない邪悪なものの跳梁を許すことにつながらないともかぎりません。
 テヘラニアン おっしゃるように、現代は「混迷の時代」「冷笑の時代」です。なかには「脱近代の時代」という人もあれば、「超近代の時代」という人もいますが。呼び方はどうであれ、長い歴史のなかで、私たちの時代の特徴は際立っています。その特徴をいえば、第一に、現代は歴史の加速がいちじるしい時代です。かつては数百年か数十年を要した出来事が、今日では数年内か、数週間内に起きます。それも、テレビを観ている私たちの目の前で起きるわけです。
 池田 スピードそのものが、私たちの時代の象徴です。そして情報化――すべてが実体験ではなく、テレビ画面上の情報として猛烈なスピードで流れていきます。「メディアの隣人」という概念がありますが、テレビに出てくるスターのほうが、実際の隣人より親近感を感じることもあるようです。現代人は、何も体験しないまま生きていく時代に入ったのかもしれません。
 テヘラニアン 歴史の加速の正の側面については、たとえば、ヨーロッパ諸国の帝政が崩壊するには二つの世界大戦を要しましたが、一九八〇年代のソ連の体制の自壊は平和的な対話を通して十年内に起きました。同様にイランやフィリピン、東欧の独裁者たちは数年のうちに権力の座を追われました。独裁政権の永続は、グローバル(地球規模)なコミュニケーションが発達したゆえに、困難になっています。
 一方、負の側面をいうと、歴史の加速が、アルヴィントフラーのいう「未来の衝撃」を生むとともに、人々の消費生活では拝物主義を横行させることがあげられます。個人は自己のアイデンティティー(自分らしさ、個性)を守るものを、必死に探さなくてはならなくなっているのです。
 池田 情報社会の中で、人間はあふれる新しい情報を選択するのに汲々として、まったく委縮した存在になってしまっています。
 テヘラニアン 「超近代主義」の蔓延は、現代の病として社会を分裂させています。利己心が跋扈しており、宗教的な信仰心や、市民の公共精神は薄れています。このことが、過激な無神論や冷笑につながっているのです。すべての人の行動の動機を疑い、ウラを読み、人間相互の信頼と連帯の絆を弱めています。
9  『法華経』の教えは「多様性」「共生」の讃歌
 池田 そのとおりです。良識の声は無視され、危険な国家主義が広がりつつあります。
 テヘラニアン 超近代的な社会は、トクヴィルがいみじくも「多数者の横暴」と名づけた圧制に対し、あまりにも無防備になっています。世界の各地で、民主主義の名のもとに独裁的な政権がしだいに幅を利かせつつあります。この種の新政権は、新保守主義を装いながら、自己の特別な利益を損なうことなく国民の支持を得るために、経済的には自由主義を標榜する――この現象を「笑顔のファシズム」と呼ぶ人もいます。
 池田 この種の新しい権力は、国民に世俗的な欲望の満足と、悩める他者への無関心をあたえます。
 それは、他者に奉仕するという宗教的信条を軽視する態度にも、つながっていきます。
 テヘラニアン この新しい「暗黒時代」に希望はあるのか。私はあると信じています。なぜなら、SGI(創価学会インタナショナル)のように「他者」をどこまでもつつみ込んでいこうとする宗教運動や、非宗教的な運動が厳然と存在するからです。それこそが、希望の存在です。世界の動向がグローバル化することによって、対話のさいに、おたがいの相違をめぐって交渉しあう前にまず共通のものをよく認めあうことから始める、「理論と実践」としての「普遍主義」が必要とされています。抽象的な普遍原理から始まった十八世紀ヨーロッパの啓蒙運動とは違って、この新しい普遍主義は、人間の多様性を認め、礼讃するものです。死は一様ですが、生は多様です。ですから、新しい時代への私のモットーは、有名なフランス人のモットーと同じ“Vive la diffe’rence!(多様性万歳!)”です。
 池田 旧いタイプの普遍主義が、じつは画一主義であったことを、私たちは二十世紀にいやというほど体験しました。ひるがえって大乗仏教の精髄である『法華経』の後半部には、さまざまな菩薩が登場します。知性の人、献身の人、歌のうまい人、他者を尊敬することを信仰実践とする人――等々。『法華経』は、さまざまな多様性が花開く豊饒の時代の到来を、そしてそのための献身を、私たちに呼びかけていると言えるでしょう。人間も、民族も、国家も、それぞれの個性を認めあい、生かしながら「共生」していくことを、うながしているのです。
 テヘラニアン そうですね。『法華経』の教えこそ、まさに「多様性讃歌」と言えるものかもしれません。じつはルーミーの作品の中に、宗教上の信仰における多様性と倫理上の相違点にふれた同様の詩的な讃歌と言えるものがあるのです。彼はこう述べています。「トルコ人とヒンドゥー人はしばしば同じ言語を話す。同時に二人のトルコ人がたがいに見知らぬ存在であることもよくある。心の言語はかくて特別なものとなりうる。共感の言語は舌による言葉よりも優れているのだ」
