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日蓮大聖人・池田大作

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2 生物進化論をめぐって  

「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)

前後
5  生物はいかにして「主体性」をもったか
 ブルジョ この項の最後に、多少補足の説明をさせてください。
 池田 どうぞ、十分に論じてください。
 ブルジョ 私はこれまで一貫して、あえて物質と生命の連続性を強調してきました。また事実、生物学とくに分子生物学と遺伝学は長足の進歩を遂げて、この数十年間、生物がどのようにして無生物と同じ物理化学的法則に支配されているか、を明らかにしてきたと思っています。
 池田 私も、仏法の視座から、「非情」と「有情」の連続性を強調してきました。
 ブルジョ しかし、この生物と無生物間の連続性を強調しすぎると、アンドレ・ピショも言っているように、生命や生物を生物学の研究対象から奪い去ってしまう危険性がないとも限りません。
 非連続性についてはあらためて後で述べたいと思いますが、今指摘しておきたいことは、非生物と同じ物理化学的法則に生物はしたがっているけれども、生物はそれらの法則を生物なりのしかたで正確に守って生きており、統合して管理しているという点です。おそらく、異なる種類のさまざまな存在を生んでいった差別化を含めて、生命の進化の過程で生じた生物と非生物間の区別を一貫した理論のなかに位置づけるためには、生物がどのようにして“主体性”をもつようになっていったのか、また、やがて生物が中心となっていった環境とどのような“交流”が必要だったのか、を解明しなくてはならないことを知っておく必要があるでしょう。
 池田 私も博士に合わせて補足させてください。(笑い)
 仏法でも「非情」の存在から、やがて「有情」が登場するのですが、この「非情」と「有情」の連続性と非連続性を、次のように説いています。
 仏法では、「非情」も「有情」も、ともに五陰という五つの要素が仮に和合した存在であると説くのです。
 和合のしかたによって、色陰(物質的存在)が顕在化していて、他の四つの要素が潜在化している存在もあります。これが“非生物”です。
 ところが、生物進化のなかで、環境との連続的な相互関連を通して、色陰にはらまれていた受陰(外界への感受性・感情)や想陰(イメージを想い浮かべる作用)や行陰(この中には意思的作用も入ります)が徐々に顕在化してきます。動物は意思をもち、豊かな感受性をもっていますが、現今では、植物も感受性をもち、感情をもつとされています。
 そして、人類の誕生にともなって、識陰が「意識」として登場してきます。ここに、人間としての「主体性」が確立します。これは次節で話しあいましょう。
 ともあれ、このような理由から、私は、生物の“主体性”や、生物と環境との“交流”の解明を主張される博士の見解に、基本的に賛成です。

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