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日蓮大聖人・池田大作

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対談にあたって  

「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)

前後
2  「わかりやすく」「女性中心の議論」を
 ブルジョ 私が感銘を深くしているのは、グローバルな諸問題を提起し、そのための解決をもたらそうとするSGIの広範囲な活動です。SGI会長および同会の皆様は強い使命感から行動を起こされていて、問題がいかに困難なものであろうと、そのための議論や行動を避けたり、先送りしようとはされません。
 池田 温かなご理解をいただき、恐縮です。さらなる行動への励ましと受けとめます。
 私が対談したトインビー博士は、いみじくも、こう語っております。
 「二十世紀は、どんな時代であったと記憶されるだろうか。それは『政治的な抗争の時代』とか『技術的な発明の時代』としてではないだろう。二十世紀は『人類社会が“全人類の健康”を実際的な目標と考えるようになった時代』として記憶されるにちがいない」と。
 今、ますます時代の焦点は「健康」です。「健康」と「人生」「生命」についての社会的関心は、きわめて高い。
 その背景には、平和が進展したこともあるでしょう。また、ストレスの増大などで、健康への不安が大きくなっている現実もあるかもしれません。
 こうしたなか、「健康」を多くの人が論じています。なかには、健康ブームを利用する営利主義や、きわめて非科学的な議論もあるようです。
 私は、今必要なのは、独りよがりではない科学的な立場から、また深い哲学をもつ根本的立場からの「健康観」の確立であり、それを万人にわかりやすく説くことだと思います。
 ブルジョ 賛成です。私は、人間にとってもっとも大切なのは、「生命とは何か?死とは何か?」という問題であると思っています。
 しかし、北米でもヨーロッパでも、生命倫理の議論はこれらの重要な問題を避け、特殊で専門的な事柄に焦点を当てる傾向があります。
 池田 二十一世紀を「健康の世紀」としゆくために、民衆が賢明にならなければなりません。そのために、私は貢献したいのです。
 だからこそ、一般の人々に理解されることが大事です。論文はなかなか読まれません。ゆえに、わかりやすく対話をまとめた対談集を、私は発刊してきました。
 ソクラテスも対話です。釈尊も、私の信奉する日蓮大聖人も対話でした。その伝統にのっとり、また時代相を考えながら、私は多くの世界の知性と対話を進めてきました。
 ブルジョ 会長の「脳死」に関する論文の初めに、“一般の人々も脳死をめぐる議論に参加し、問題への理解を深めるべきである”との一節がありました。
 生死の問題は、人間であるかぎり、すべての人々がかかわってきます。ゆえに、私もわかりやすい対談形式に心から賛同します。
 池田 さらに私は、この対談では、できるかぎり女性を中心に、女性に配慮した対話を心がけていきたいと思っています。
 二十一世紀は間違いなく「女性の時代」です。女性の方々が喜んでくださるような内容にしたいと願っています。
 ブルジョ 私も、生命倫理学のかかえる課題をはじめ、多くのグローバルな課題を、いつも男性が話しあってきたことに問題があるのではないか、と思います。ですから、会長の「女性中心の議論を」とのお考えは、まったく正しいと思います。
 「生死」の問題についても、女性の独特の観点があります。また一般的に、男性はどうしても権力志向の考え方にとらわれがちです。女性のほうが、「生」ときちんと向きあい、その発展をうながす傾向があります。
 池田 真剣に耳をかたむけなければならないご意見です。全面的に賛同します。
 ブルジョ 博士は、「良質の人間生活」を得るために、「女性の力」に注目されていますね。博士は、「女性の力は、『支配』よりも『交流』と『理解』を通じて、世界と人々を結びつけている」と述べられています。また、「女性運動は、女性に対するのと同様に、男性に対しても希望をあたえる」とも。すばらしい言葉です。
 シマー わがモントリオール大学の医学部でも、苦しい勉強を最後まで貫く学生の多くが、女性です。がんばりぬいて卒業を勝ち取るのも、女性が多い。むずかしい仕事につく割合も、女性が高いのです。
 医師も女性がふえています。カナダでは、もし、現在の入学傾向がこのまま続くと、最終的には医師の六五パーセントが女性になるでしょう。男性よりコミュニケーションが上手な女性医師が多くなれば、患者と医師の関係も、もっとスムーズになっていくと思います。
3  シマー“文学から医学へ変えた理由”
 池田 大切な視点です。