10  99999999 第四章 文明間の対話――諸宗教の共存
11  イスラムの教義と信仰の対象
 池田 国連総会で、西暦二〇〇一年が国連の「文明間の対話年」に決定されました(一九九八年十一月)。二十一世紀の出発の年に「文明間の対話」に力を入れようと決めた意義は大きいと思います。「対話」を通じて、異なる文化、文明の橋渡しに努めてきた私としては、国連の決定を心から歓迎するものです。
 テヘラニアン 国連の決定は、私にとっても感慨深いものがあります。イランが国連総会で提案をし、採択されたものだからです。戸田記念国際平和研究所の「地球市民のための文明間の対話」というモットーは、まさに時代の要請であり、池田SGI会長との今回の対話の意義をひしひしと実感しています。
 池田 これまでに、イスラムの歴史、またイスラム思想の特徴、仏教とイスラムの対比などについて対話を進めてきました。
  反響も大きく、「イスラムについて認識を深めました」「情報化社会といっても、私たちは先入観や偏見などを捨てることから始めなければと実感した」などの声が寄せられています。「イスラムの基本的な教え、日常の実践について知りたい」との要望も多くありました。そこで、博士にイスラムの教義の基本的な事柄を、もう少しおうかがいしたいのですが。
 テヘラニアン 喜んでお答えしたいと思います。
 池田 まず、信仰の対象は何でしょうか。キリスト教の場合は、キリストとしてのイエス、三位一体のキリスト、また場合によっては聖母マリアなども崇拝の対象となるようですが。
 テヘラニアン 『コーラン』には、次のようにあります。「信徒の者よ、アッラーと使徒(マホメット)と、使徒に下された聖典と、それ以前に下された聖典とを信仰せよ」〔四一三五〕(前掲『コーラン』) ここに、イスラムの信仰が要約されていると思います。
 池田 アラーと使徒ムハンマド(マホメット)、そして彼が受けた啓示である『コーラン』と、それ以前の聖典、つまりユダヤ教、キリスト教の聖書が信仰の対象というのですね。イスラムがユダヤ教とキリスト教の聖書を大切にしているというと、驚かれる方がいるかもしれません。
12  ユダヤ教、キリスト教との関係性
 テヘラニアン 以前(第二章)も申しましたように、イスラムの考えでは、イスラムもユダヤ教もキリスト教も、アブラハムを始祖とする「アブラハムの宗教」となるのです。イスラムもユダヤ教もキリスト教も、信じる神は同じです。その唯一の神が、モーセ――アラビア語ではムーサーと呼びますが――を通じて地上に送ったのがユダヤ教の「律法の書」であり、イエス――アラビア語ではイーサーと呼ばれます――を通じて送ったのがキリスト教の「福音の書」となるのです。そして、ダヴィデを通じて「詩篇」がもたらされたのです。
 池田 「律法の書」「福音の書」そして「詩篇」――それらで、ほぼ『旧約聖書』『新約聖書』の多くは網羅されたことになりますね。
 テヘラニアン そして、ムハンマドを通じてもたらされた『コーラン』は、神の使徒に神の啓示をもたらし続けます。以上のことから、イスラムはキリスト教徒、ユダヤ教徒を、自分たちと同じく「啓典の民(アフルアルキターブ)」と呼びます。神はアダムからムハンマドにいたるまで、人間を導くために多くの神の使徒を送ったのです。
 池田 ユダヤ教やキリスト教に対するムハンマドの批判は、「異教の邪神を祈っている」ということではなく、「神への信仰の姿勢が弱くなってしまった」というのですね。
 テヘラニアン そうです。ユダヤ教、キリスト教の啓典と『コーラン』は同じものであり、神と最後の審判を真摯に信じるならば、ユダヤ教徒やキリスト教徒にも天国が約束されるのです。しかし、イスラムの見解ではそれらの民は啓典を誤って自分勝手に解釈している、それを正すために啓示されたのが『コーラン』である、としております。
13  イスラム誕生は“七世紀の宗教改革”
 池田 日本では、アラーとヤーヴェが違う神と思われてしまっているようですが、「アラー」という言葉はアラビア語で「神」という意味ですね。
 テヘラニアン ええ、「神」という意味の「イラーフ」(アラビア語)に、定冠詞「アル」がついたものです。英語でいうと“the God”になります。
