Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

3 環境との調和  

「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)

前後
5  「持続的開発」のための“環境倫理”
 池田 日本でも、環境問題への意識は少しずつですが高まってきています。とくに、ゴミ処理から排出される化学物質による人体の影響については、深く興味がもたれており、ある調査によると、「環境ホルモン」という言葉を八割の人が知っているという結果が出ました。このほかにも、一九九七年、京都で「『気候変動枠組み条約』第三回締約国会議」が開かれたこともあって、二酸化炭素の排出規制の問題などグローバルな話題にも、意識が高まりつつあります。これなども、メディアが取り上げた影響が大きいのでしょう。
 ところで、現今、国連をはじめ、多くの環境関係者の間でのキーワードとして“持続的開発”があげられておりますね。
 ブルジョ 一九八七年、ノルウェーのブルントラント首相が主宰する「環境と開発に関する世界委員会」が、国連総会に対して『われら共有の未来』という、まさに当を得た題名の報告書を提出しました。開発の支援者と環境保護を支援する人たちとの間の調停を試みた報告者は、総体的な、全地球的な視野に立った“妥協案”として「持続的開発」という概念を提案しました。これは、一九七二年のストックホルムで開かれた国連人間環境会議で出された『たった一つの地球(WeOnly*Have*Earth)』(バーバラ・ウォードとルネ・デュボスの共著、一九七二年)に出てくるもので、とくに目新しいものではありませんでした。地球の有限な資源を使いきってしまわないように、つねに再生が可能なように用いていくべきであるという指摘です。いずれにせよ、ブルントラント委員会は、このような指向性を広める役割を担うことになったわけです。
 その役割には現世代と次世代の人たちが連帯して公平に等しくその義務を果たしていく必要があることをはっきりと訴えること、現在、武器に投資されている金額(年間十億ドル以上)を「持続的開発」のために転用することを提案することで、固い決意でそれを実行すれば、目的の実現が可能であることを明示することが含まれていて、さらに開発の要望と環境の質の保護を「持続的に」調和させる以外に、未来は開けないことを強く訴えて、それが国々と次世代間の連帯によってのみ可能であることを強調することでした。
 池田 「持続的開発」のための人間自身の変革の機軸となる“環境倫理”について、私は次のように考えております。
 まず第一に、“環境倫理”の大前提として、“生命の尊厳”の理念から、非暴力・平和の倫理を実践することです。非暴力の世界を創出する努力のなかから、戦争や武器に投入している巨大な資金を環境保全にまわすことが可能になります。
 そのうえで第二に、あくまでも地球環境とは「有限」なもので、その「有限」な環境のもとで生きていくための倫理が必要になると思います。先進諸国に見られるような貪欲に突き動かされた「浪費型」のライフスタイルを、欲望をコントロールする生き方へと転換していくことです。
 第三には、現在生きている人間のことだけではなく、将来の世代を含めた行動を考える倫理でなくてはならないことです。たとえば、経済そのもののあり方も、「循環型経済」へと組み替えなければ、将来の世代までも含めた環境保全とはなりません。
 ブルジョ 「持続可能な開発」の実践は、どのような倫理に基づくべきでしょうか。
 まず、われわれの視点と行動様式の大転換が要求されます。現実の一時点だけの断面や傾向性をとらえるこれまでの思考形式をやめて、ものごとを体系的にとらえるようにすべきです。それぞれの仕事や責任の差異を尊重しつつ、その上で連帯的行動をとることを学ばなくてはなりません。
 池田 どのような立場の異なる人たちとも、グローバルな視点で連帯するというのは、私たちSGIのめざすべき姿でもあります。
 ブルジョ 断面的な切り口で思考することで、科学は進歩してきましたが、これから先は、現実の複雑な様相を把握する思考方法が要求されます。そうしてこそ、将来の科学の進歩も約束されます。
 先ほど、会長が指摘されたように、資源の限界をわきまえる必要があります。生態系を損なわないように、資源の利用を限ることです。そのためには、熟慮熟考を重ねたうえで、利用できる資源の限度を明確に定めることです。
 われわれの選択は、他の生物や環境や自然との「共生」しかありません。各自が異なる責任を分担し、協力して相乗効果を実現できるのがわれわれの世界です。
 池田 他の生物との“共生”から四番目の環境倫理として、人間だけではなく、動植物などの生き物の“生存権”を認めるような倫理が大切になってきます。
 そして、人間と環境との「共生」を説く哲学・思想を自己自身のものとする環境教育が、必要となってくるのではないかと思います。
 ブルジョ 「環境教育」はわれわれにとって共通の関心事であります。責任感を倫理の次元に昇華させるのは教育の仕事であり、それを実現しなければ「責任をもって」現代を次代へと橋渡しすることはできません。
 この点については、会長にも、ご同意いただけるものと確信しています。技術開発の抑制は、短期的にも長期的にも、倫理を別にして考えることはできませんし、教育から切り離して論じることもできません。

1
5