 それでは、具体的な進め方としては、第一章「ガンとエイズ」についてはシマー博士を中心に、また第二章「健康と調和」、第三章「生命倫理の課題」、第四章「生命の進化と人類の誕生」についてはブルジョ博士と、そして最後の第五章「生命の世紀の黎明」では、ふたたびシマー博士にも登場していただき、語りあっていきたいと思います。
 そこで本格的な対談を始めるにあたり、最初に私がインタビュアーとなり、読者のために、両先生の個人的な事柄について、何点かうかがっていきたいと思います。
 まずシマー博士におうかがいしますが、博士は、どのような幼年時代を過ごされましたか。
 シマー 私は、カナダのモントリオールで生まれ育ちました。大家族の末っ子です。両親は教育の重要性を信じ、子どもたち全員に大学教育を受けさせました。それで私は幼いころから、ギリシャやラテンの人文系学問を中心とした、豊かな文化的環境の恩恵に浴することができました。
 池田 博士はモントリオール大学時代に、文学から医学へと進路を転換され、医学博士の学位を取得されています。その後、病理学や細胞生物学、腫瘍学の分野において輝かしい業績をあげられました。博士がこうした分野に進まれたきっかけは何だったのでしょうか。
 シマー 病人に対する共感が強かったために、私は医学を学びました。しかし病気の原因についての医学の回答に満足できず、病理学を専攻することにし
 ました。ある病気が進む過程で、診断を決定するのが病理学者であることがその理由でした。
 ところが、このような診断がきわめて価値のあるものであることに疑問の余地はありませんが、診断が生物形態学と過去の経験の蓄積に基づく判断基準にのみ依存していることを、まもなく知りました。そこで最終的には、当時学問として急速に範疇を広げていた、細胞生物学と遺伝学の分野で研究生活を送る道を選択しました。
 池田 なるほど。博士は、モントリオール大学を終えた後、ニューヨークそしてパリで学究生活を送られましたね。
 シマー カナダを発ったのは、一九六二年、二十七歳のときでした。ニューヨーク市のマウント・サイナイ病院と医学校で、実習生として訓練を受けるためです。
 マウント・サイナイ病院は、医師の教育という点にかけては、米国でも屈指の病院であると評価されていました。また、病理学部は故ハンス・ポッパー博士の指導の下に、きわめて活発な研究活動を行っていることで知られていました。おかげで私は、細胞分裂の調節についての研究プロジェクトを進めながら、病理学の訓練を修了することができました。
 当時のニューヨークは、新進の文化を意欲的に吸収しようとしている人たちに、十分に応えられるだけの環境をそなえていました。それに深く感動したことを覚えています。
 ニューヨーク。それは私の心の中で今でも光彩を失っていません。
 池田 詩的なお言葉ですね。ニューヨークの輝きとともに、若き学究の徒であった博士も輝いていたのでしょう。パリはどうでしたか。
 シマー 三年後の一九六五年に、ウィレム・ベルナール博士の下で研究に専念するために、フランスのパリに移りました。
 ベルナール博士は当代一流の科学者としてガンの研究で有名で、今日、エイズや白血病の発生の原因として知られているレトロウイルスを最初に解明した生物学者の一人です。博士はまた、日常生活をいかに有意義に生きるかについて、豊かな経験を積んだ哲学者でもありました。
 当時のパリは、一九六五年にジャック・モノー、フランソワ・ジャコブとアンドレ・ルウォフにノーベル賞が授与されたこともあって、あたかも細胞生物学研究のメッカといった観がありました。私は幸いにもこれら先達の講義に出席し、何度か個人的にお会いする機会をもつこともできました。
 池田 モノーの『偶然と必然』は日本でも翻訳され、たいへんな反響を呼びました。私も興味深く読みました。ところで、博士が学長を務めておられるモントリオール大学について、モットーや特色などをお聞かせください。
 シマー モントリオール大学のモットーは、ラテン語で「世界をあまねく科学と真実の光で照らそう」です。科学者にとってきわめて刺激的な言葉ではないでしょうか。新知識の開拓と大学院生に対する厳格な訓練の実施が本学の最優先事項であると、一九九〇年代の初めに採用された本学の使命を明確にした文章の中で定められています。
 本学の教授は、自分の専門分野の研究に精励して先端をきわめ、授業がその具体的成果の表れでなくてはならないと、要請されています。本学では毎年約三百名の博士号取得者が誕生し、二千名以上の学生に修士号が与えられます。十三の学部、二つの姉妹校のほか、講座や研究センター、あるいは学際的な研究グループが約百二十あります。
 研究資金としては年間二億カナダドルの寄付があり、その意味で本学は、モントリオール、ケベック、カナダの経済的発展に大きく貢献しています。そのうち約四分の一が民間企業からの委託研究や共同事業のために使われています。
 私はモントリオール大学の学長を務められることを光栄に思っています。本学を人類のために「世界をあまねく科学と真実の光で照らす」大学にすることが私にあたえられた使命であると信じ、それが達成できることだけを一途に念願しています。