 池田 日本ではよく「アラーの神」と言いますが、それでは「神の神」と、同じ言葉を重ねたことになるのですね。アラビア語圏のキリスト教徒たちの聖書には、「天にまします神」が「アラー」と訳されているそうです。キリスト教徒が「アラー」に祈りを捧げていることになるのです。このような意味で言えば、イスラムの誕生は、新しい宗教の勃興ではなく、もう一度「アブラハムの宗教」に戻れ、自分の信仰姿勢を問い直せ、という、ルターに先立つ“七世紀の宗教改革”であったと言えるかもしれません。
 テヘラニアン よく分かります。ムハンマドは次のように、当時のキリスト教を批判しています。「彼らは、アッラーをさし措いて、仲間のラビ(=律法学者)や修道士を主とあがめている。それからマルヤム(マリア)の息子メシア(=イエス)も。唯一なる御神をのみあがめよと、あれほど固く言いつけられているのに」〔九三一〕(同前)
14  モスクの管理運営と宗教指導者の役割
 池田 著名な哲学史家、アンリコルバンは語っていますね。
 「イスラームの中には、《恩寵の仲介》をこととするただ一人の聖職者もいないばかりか、教義上の師父、教皇の権威、教義の裁定を行なう宗教会議なども存在しない」(『イスラーム哲学史』黒田壽郎柏木英彦訳、岩波書店)と。確認したいのですが、イスラムには神と人の間に立つ聖職者はいないのですね。
 テヘラニアン そのとおりです。イスラムには位階制度はありません。また、世界各地のモスク(イスラムの礼拝所)を統轄する、いわゆる“本山”などもないのです。カトリックのような、教義を決定するための「公会議」制度もありません。
 池田 では、それぞれのモスクは、どのように管理、運営されるのですか。
 テヘラニアン たとえばカトリックでは、世界各地の教会はローマ法王庁の管轄下にあります。しかし、イスラムのモスクの場合は、町や村などそのモスクのある共同体が、地域ごとに維持、管理にあたるのです。
 池田 地域重視、地方重視ですね。では、もう一つうかがいたいのですが、イスラムには「ウラマー」という人々がいますね。宗教指導者たちです。よくテレビのニュースなどに登場しますが、この人々は聖職者ではないのですか。
 テヘラニアン たしかに『コーラン』の研究や解釈、また信徒の教育など、他の宗教の聖職者たちが行う行為をウラマーたちも行っています。しかし、ウラマーは決して神と人との間に介在しません。また、ウラマーたちの間に位の上下はありません。ただし学識の深さによって、発言の重みや尊敬の度合いは違います。ウラマーたちは、さまざまな社会階層の代表、またさまざまな地域社会の代表なのです。その階層の人々、
 その地域の人々のリーダーであり、それらの人々の声を代表するような社会的役割を果たしているのです。
15  創始者の精神――「人間主義」の原点に戻れ
 池田 なるほど。ところで、ムハンマドは実際に目にした当時のユダヤ教、キリスト教の聖職者たちの退廃ぶりを、厳しく指摘していますね。
 テヘラニアン ええ。『コーラン』には「ラビや修道士たちの多くは、一般の人々の財産をくだらぬことで食いつぶし、あまつさえアッラーの道を塞ごうとする」〔九三四〕(同前)とあります。
 池田 このような、腐敗した聖職者に対する火を吐くような批判は、「ソラフィデ(信仰のみ)」をめざし、聖職者や教会制度の介在なしで直接、神とつながり、聖書に戻ろうとしたルターの宗教改革を思い起こさせます。そういう意味をこめて、先ほど“七世紀の宗教改革”と申し上げたのです。
 テヘラニアン 正鵠を射た認識です。私もまったく同感です。イスラムは、信仰者の平等性を神の目を通して再活性化したのです。
 池田 「原点に戻れ」――このムハンマドの主張に立ち返れば、偏狭な原理主義は出てこないはずでしょう。イエスにしても、ムハンマドにしても、釈尊にしても、みな人間の解放をめざしました。悩める人の支えとなり、病める人の助けとなった。日蓮もまさにそうでした。創始者の精神――「人間主義」の原点に戻れば、むしろ対立や争いは解消するはずです。私たち創価学会の運動も、「日蓮大聖人の時代に戻れ」
 ということから始まった運動なのです。しかし、自分を何とか権威づけようとした聖職者たちは、その流れを妨害してきたのです。私の師、戸田先生は、“世界の諸宗教、諸哲学の開祖、創始者たちが一堂に会せば、話は一致するはずだ”とつねづね語っていました。
 テヘラニアン 偏狭な原理主義は、急速な近代化などで、信仰に関する確信が危機にさらされたところから起こる場合がしばしばです。
16  信仰は現実生活の実践に結実
 池田 ところで、イスラムが地域の特性を活かそうとしているゆえに、世界のムスリム(イスラム教徒)にはさまざまな違いがあります。アメリカの文化人類学者、クリフォードギアツは、モロッコのムスリムとインドネシアのムスリムとの間に大きな違いがあることを示しましたが、そのように多様性を有するムスリムをムスリムたらしめている、共通のものは何でしょうか。
