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日蓮大聖人・池田大作

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4 科学技術と倫理・哲学  

「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)

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4  科学と哲学の再会への「問いかけ」を
 ブルジョ 二十年ほど前に、イリヤ・プリゴジンとイザベル・スティンガースは、“近代科学を特徴づけているのは、理論の技術化であり、また自然環境を理解しようとする野心とその脅威を和らげようとする野心を、体系的に提携させることである”と指摘しています。
 深い省察を共通項として成立していた哲学と科学の同盟は崩壊し、それとともに、自然に影響をあたえたり、それを支配しようとするのではなく、自然の法則を発見し理解していこうとする科学的アプローチと道徳や自然法との間にみられた共通基盤も瓦解しさったのです。
 科学は哲学と組むより、“技術”と提携することを選ぶことによって、科学自体が「操作的」になった――こう、ジャン・ラドリエールは記しています。
 池田 従来の思想的土台の上では、科学という大建造物はもはや建てることができなくなっていた。それゆえ、大きく発展した現代科学がよって立つべき、より深く、より広く、より確かな基盤が求められています。
 現代科学が広げた地平を俯瞰するパースペクティブ(見取り図)と、今後、人類が歩むべき方向を示す羅針盤が必要です。
 ブルジョ 現代社会では、技術の発展自体が、哲学的・倫理的問いかけの必要性を生みだしております。この数十年の科学技術の発展は、倫理問題への洞察を必要かつ喫緊のものとしています。
 「そうすることがはたして便利なのか」「そうすべきであろうか」「それによって達成できると思っていることが本当に可能なのか」――。
 また、「何のためにそうするのか」「だれにとって、利便なのか」。そして、「このような質問と、その後にくる選択を、最終的にだれが決定するのか」と。
 このような基本的でしかも具体的な問いかけが、今日、科学・技術と、哲学・倫理の再会を実現するのです。
 池田 ご指摘のとおりです。具体と普遍は一体です。仏法では、具体(随縁)にも、普遍(不変)にも、同じく真理(真如)を見いだします。
 哲学・倫理が提示すべき「永遠なるもの」「妙なるもの」は、分析的な科学・技術が提示する「具体的な個々のもの」を離れて現れるのではないと考えます。
 このことこそ、「諸法実相」、すなわち“この世界万物の真実のすがた”ととらえられています。
 しかも、仏法では、それぞれの時代・社会において、「諸法実相」をとらえる力は異なり、時代の変遷とともに、仏法者はより高い次元、より深い見方での「諸法実相」を獲得しようと、普遍性と具体性を往復して探求を続けるのです。
 永遠の真理探求――それが菩薩の生き方です。菩薩(菩提薩埵)とは、元来、“究極の智慧(菩提)を求めて生きる者(薩埵)”という意味ですから。

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