4  人生の師との出会いは、最高の幸福
 池田 博士は、栄光あるモントリオール大学の学長として、不滅の聖業に尽くされました。使命に生きゆく人生は偉大です。
 博士がもっとも尊敬する人物はだれでしょうか。
 シマー 私はこれまでに、世界的に有名な大学教授や科学者に、数多く会う機会に恵まれました。しかし、そのなかから、私が深く影響を受け、限りなく尊敬している人物を一人だけあげるとすれば、それはウィレム・ベルナール博士です。
 池田 博士が、パリに移って師事した大研究者ですね。今日、エイズや白血病の原因として知られるレトロウイルスの解明にたずさわった方だと、先ほどうかがいましたが。
 シマー そのとおりです。ベルナール博士はガンの原因として、ウイルス説を擁護する立場をとっておられましたので、博士はガン細胞やガンに感染した細胞の中のウイルスの活動を探し出し、解明しよう
 としました。私が科学的方法論を身につけた場所は、博士の実験室でしたし、細胞核の構造と機能に関する私の初期の研究もそこで進められました。
 ベルナール博士は情熱の人です。研究に対する情熱、他人に対する情熱、芸術に対する情熱、草花に対する情熱……それらの情熱を博士は同時進行的に燃やしながら、かといって自分で独り占めはしませんでした。
 周りの人々は、だれもが博士の熱っぽい口調に感化され、いつしか彼と同じく情熱的になってしまうのです。あの感動的な声と、人を魅了するまなざしで博士が話すとき、皆、心を動かされずにはいられませんでした。
 池田 仏法では、人生の師にめぐり会い、師の心をわが心として、師の構想を受け継ぎ実現していく人生こそ、最高の幸福条件とされます。
 博士も、すばらしい人生の師にめぐり会われたのですね。
 シマー ベルナール博士は優れた科学者だっただけではありません。深い教養をそなえた、人類愛あふれる「ユマニスト(人道主義者)」でした。博士は一生を通じて、「世界市民(コスモポリタン)」へと向かう軌跡を歩んだと言えるでしょう。自己の人生を振り返って、博士はこう語っています。「私は多言語環境のスイスに生まれた。パリに深く根を下ろしてフランス人として長年生きてきた。今、私はヨーロッパ人として考え、世界市民として夢を見る」と。
 池田 「世界市民」としての夢の実現――。私の恩師である戸田城聖第二代会長も「地球民族主義」を唱えました。「人類共同体」をめざし、地球上の人々が「世界市民」として生きゆく夢を、私ども青年に託されました。私の人生はその“夢”の現実化にあると思っています。
 シマー すばらしいことです。
 先ほど、私は「他人に対する情熱」と言いましたね。「他人とのふれあい」がいかにベルナール博士にとって大切だったかを、私がいちばん強く理解したのは、博士の実験室においてです。
 博士は三十年以上もの長きにわたり、世界各国からやってきた共同研究者や研修生の一人一人に対して、自分の知識を惜しげもなく提供しました。博士にとっては、自分が新知識を得ることと同じくらい、得た知識を他の研究者に伝えていくことが大切だったのです。その意味で、ベルナール博士は優れた科学者であり、また偉大な教師でした。
 池田 まさしく仏法の“慈悲”に通じる姿です。偉大なる人格は、いかなる環境にあり、苦難にあっても、他者への愛、人類への無限の愛に人生をささげるものです。
 マハトマ・ガンジーやタゴールしかり、また、牧口常三郎初代会長、戸田第二代会長の人生も、人類愛に貫かれていました。
 同様に、博士の師であるベルナール博士のような崇高な人格こそが、ヒューマニティーに輝く“真実の健康体”と言えるのではないでしょうか。
 仏法ではこのような人格を「菩薩」と呼びます。他者への奉仕に生きた人生に、もはや人生最大の苦悩である「死苦」への不安、おびえはないでしょう。満足感と歓びさえ感じていたのではないでしょうか。
 シマー そのとおりです。ベルナール博士の思想は、その墓碑銘にもっとも端的に表れています。フランスの作家エルネスト・ルナンの言葉ですが、生前
 これを墓碑銘に選んだのは博士自身でした。
 「すべては人生の総決算にある。他はどうでもいい。全智全霊と行動をもってもっとも情熱的に愛した者、彼こそもっとも多くを生きた者だ」
 池田 至言です。日蓮大聖人も「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と説いています。人は生きたようにしか死ねないと言いますが、人生のすべての様相は「総決算の時」に集約的に表れます。
 さらに、仏法では、生命の境涯は死を超えても続くと説いております。それゆえにこそ、人生の最終章が大切なのです。
 全魂をかたむけて他者を慈愛し、人類愛に情熱を燃やす道――仏法でいう菩薩道ですが、その輝く黄金の人生にこそ、最高の“健康道”と“長寿法”が開示されてくるのではないでしょうか。