 テヘラニアン イスラムの根本教義としては、次の五つの事項を、全ムスリムは認めています。いわゆる「五柱」というものです。その五つの事項とは、
 ・信仰告白――「アラーのほかに神はなく、ムハンマドは神の使徒である」という言葉を唱えて行う。
 ・礼拝――日に五回、夜明けと正午と午後の中時と夕方と夜に、メッカのほうに向かって祈りをなすこと。
 ・喜捨――貧しい者に施しを与えること。
 ・断食――ラマダーン(イスラム暦の第九月)には毎日、日の出から日の入りまで断食すること。なお、飲み物、喫煙、性的な行為も控える。
 ・巡礼――旅費に恵まれるならば、一生に少なくとも一度はメッカに巡礼すること。
 池田 その五つが、ムスリムの基本的実践なのですね。宗教と社会という次元でいえば、現代社会でしばしば見られるように、宗教がただ「心の癒し」を得るための「個人的なもの」にとどまるなら、それは一種のエゴイズムの表れと言えるかもしれません。なぜなら、それは一種の気休めにすぎないからです。ところがイスラムでは、あくまで信仰は、現実生活のなかでの実践に結実していくべきと考えられている。社会的視座がそこにはありますね。
 テヘラニアン おっしゃるとおりです。まったく同感です。またそれは、すでに語りあったように仏教の特徴でもありますね。
 池田 五つの事項のなかでは、とくにラマダーンが有名ですね。ラマダーンのときには、毎日、日の出から日没まで水一滴も飲めない。皆が、平等におなかをすかせている。
 テヘラニアン いっさいの社会的地位も、財産も関係ないのです。完全な平等が実現します。消化器系をきれいにし、飢餓の痛みを思い起こさせるために、完全な平等が必要なのです。
 池田 ただし、これはだれでもが強制される規範ではなく、病人やけが人、妊婦などは除外されるとうかがっています。強制的なものではなく、信仰心による自発的なものとも言えるでしょう。「巡礼」も、先ほどおっしゃったように、強制的なものではなく、「旅費に恵まれるならば」の一項が入っていますね。
 テヘラニアン そうです。ところで、ラマダーンのときにイスラムの国を訪問されたことがありますか。
 池田 ええ。前にも述べた第一回の訪問(一九六二年にイラン、イラク、トルコ)が、まさにそのときでした。ワーカホリック(仕事中毒)と言われるような日本人から見れば、昼間に空腹のままで仕事をすることなど「非効率」このうえないでしょう。しかし、「日常」のなかに「聖なる時」をもつこと、欲望が解放される市場経済の社会に「抑制の生活態度」を取り入れることは、大きな意義があるととらえるわけですね。
 テヘラニアン ラマダーンを行うと、信仰の自覚が強まりますね。また、気分も充実するという人が多い。日常の惰性にメリハリができるのです。私はよく覚えていますが、十五歳のときのことです。これはイスラムで少年が大人になる年で、私がどんなに断食をする家族に加わることを熱望したか。私たちは日の出前に起きて、朝の祈りに続く食事をともにするのです。こうした宗教行為には心が高まることが多くありました。
17  礼拝は「聖なるもの」「平和」への祈り
 池田 またイスラムといえば、世界のどこでも「祈る姿」が印象的です。先ほどの「五柱」のなかの「礼拝」ですね。世界各地のモスクでも、モダンなオフィスでも、大学のキャンパスでも、絨毯などの敷物を敷いて、祈りを捧げている老若男女のムスリムの姿を目にすることができます。
 テヘラニアン あの祈りは、メッカのカーバ神殿の方向を向いて祈るのです。キリスト教にも仏教にも礼拝施設があり、たいていその前方に礼拝対象があるので、多くの場合、信者は前を向いて祈ることになります。ところがムスリムの場合は、たとえモスクの中で祈っている場合でも、モスクの壁を超えて、はるか向こうのメッカの方向を向いて祈るのです。徹底した「偶像崇拝の禁止」がその理由ですが、他の宗教とくらべて、大きな違いです。礼拝施設の壁には、メッカの方向を示すくぼみがあります。
 池田 イスラム世界を報道するドキュメンタリー番組などでよく現れる場面ですが、朝もやのなかで、モスクの尖塔(ミナレット)からアザーン(礼拝時の告知)の朗々とした詠唱が響きます。「礼拝にきたれ、繁栄にきたれ」「礼拝は眠りよりすばらしい」という朝のアザーンは、イスラム世界を象徴する印象深い光景です。ここで、もう一つうかがいたいのですが、その礼拝のときに何が唱えられるのですか。
 テヘラニアン 「神は偉大なり」、そして「アラーのほかに神はなく、ムハンマドは神の使徒である」という内容で、アラビア語で唱えます。
 池田 先ほどの「信仰告白」の言葉ですね。アザーンにしても「信仰告白」にしても、世界のどこでもアラビア語なのですか。
