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日蓮大聖人・池田大作

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7 “理想の人生”について  

「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)

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2  もっとも生命を尊ぶ生き方
 ブルジョ 社会環境は、「心の自由」を助長する場合もあれば、圧迫する場合もあります。しかし、いかなる強制によっても、「心の自由」を服従させることは決してできません。
 池田 そうです。この言葉は、「世界人権宣言」二十周年を記念して、ユネスコが編纂した『語録人間の権利』にも収められています。
 どんな絶大な権力も精神までは縛れない。自由の叫びを抑えきれません。
 世界のさまざまな識者にこの言葉を紹介しておりますが、今、世界の多くの人々は、大聖人の生涯に「人類のための人権闘争」を見ています。
 この大聖人の戦いを継承し、民衆運動として現代に展開したのが創価学会の牧口初代会長であり、私の恩師である戸田二代会長でした。
 ブルジョ 学会の歴代会長が、戦時中の国家権力と戦いぬかれたことはよく存じております。
 池田 この二人は、国家権力によって戦時中、戦争遂行をもくろむ権力に抗したため、治安維持法違反と「不敬罪」という罪で投獄され、初代会長は秋霜の牢獄で獄死されました。
 それでも、初代会長は家族へのお手紙に「地獄に居ても安全です」(『牧口常三郎全集』第十巻)と、権力への抵抗をやめることはありませんでした。
 また、同じく獄中にあった戸田会長も、初代会長の遺志を受け継ぎ、戦後の焼け野原に一人立ち上がり、民衆のために尽くしてこられたのです。
 ブルジョ 生命はいちばん基本的な価値である、ということを口にする人はいくらでもいます。しかし大切なのは、どのように生きていくことが、もっとも生命を尊ぶ生き方になるのか、であると思います。
 ソクラテス、イエス・キリスト、ガンジー、マーチン・ルーサー・キングらは、自分の命よりも、生きる意義を重要視しました。そして、人々のために献身しました。それは、“殉教”と言ってよいものです。
 池田 宗教の根本精神は、“殉教”にあります。博士の言葉は、まさに至言です。感銘しました。
 日蓮大聖人は、「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり」と言われ、大宇宙を満たし尽くすほどの宝物でも命の価値にはおよばないとされ、生命の尊厳を徹底して説いています。
 そのうえで、“魚が捕られまいと深い池の底に住んだとしても、かえって餌に釣られてしまう”ように、“人間は命をもっとも惜しむがゆえに、低次元なことでわが身を滅ぼしてしまう”とも言われております。つまり、自身の生命を大切にするあまり、わが身の保身に重きを置くことで、欲望や権力にとらわれ、かえってみずからの命を奪うことにもなってしまう。その利己主義の愚かさの一面を指摘されています。
 ブルジョ よくわかる譬えです。
 池田 それでは、何を基準に生きていくことが、生命の尊厳につながっていくのかという問題になります。
 日蓮大聖人は「身命に過たる惜き者のなければ是を布施として仏法を習へば必仏となる」と述べられています。
 仏法でいう布施とは、法を根本として他者のために奉仕する行為をさします。他者の生命を守る闘いが、自他ともに生命の尊厳を輝かせる大道であると説かれているのです。
 他者の苦しみを救い、人々に尽くし、よりよい社会、よりよい世界のために尽くしていくという現実の行動こそが最高に尊いのです。
 その途上においては、当然、民衆を権力欲や支配欲によって抑圧しようとする勢力との軋轢が生じてきます。熾烈な権力の魔性との闘争のなかでは、生命が失われることがあるかもしれない。“殉教”です。しかし、世界の平和と公正さと人権のための命を賭した闘争のなかにこそ、人間としての本来の生き方があり、生命力が最高度に発現しゆく、理想的な健康体の輝きがあるのではないでしょうか。
 仏法では、このような人間の生き方を“菩薩道”としております。この章の冒頭で、紹介した維摩詰菩薩の生き方にも象徴されております。また、仏法では菩薩の“殉教”についても述べられております。
 ブルジョ それが創価学会の歴史と哲理ですね。
 池田 そのとおりです。

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