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日蓮大聖人・池田大作

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3 大学教育の使命  

「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)

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2  「学問の自由」を守るための条件
 池田 大学の存立に関して、重要な視点がことごとくあげられております。
 まず、第一の視点については、「学問の自由」という重要な人権に関するものと言えるでしょう。
 歴史を振り返ると、近代のナチスやスターリン時代のソ連など、学問・研究が政治的な意図によって悪用される例がしばしばありました。また、日本の薬害エイズ問題では、企業に都合のよい論文のデータを発表して、糾弾されている研究者もおりました。
 シマー 「(論文を)発表しなければ忘れられてしまう」というモットーは、大学やすべての研究者の通念となっています。それが極端な競争意識を生み、“正直さ”に欠ける結果につながることもひんぱんです。残念ながら、科学の名を汚し、学界内の関係を悪化させてしまった例があることは広く知られています。
 科学の研究者、とくに大学の研究室に所属する人たちは、研究を始めた動機を再確認するために、今ただちに自分自身に対して、次のように問いかけてみる必要があります。
 「自分は、自然、生物、心理、あるいは社会の諸現象についての知識を、社会の利益のために探究して啓発することを目的に、研究に身を置く決意をしたのか。それとも、学問的な名声を得て、専門家としての地位を築くことが目的だったのか」と。
 池田 博士の指摘されたとおりです。科学者としての良心の問題です。研究者が、“真理”の探究を忘れ、自己中心的になったとき、社会のため、人間のためという存在意義を失ってしまうのです。私は、大学には、政治や経済などからの独立を確保し、自身の良心にしたがって、研究を進め、成果を公表していく権利が保障されることが大切だと考えております。
 それゆえに、大学のみならず教育は、行政・司法・立法から独立した第四の機構として、教育制度を確立すべきであると主張してきました。とともに、研究者が、自身の“良心”に基づいて行動することが肝要です。
 シマー 私は、大学で学び学士号を取得して社会人となる人材が、次のような特質を身につけてほしいと思っています。
 一、専攻分野での基本原理や方法論を身につけていること。
 一、専攻分野の確かな知識をもつと同時に、その限界を知り、他の分野に対して心が開かれていること。
 一、批判精神を十分に発達させていること。
 一、自分一人で学習でき、知識をつねに拡大・深化できること。
 一、正しく効果的に自分の考えを伝えられること。
 一、職業に関する倫理観をもっていること。
 池田 研究者に必須のすべての条件をあげられました。最高学府を出た者として、専門的知識の習得は当然ですね。しかし、「知識」におごらない――これが大切です。つねに向上心をもち、他の分野にも謙虚に心を開き耳をかたむける。それとともに、人格を磨き、倫理観を確立することです。
 ブルジョ 教育と倫理の関係について言えば、人間が行うことのすべてには、何らかの倫理観がその背景にあります。そういう点では、教育そのものが、倫理の実践です。
 池田 卓見です。倫理と教育は、人間の幸福実現において不可分です。
 今、シマー博士があげられた条件をことごとくそなえた研究者によってこそ、「学問の自由」が守られるのです。
3  人間の営みを問い直す「知」の創造
 シマー 『大学の理念』に述べられている第二点については、会長の見解はいかがですか。
 池田 これは真理探究のうえでの核心部分です。
 政治・経済・文化という人間の営みの骨格を根本的に問い直すことこそ、大学の果たすべき役割でしょう。これらは、大学や学問自体がよって立つ基盤でもあります。
 シマー 伝統的に大学の使命とされてきたのは、それが属する社会において望ましい「知」の創造と伝播です。この使命の実現のために行われるのが、研究と教育です。この二つが、車の両輪となり、大学で創造された「知」が社会のすべての人々に伝えられてきました。
 池田 大学の使命である「知」の創造が、人類の文化や政治・経済の発展の意味を問う基盤となりますね。
 シマー たとえば、新しいテクノロジーの発達にともない、これまで問われることのなかった倫理的・社会的問題が生まれてきています。
 環境と開発のいずれを優先するかとか、市民としての権利と義務の問題などです。このような点で、従来の価値観が揺らいできています。
 大学や大学院を卒業した者は、このような諸問題について、自問し、自身の良心にしたがった判断ができるようであってほしい。
 モンテーニュの言う「しっかりした頭」をもってほしいと思います。
 大学は、専門的知識のみならず、人間としての基本的教養をも授ける場であるべきです。
 池田 私は、以前に、中国の浙江大学の潘雲鶴学長と大学教育について語りあいました(一九九八年四月九日)。学長は、“ミスター・コンピューター”と呼ばれている専門家ですが、シマー博士とまったく同じ見解を示しておりました。たとえば、専門分野でだれにも負けない「知識」をもつのは当然だが、これからは幅広い教養も身につけなければならないと主張していました。
 シマー まったく賛成です。種々の科学的、人文的知識を獲得し所有する能力が必要です。これらの基本的知識があってこそ、人間は世界のありようが理解できるのです。
 池田 日本の今の悲劇は、真の教養を教える指導者がいなくなっていることです。
4  望まれる大学と社会との相互啓発
 シマー 『大学の理念』にあげられた第三点については、いかがですか。
 池田 大学で創造された「知」を、社会へ伝播する問題ですね。
 大学で探究された成果に照らして、現在、世の中の進んでいる方向が、どのようなものか、今後どのようになるのか、を検証するものと言えるでしょう。その結果、危険なものには警告を発し、価値あるものには促進を勧奨すべきでしょう。
 シマー 「社会との対話」が必要であると思います。現代社会は、高度に工業化・技術化が進んでいます。このような社会において、科学がどのような役割を果たすべきか――それは、大学の教授や研究者が、他者との対話を通じて、解決を図っていくべき問題であると思います。
 池田 “象牙の塔”に閉じこもるのではない、ということですね。
 シマー そうです。大学は、もっと積極的に社会の要請に応えていくべきだと思います。また、社会を発展させていくために、新しい人材や新しい種類の「知」を発掘して、社会が秘めている可能性を開花させていく技術を開発すべきでしょう。
 池田 歴史をみても、インドにおける釈尊の時代、中国での諸子百家の時代、また、西欧ではルネサンスの時代など、現実社会とのダイナミックな交流によって、学問は飛躍的な進歩を遂げております。大学と社会の相互啓発によってこそ、倫理的価値が問い直され、また、社会的発展がうながされるもので
 す。
 シマー 大学での具体的教育で言えば、社会全体の変化に対応して、講義の内容が社会の要請にかなっているかを考慮しなくてはなりません。
 教員は、講義内容が古くなっていないかと心をくだかなくてはなりません。現代社会では、多くの分野で信じられない速さの進歩がみられる。新発見、新しいアプローチの開発、新しい分野の創造などを、できるだけ、リアル・タイムで即座に学生に伝えるべきです。そのために教員は、多くの論文を読む必要がある。毎年同じ内容を教えることなど、原則としてありえません。
 池田 日本では、毎年、同じノートを開いて教えている学者もいると失望する学生もいます。(笑い)
 しかし、博士が言われるように、大学は本来、時代に即応して、現実に価値を生みだすために、つねに教育の内容も、あり方も、調整されなければなりません。そして、そこには、教育を受ける側の幸福という視点がつねに必要です。
 牧口会長は、教育は“管理”ではなく“慈愛”であると断言しております。
 教育は、そこで学ぶ学生の未来だけではなく、人類の未来をも開く“慈愛”の聖業です。各分野の専門家にはそのような視点をもっていただきたい。

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