 テヘラニアン そうです。そして、おたがいに「アッサラームアライクム(あなたのうえに平和がありますように)」と言って、あいさつをするのです。
 池田 たしか、このとき左右を向いて、周囲の人々に対して「平和がありますように」と唱えるのでしたね。
 テヘラニアン そうです。聖なるものに一対一で向かおうとする超越性、そして他者への、あたたかな眼差しという社会性が、礼拝の行為に象徴されているのです。
 池田 礼拝といえば、おもしろいエピソードを耳にしました。ある日本人の女性が、ムスリムの友人が毎日祈っているのを見て、けげんに思ったというのです。「ずいぶん心配事があるんだな」と。そこで、「いったい何を神様に頼んでいるの。試験の合格?」とたずねたところ、「神に頼みごとをするのは礼拝ではない」と叱られたというのです。
 テヘラニアン 神を敬い他者の平和を願う礼拝は「サラート」と言い、いわゆる神への「頼みごと」では決してありません。個人的な願いを神へ祈ることは「ドゥアー」と言い、神と人間をつなぐものとして位置づけられております。この「ドゥアー」は、完全には否定されてはいませんが、基本的に礼拝は敬神と平和への祈りです。
 池田 なるほど。ところで、先のエピソードが物語っているように、日本では試験の前に合格を祈願したり、正月に一年の幸福を祈ることはさかんです。それらは「困ったときの神頼み」的な姿勢であったり、形ばかりの儀礼的なものにすぎません。そのなかで、日常的に祈る人は「他にすがる弱い人」との偏見があります。その一方で、私たち創価学会は、日常的な祈りを、自立して人生を強く生きぬいていく源泉と位置づけ、実践してまいりました。
 テヘラニアン よく理解できます。
18  イスラムはなぜ世界宗教になりえたか
 テヘラニアン イスラムの歴史について話を続けたいと思います。ムハンマドの死後、六六一年にウマイヤ朝が成立。七五〇年にウマイヤ朝は滅び、アッバース朝が成立します。アッバース朝は約五百年存続します。ウマイヤ朝、アッバース朝の両時代はきわめて対照的に見えます。ウマイヤ朝の統治は、アラビア人による異民族支配でした。被征服民はイスラムに改宗したとしても、租税負担など過酷な差別がアラビア人との間にありました。対して、アッバース朝の統治は、アラビア人、非アラビア人の区別なく、信仰心の有無を重視したものでした。官僚の多くはマワーリー(非アラビア人で、イスラムに改宗した人)でした。神の前では、すべての人は平等であるという、イスラムの理念が重んじられたのです。それは『コーラン』の精神です。
 池田 ウマイヤ朝を「アラブ帝国」、アッバース朝を「イスラム帝国」と分類する学者もいるそうですが、その言葉が両帝国の特徴を表していますね。ここで、とくにアッバース朝において、どのようにイスラムが他民族にも広まったかを、博士にお聞きしたいと思います。アッバース朝においてイスラムが発展したのは、イスラムが理念だけでなく、実際の歴史のうえで民族の壁を超えて「普遍宗教」となったからだと思えるのですが。
 テヘラニアン イスラムといえば「砂漠の宗教」
 「アラブの宗教」と思われがちですが、どれほどイスラムがアラブ世界以外に広まっているかを一言で申し上げるなら、今日およそ十億人のムスリムのなかで、アラビア人は約一億人しかいないということが、もっともよい例かと思います。イスラムはその最初の百年において、アラビア半島から、アジア、アフリカ、ヨーロッパへ急速に拡大していったのです。
 池田 イスラムに関する「オリエンタリズム」的な常識を打ち崩すものですね。ほかにも、たとえばフランスでは宗教別人口でいえば、もちろん第一位はカトリックなのですが、第二位はプロテスタントを抜いて、イスラムということです。砂漠のアラビア人だけの宗教という、つくられたイメージは払拭しなければなりませんね。
 テヘラニアン おっしゃるとおりです。イスラムも、歴史上のいくつかの宗教のように「部族宗教」や「民族宗教」へのコースをたどろうとしたならば、簡単にたどれたでしょう。たしかに「アラブの宗教」になる可能性はありました。しかし、実際はそうはなりませんでした。
 池田 そこなのです。なにゆえ、民族や部族だけに閉ざされていかなかったのか。
 テヘラニアン それにはいくつかの要因があります。第一に、『コーラン』に明言されているのです。「アッラーとその使徒たちを信じ、彼ら(数多い使徒たち)の間に全然差別をつけない人々、そういう人たちには我らがきっとふさわしい報酬を授けようぞ。アッラーは何でも赦して下さる情深いお方におわします」〔四一五一〕(同前)と。
 池田 『コーラン』自体に、普遍化の要因があるということですね。しかも、それは“神の啓示”であるから、たんなる理論や建前ではない。実践すべき目標となる。
