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日蓮大聖人・池田大作

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1 宗教と医療倫理  

「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)

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5  医師、看護人、患者の協力の大切さ
 池田 生命倫理の問題の一つは、医療の現場における人間関係をどのようなものにするかという点にあります。とくに医師と患者のあり方が、「上下」の関係から「平等」の存在へと変化してきました。患者も個人として、医師と「対等」であり、「パートナー」であり、責任を分担すべき存在であるという関係がめざされています。最近では、自己決定権やインフォームド・コンセント(知らされた上での同意)の重要性が指摘されるにいたっています。
 博士は、医療倫理の立場から、医療の現場における人間関係をどのように考えておられますか。
 ブルジョ 医師と患者の間の関係性は年代とともに変化してきました。ヒポクラテスの時代から、一九六四年、世界医師総会で採択されたヘルシンキ宣言、一九七五年の東京での宣言、さらに最近では国連のWHO(世界保健機関)の宣言にいたるまでの諸宣言を見ると、両者の関係のあり方には、いくつかの「典型」があることが容易にわかります。
 まず、医師を「父親的存在」のように見る関係です。これは、医師が聖職者や魔術師のような神秘的な力をもっていると考えられ、患者は医師の権威に疑いをもたず、盲目的に従うというものです。
 次に、医師を「専門家」「技術者」と見る関係があります。これは、人間をあたかも機械のようにとらえ、細分化された専門知識をもった医師が、冷徹に患者と対応する関係です。
 もう一つは、医師と患者が「パートナー」としてかかわる関係です。
 池田 前の二つの見方が「上下」の関係であるのに対して、これは「平等」の関係ですね。
 ブルジョ そうです。前にあげた二つの例で指摘した点を、あたかも写真のネガで見るように裏返したのがこの例です。これは新しい典型とも言えるもので、「相互合意的」モデルと言われるときもあります。私としては、相互の合意の上に成り立って、しかも生命のレベルで「相互に生かしあう」という意味合いを含めて、「パートナーシップ」モデルと呼ぶのが適切であろうかと考えます。「相互合意的」という以上、両者が平等な立場にあることが前提です。
 また、「相互に生かしあう」という言葉は、おたがいが根本的な問題にともにかかわりあう行為において、密接に力を合わせることを表現します。なぜかと言えば、生命を扱う医療は人類に共通の問題で、責任は両者にまたがっているという自覚に立つものでなくてはならないからです。
 池田 私も、医師と患者は、パートナーであり、病気の克服をめざして、責任を分担し、連帯していくべき存在であると考えています。
 ブルジョ この関係を別の言葉で言えば、会長が使われている「慈悲」に相当すると言えるかもしれません。
 専門的な医師としての立場とともに、パートナーとしての多角的で相互補完的で、意識的で配慮に満ちた行為が求められるのです。
 池田 私は、ここで、医師と看護人と患者のそれぞれの倫理として、仏法医学が説く「三者戒」を思い起こします。
 ブルジョ それは、どのようなものですか。
 池田 仏法医学では、医師と看護人と患者が、ともに協力しあい、学びあいながら、病気と闘うことによって、それぞれの人生を充実させることをめざしています。そのゆえに、三者それぞれに対して倫理性を要求するのです。
 まず、「医戒」ですが、仏法で理想とする医師像について、『大智度論』には、次のように記されています。「薬を服するは、病を除くを以て主と為し、貴賎大小を択ばざるが如し」(大正二十五巻)と。「大医」は、医術に熟達するのみならず、慈悲心に満ちて、決して病者の貧富、貴賎にとらわれてはいけないことが示されています。
 次に「看護人戒」ですが、「摩訶僧祇律」には「能く時々に病人の為に随順説法し、希望心なく、自業を惜まざる」(大正二十二巻)とあります。つまり、これは、慈悲の看護のあり方を示すものです。ここにいう「希望心」とは利得の心であり、利益を得るための看護には、慈悲心がなくなってしまうことを戒めているのです。
 さらに「患者戒」としては、「能く苦痛を忍び、精進にして慧ある」(同前)と、医師の知識、智慧とは次元を異にしますが、病人にも、“自身の病状をみずから察知する智慧”を求めるものです。
 これら三者の倫理を「和合」して説くところに、仏法医学の医療に対する倫理観が表れています。
 ブルジョ 医師と患者がパートナーの関係であるケースでは、患者が自身の生命に関して主体性をもちます。自分の生命の方向性を決め、そのために必要な選択をし、適切な手段を講じるのも、その患者自身ということになります。
 もちろん、相談相手はいます。医療専門家たちもその対象になりますが、病状の診断から治療方法の選択にいたるまでの全過程において、第三者の意見も大切になります。しかし、最終的に決定を下すのは、本人自身であることは当然です。

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