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日蓮大聖人・池田大作

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3 人類の誕生  

「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)

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5  自己意識の永遠なるものとの邂逅
 ブルジョ よくわかりました。
 要するに、人類の出現とともに新しく「出てきた」と思われるものは、人生に「意味をあたえる能力」です。しかも、そのようにしてあたえられた「意味」が、個人的に、さらに歴史をつくる社会として、人類の生命に印を残すだけにとどまらず、世界そのものの変化をも人類の生命に刻んでいくと思うのです。
 人間の生命は、人生を生きるうえでは最終的には個人の自由であるべきでしょうが、そのために生命をあたかも一つの鏡であるかのように見立て、そこに自己を映し出して見ることができる、と考えることもできるでしょう。この“実存的な投射”を通じて、人間が数世代にわたってもち続け、今後ももち続けると思われる直感力、欲望、勇猛心などに、新しい可能性が開けます。この数十年間に見られた科学・技術の進歩は、ほぼこのような視点に立っていると言えましょう。
 池田 私は、生物進化という背景を考えるとき、「自己意識」の発現には、悠久なる宇宙との関連における自己自身の位置づけという契機が必要であったのではないかと考えております。つまり、人間の意識が宇宙における自己の位置づけを自覚し、宇宙進化を推進しゆく「永遠なるもの」にふれたとき、内省的、反省的な「自己意識」の構造が可能になったのではないかと思うのです。それは、宇宙の側からの生物進化の場への「創発」であるとともに、人類進化の側から言えば、生物進化を通し、それを内在的に超越しての宇宙への帰還であり、「永遠なるもの」との邂逅であった、と言えるのではないでしょうか。
 人間の「生」と「死」、そのような「自己存在への反省」、そして実存的不安、恐怖も、有限なる自己と永遠なるものとの邂逅から生じた深層感情であり、私は、ここに宗教の原点を見いだし得るのではないかと考えております。
 仏法においては、人間の「自己意識」は「永遠なるもの」との邂逅から、この宇宙進化のなかに生を受けた深い「意味」を感受し、それを使命としゆくと説いています。この使命とは何か――あらゆる存在が、相互に関連しあいながら、創造的進化をおりなしている大宇宙の中で、他の人々に慈悲の行動をなしゆくことです。その自覚が、人生に意味をあたえ、「生」と「死」の深淵を超えゆくものではないでしょうか。

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