 テヘラニアン そうです。そして第二の要因は、イスラムがペルシャ帝国(ササン朝ペルシャ)とビザンチン帝国(東ローマ帝国)の領域へ、その教勢を急速に拡大していったことが、ただちに膨大な数の民族および宗教集団との接触をイスラムにもたらしたということです。
19  民衆がともに暮らすなかに諸宗教も共存
 池田 巷間いわれているように、「コーランか、剣か」という強権的支配では、短時間の支配はできても長続きはしない。多様な民族、多様な伝統との交流が、イスラムの多元的文化を可能にしたということですね。
 テヘラニアン そうです。アッバース朝はその帝国を築くときに、文化的多様性に対する寛容を基本にしたわけです。アッバース朝以降のイスラム文明の多様性の実例について、前(第二章)にも語りあいましたが、ここでも若干あげたいと思います。屈指のアリストテレス研究家であり、またヨーロッパ中世のキリスト教神学に巨大な影響をあたえたイブンルシュドはムスリムでした。彼の出身はスペインのコルドバです。コルドバはローマの賢者セネカを生んだ街ですが、ほかにもキリスト教の学僧ホジウス、ユダヤ教の学者マイモニデスを輩出しています。私たちの想像以上に、諸文明は交差し融合しあっているのです。
 池田 コルドバは、コンスタンチノープル(現イスタンブール)、バグダッドとともに中世世界の三大都市とされる街ですね。
 テヘラニアン ええ、この街には、有名なイスラムのモスクがあります。イスラム帝国がスペインを統治していたとき、このモスクでは金曜日にはムスリムが(毎週金曜日の正午、モスクで集団礼拝が行われる)、日曜日にはキリスト教徒が敬虔な礼拝を行っていたといいます。またコルドバは、ユダヤ人の商人たちが活躍する街でもありました。コルドバは、まさしく諸宗教の共存共栄が可能であったことを歴史的に証明する場所です。そのような都市は枚挙にいとまがありません。サラエボもその好例です。
 池田 そうですね。サラエボといえば、旧ユーゴスラビア出身でノーベル賞作家であるイヴォアンドリッチは、一九二〇年の書簡にこう記しています。「サラエボで床について眠られぬ夜を過す者は、サラエボの夜の声を聞くことができます。重々しく確信をもって、カトリック大聖堂の時計が夜中の二時を打つ。一分以上も過ぎて(中略)ようやく、少し弱々しい、だが胸に響く音で、正教教会の時計が自分の夜二時を打ち鳴らす。両者に少し遅れて、ベイのモスクのサハトクーラ(時計塔)がくぐもった遠い声で時を告げる」(『サラエボの鐘』田中一生山崎洋訳、恒文社) また旧ユーゴスラビアでは、自分たちの聖堂をもてない貧しいカトリック教徒を見たムスリムが、聖堂を贈ったこともあると聞きました。
 テヘラニアン 区別をもちながらも共存している、共存しつつも差異は厳然として存在する――アンドリッチの文には、その様子が見事に証言されていますね。それはまた、ユーラシアの多くの都市の実像でもあるのです。
 池田 こうした姿を現代において伝えてくれるのは、フアンゴイティソーロ氏の『サラエヴォノート』でしょう。もちろん、共存の歴史が忘れ去られてからの悲劇の描写が、圧倒的な分量を占めますが。氏は日本のテレビ局のインタビュー番組に出演したときに、サラエボにおける宗教的多様性について静かに語っていました。サラエボはバルカン半島有数のムスリムの街です。サラエボを訪れた彼は、印象的な光景を目にします。イスラムのモスクの近くに、シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝の会堂)とキリスト教の教会が共存しているのです。民衆の「暮らし」のレベルでは宗教の共存は可能です。今、血なまぐさい“宗教対立による悲劇”が報じられている街々は、ついこの間まで諸宗教が共存し「暮らし」をともにしてきた場所なのです。
20  砂漠は大海、オアシスは港、ラクダは船
 池田 これは、偉大な地理学者でもあった創価学会の牧口初代会長が『人生地理学』の中で指摘されている点でもありますが、海洋民族は一般に開放的で寛容だと言われます。異文化とのさかんな交流の長い歴史を有していることが多いからです。私は、砂漠のオアシス都市もこの点では同じだと思うのです。まさに、砂漠は大海、オアシスは港であり、ラクダは船、キャラバンは船団です。
 テヘラニアン そのイメージは的確ですね。よく理解できます。
 池田 オアシス都市の人々は日常的に異文化、異民族と接触し、それを歓待し、またそこから利益を得ていました。
 ペルシャにしても、エジプトにしても、イスラムが拡大していったのは、砂漠という大海に浮かぶ港、つまりオアシスを拠点とする既存の交流ルートを伝ってでした。それを大切にしようと思えば、文化的普遍性、多様性をおびざるをえないのは当然でしょう。
