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日蓮大聖人・池田大作

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6 “心の病”とどう向きあうか  

「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)

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3  “心の病”に苦しむ人の人権をどう守るか
 ブルジョ あと若干、精神疾患について、考えていることを話していいでしょうか。
 池田 どうぞ、読者のためにも、十分に論を展開してください。
 ブルジョ 要するに、この数年間、医師や研究者がよく指摘していることなのですが、他の病気が社会的な地位を認められているのに対して、私たちは、精神疾患に、病気としてまだ十分な社会的地位をあたえていないということです。
 日本の状況はどうですか。
 池田 日本でも、まだ、“身体の病気”と比較して、“心の病気”についての認識は低いようです。
 ブルジョ たとえば、企業のトップが心臓を患ったときは、その人が懸命に働いたからそうなったんだというふうに人々は思います。むしろ、敬意を払われるのです。(笑い)
 池田 日本でも同じです。なにしろ、“エコノミック・アニマル”ですから。(笑い)
 ブルジョ 逆に、心の病にかかると、これは屈辱的な状態であるととらえられています。
 池田 残念ながら、日本人のなかにも、同じような風潮があります。
 ブルジョ 心の病に苦しむ人たちの権利を代弁する声もほとんどないのです。それに対する研究も割り当てられません。
 心臓病に対する奇跡的な治療方法のために莫大な金を注ぐのに対して、精神疾患に関しては、ほとんどの患者は社会的に犠牲になってしまうのです。
 池田 そもそも何によって、その人が精神疾患であると決められるのか、その基準は曖昧なように思えてなりませんが。
 ブルジョ おっしゃるとおりです。教育に関心をもつ者として、述べておきたいことがあります。それは「カメレオン効果」と言われる原理のことです。
 たとえば、ある学生のことを「頭がいい」と思う。そうすると、その学生は本当に優秀になる。教師の期待に応えるのです。
 池田 きわめて重要な教育心理学です。人間は決めつけてはいけません。仏法でも「一念三千」と説きます。すべて、こちらの一念で決まります。
 ブルジョ また、「健常な人」のイメージは、その社会、文明ごとに異なります。健康も、肉体的健康、精神的健康と両面ありますが、その社会における通常の状態、理想の状態の概念に合わない人が、「病気」とされるわけです。
 池田 そのとおりでしょう。正常と異常の基準は、あるようで明確でないと言えるかもしれません。
 ブルジョ 正常・異常について申し上げると、人間の通常の安定した状態が狂ってしまった場合、これまでは遺伝子工学によって、もとに戻せるとされてきました。しかし、それは不可能であるとする強力な議論が、近年、起こっています。つまり、これまで「異常」とされた状態も、本当は「正常」かもしれないと考えるのです。
 「正常」と「異常」の定義は、科学的にも、社会的にも、変わってきました。これは北米の場合ですが、ヨーロッパ諸国も同じだと思います。
 池田 仏法でも、十界互具と言って、善の生命にも悪が、悪の生命にも善がそなわる実相を説いています。
 ブルジョ 人間の精神は、まだ科学的に解明されていません。研究が進めば、心の病を治す手だても見つかるでしょう。
 池田 多くの人に希望をあたえる言葉です。
 ともあれ、病気による社会的差別、経済的差別をなくしていかねばなりません。高齢者や障がい者、ハンディキャップをもった人、あるいは人種的少数者や社会的弱者、女性や子どもたち、そして、“身体の病”とともに“心の病”に苦しむ人々の人権が、公正に守られる社会をつくっていかなければなりません。
 そのような人権社会の創出こそ、現代社会の方向性でなければなりません。
 ブルジョ 今後、心の病気をもった人々の権利やそれらの人々が社会でどう扱われていくかの問題は、おそらく生命倫理のきわめて重要な分野になっていくことは間違いないと思います。

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