 テヘラニアン ムスリムも、時によっては偏狭と不寛容の罪を犯したのは確かです。アラビア人はその征服の歴史の初期には、非ムスリムに対して、必ずしも心優しくあったとは言えません。
 池田 人間は時として愚かであり、残虐である。しかし、時には賢明であり、寛大です。人は時として弱く、犯罪を犯してしまう。そして、想像を絶する崇高な行為を行うのも人間です。そこに人間存在の不可思議があります。
 テヘラニアン まったく同感です。すべての国家は時に騎士道的なふるまいをしたり、時には残酷なことをするということは、歴史がよく示しているところです。
 池田 そのうえで、私たちが歴史の事実から学べることは、日常的な交流が非常に重要だということではないでしょうか。かつては、サラエボでもコルドバでも、民衆は宗教のいかんを問わず、ともに暮らしていたのですから。
21  「人類の知恵」の遺産から学べ
 テヘラニアン それを忘れたとき、集団としての反目と対立が始まる。
 池田 そのとおりです。民族対立の悲劇を生んだルワンダでも、対立の構図は十九世紀以降の植民地主義のなせるものです。
 その意味で、人々の日常の交流、日々の暮らしの場をもう一度、見直してみたい。そこから、私は人々の活気があふれる「市場」に注目したいのです。この市場とは、コンピューター端末を少し操作するだけで、一瞬のうちに何億ドルもの商取引がなされる「市場」ではありません。まさに「バザール」(ペルシャ語)であり「スーク」(アラビア語)です。人々が暮らしをともにする場です。ここには、顔見知りの老店主夫妻の人の好い微笑があり、見知らぬ人々との出会いの驚きがあります。
 テヘラニアン そのような市場は、世界のいたるところにありました。
 池田 私は懐古趣味や、エドワードWサイードが批判した異国趣味に浸っているのではありません。人々の日常の「暮らし」を重視する視点をもったとき、異文化共存への可能性が発見できることを述べたいのです。先ほどふれたコルドバやサラエボなどの「人類の智慧の遺産」から、そのことを学べるのではないかと思うのです。
 テヘラニアン 同感です。まさに私たち人類が今、学ばねばならない、いや思い出さねばならないのは、そのことなのです。
22  生きた人間の「生の重み」を復権せよ
 池田 近代の始まりは、ルネデカルトの「コギトエルゴスム(われ思う、ゆえにわれ在り)」であると言われます。人間の理念や理性が、人間の存在に先立つというわけです。
 テヘラニアン それによって、人間は何にも束縛されずに疑い、
 考えることができるようになりました。しかし、それと同時に人間はイデオロギーや理念のために、おびただしい殺戮を行うようになったのです。
 池田 この「コギトエルゴスム」は、イスラム哲学の影響を大きく受けた中世キリスト教哲学の頂点、トマスアクィナスの「スムエルゴコギト(われ在り、ゆえにわれ思う)」を逆転したものとされます。この「スムエルゴコギト」は、現実の生の重さを語ります。「ここに私がいる」「ここにあなたがいる」という、何にも代えがたい「生の重み」が響きます。現実の人間、現実の人生、現実の暮らしを離れた「理念」「哲学」「宗教」は偏頗なものです。今こそ、科学技術、経済、医学、政治など、すべての分野に生きた人間の「生の重み」を復権させなければなりません。
 テヘラニアン たしかに、アッバース朝をはじめとするイスラムの繁栄は、「現実の暮らし」「現実の人間」を大切にしたからといえます。「ザカート(喜捨)」も、本来は神に対して負債を返すものですが、具体的には、その負債は孤児や寡婦などの貧しき人々のために使われます。ここには、神を求めつつ、現実世界を理想郷にしていこうという精神が見えます。
 池田 おっしゃることはよく分かります。唯一神を立てるか否かなど、教義上の異なりはもちろんありますが、その精神は「上求菩提下化衆生」(摩訶止観)――みずから成仏(菩提)をめざしつつ、人々を救う化他に生きる――つまり、みずからの宗教的向上を求めつつ、仏の智慧の顕現の場としての現実社会の向上にも尽くすという、大乗の菩薩たちの実践に通じるものがあるように感じます。
23  「三十羽の鳥」の美しい寓話が教えるもの
 テヘラニアン 十二世紀のスーフィズム(イスラム神秘主義)の詩人アッタールが、「鳥たちの会合」という美しい詩の中で、人生の精神的な旅の歓びと困難の諸相を、比喩や寓意を交えて謳っています。スーフィズムは、先に述べたように、仏教から大きな影響を受けています。
 池田 スーフィーの詩人であり思想家であったルーミーの師とされている人物ですね。興味深いです。ぜひ紹介してください。
 テヘラニアン まず、全世界の鳥たちが、彼らの神話の神である巨大な賢鳥シームルグがどこにいるかを議論する会議に集まります。そこで、会議の主宰者であるハドハドが「わたしは高い山中にいるシームルグのありかを知っている」と言いだします。それではシームルグを見つけようではないか、ということになり、鳥たちはハドハドに従い、長途の旅に出るのです。この旅というのが、スーフィーの説く「精神の進展の道の階梯」にちなむ七つの谷を渡るものです。
 池田 真理の探求が冒険物語となっているところが、交流と交易の文明イスラムらしいですね。その七つの谷とは……。
 テヘラニアン 探求から愛、知識、驚嘆、満足、富裕、清貧へと続く七つです。その道程にあって、多くの鳥たちが道を外れていきます。言い訳や遁辞を述べたり、
 不注意であったり、遅れたりして脱落していくのです。
 池田 それはおもしろい。脱落の原因は一様ではないのですね。人間の多様性への洞察力の豊かさが分かります。
 テヘラニアン ようやくシームルグの在処と思われる山の頂点に達したときには、わずかに三十羽の鳥しか残っていません。彼らはあたりを見まわします。
 池田 シームルグなど、どこにもいない。
 テヘラニアン そうです。おっしゃるとおり。鳥たちは自身がシームルグであることを発見するのです。シームルグとは、ペルシャ語で「三十羽の鳥」をも意味する言葉なのです。言葉遊びといえばそうなのですが、この寓話を通して詩人アッタールは、神は生きとし生けるものの共生と、相互依存性のなかにあることを教えていると言えましょう。
 池田 仏教説話にもありそうな寓話ですね。決して、幸福は彼方にあるのではない。他者とともに、生きていく瞬間、瞬間にある。理想を求めていく過程にこそある。仏教では「娑婆即寂光」と説きます。この現実世界で苦難と闘う人間の姿自体が、仏の姿なのです。また「煩悩即菩提」とも説きます。苦しみがなくなれば幸福かといえば、決してそうではない。苦しみに真正面から挑戦する姿自体が、崇高なのです。
 テヘラニアン なるほど、よく分かります。いかにして宗教的信条と現実的な社会性を調和させるか――それには、この寓話の示唆すること、また会長が今、語られた仏教の哲理を理解することから始めなければならないでしょう。
  
 必要な「驚きの感覚」と「畏敬の念」
 池田 詩聖タゴールも『ギタンジャリ』の中でこう謳っています。「そのような詠唱を 讃歌を 数珠のつまぐりをやめるのだ。扉をすっかり閉ざした寺院の こんな寂しい暗い片隅で、おまえは誰を拝んでいるのか? おまえの目を開けるのだ、そして見るがよい――おまえの前に 神がいまさぬのを。農夫が固い土を耕しているところ、道路人夫が石を砕いているところ、そこに 神はいたもう。神は 照る日も雨の日も 働く者とともにいて、その衣は塵にまみれている。おまえの法衣を脱ぎ捨て、あのかたにならって 埃っぽい大地の上に降りて来るのだ!」(『ギタンジャリ』森本達雄訳、第三文明社) ここには、近代のヒューマニズムと宗教の見事な両立が謳われています。大乗仏教の菩薩行にも通じる精神です。
 テヘラニアン そうです。近代的世俗性と宗教的信仰は、たがいに排斥しあうものではありません。それとは反対に、宗教的信仰のない近代性の未来というものは、寒々として見通しは暗い。
 池田 それはガンジーの指摘でもありますね。そして悲しいことに、二十世紀の歴史はそのことを証明してしまった。
 テヘラニアン そうです。主要な諸宗教に道徳的、精神的に導かれない現代の世界は、自滅してしまうでしょう。汚染、人口の増加、核兵器、生物化学兵器による戦争によって、また精神と道義の貧困のなかでの緩慢な死によって……。
 池田 今日の環境危機を早くから指摘していたアメリカの
 生物学者レイチェルカーソンの言う「センスオブワンダー」の感覚、つまり他者や未知のものに対する畏敬の念が、今、失われているのではないでしょうか。すべてを予測可能なもの、既知のものと矮小化してとらえ、それを支配したり加工しようとする。また、できると思っている。
 テヘラニアン それはまさに世俗的ヒューマニズムがもつ傲慢さの表れですね。ヒューマニズムは人間の運命、すなわち有限性、はかなさ、道徳的弱点というようなものの大いなる神秘性を明らかにしていません。信仰こそがそれをしている。だからこそ畏敬の念をもち、魅力を感じ、神秘を感じるのです。
 池田 自分以外のものを、軽視したり敵視するのではなく、まず「驚きの感覚」「畏敬の念」をもって見る。「存在の重み」「生の重み」の実感です。その感覚をたもっておくために、「永遠なるもの」「自分を超えたもの」を感じようとする宗教的な感性は、絶対に必要ですね。
 テヘラニアン まったく同感です。全面的に賛同します。

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