5  “詩心”は人間と自然と宇宙をつなぐ
 池田 では、次に、ブルジョ博士に、若干、質問をさせていただきたいと思います。ブルジョ博士もモントリオールのお生まれですね。
 ブルジョ ええ。私はモントリオールで生まれ、これまでの人生の大部分を都会で過ごしました。いわば都会生活が骨の髄まで染みついていると言えるかもしれません。
 その一方で、海や湖、あるいは河川や田園地帯や森も好きです。静かな海、あるいは荒れ狂う海を眺め、木々をわたる風の音に耳をかたむけ、森のこだまを聴くのが好きで、そのようにして何時間も過ごすことがあります。
 その後で都会の喧騒、ざわめく人込みのなかに戻ってくると、やはりそこが自分にとってもっともふさわしい生活の場であるように思えます。
 池田 詩的な表現のなかに、自然を愛し、そして人間のなかへ飛び込んでいかれる博士の誠実なお人柄がうかがえます。
 ブルジョ 私はたぶん、文学の人間ではないかというふうに感じています。もともと、戯曲にしても、小説にしても、何でも読むという文学少年でした。
 後に哲学、神学を勉強して、現在では倫理学、教育学を教えるようになりましたが、しかし、私の根底には文学があるのです。それは『聖書』であり、またギリシャの詩であったり、フランス文学であったり……。
 学生にも笑われるのですが、私は科学というよりも、たとえば、映画にこういうのがあったとか、こういう文学があったとか、たんに、堅い科学的なものだけでなく、文学的なものや芸術的なものに、私が論拠やいくつかの参考資料を探すことを学生が非常におもしろがるのです。
 文学は複雑性、曖昧性、また矛盾というものに対する理解をうながすものだと思います。科学は、複雑に絡みあっている現実から切り離された一つの現象だけをとらえるのです。
 池田 文学や詩は、現実の「全体」を「直観知」で、ありのままに描き出そうとします。一方、科学は、現実を分析し、その「部分」の要素とか、関係性を「分析知」でとらえていきます。
 人類にとって、文学や詩、哲学、宗教も、また科学も、ともに貴重な精神的遺産ですが、私もどちらかと言えば、詩や文学に深い魅力を感じています。
 ブルジョ 会長の著書は何冊か読ませていただきました。それと詩も、何編か拝見させていただきました。会長がそうした作品を通して、他者と分かちあうことの大切さや、私たちは自然界の中に属しており、その一部であること、あるいは、私たちを取り巻く「環境」の中に存在しているのだということを、さまざまな経験をふまえて語っていらっしゃることがわかります。
 池田 人間界であれ、自然界であれ、単独で存在するものはありません。たがいに関係しあい、依存しあいながら一つのコスモス(宇宙)を形成しています。文学や詩は、人間と自然と宇宙をつなぎ、融合し、分断された“魂”を癒す働きをもっています。
 “詩心”は、そうした万物一体の宇宙の広がりの中にある自分を感じさせてくれるものではないでしょうか。
 さて、博士は大学卒業後、カトリックの聖職の道を歩まれました。そして二十年後、教会から離れ、今日まで第一線の研究家として倫理学、とくに生命倫理の問題に取り組まれていますね。
 ブルジョ 私が聖職を離れた理由は、それに入った理由と同じでした。それは、自由と不服従という価値のため、また、より他者とかかわるためです。専門分野としては、倫理と教育に関する諸問題に、社会的、政治的次元から光を当ててみることに興味があります。
 倫理と教育の二つを研究テーマとしていますが、教育とは根本的には倫理を教えることであり、倫理観は教育によってつちかわれると思っています。教育は他人より優越するために受けるものではありません。われわれは人を教育するのではなく、自分もともに学ぶのです。
 池田 現代の教育がかかえる問題の急所をついた言葉です。そのとおりと私も考えます。
 博士は、かつて「良質の人間生活」を得るための方法について、論文で言及されたことがありますね。「人生いかに生くべきか」……これは、だれびとにとっても大切な問題です。
 ブルジョ 人生とは、それについて考察したり、その意義を省察する前に、まず生きなければならない現実です。未知のものに挑戦し、新しい知識に向かって前進するところに人生そのものを感じますし、期待というか、絶えざる緊張をおぼえます。
 また、地平線は近寄れば近寄るほど遠のいていきます。それを生きるのが人生であり、決して手の届かない地平をどこまでも追い求めていく以外に人生の意味や目的があるとは思えません。
 池田 なるほど。博士の人生に向かう姿勢がよくわかります。
 ブルジョ 人生をすばらしいと思うか、それとも、人生をあまりにも不条理に満ち、ときには絶望であると思うか。
 他者との絆は蜘蛛の巣のように交錯して織りなされ、そこからさまざまな出会い、交流が生まれます。そのなかでこそ、人は苦闘することにさえ歓喜を見いだすことができるのです。
6  二人の恩師とすばらしい善友
 池田 味わい深い言葉です。
 シマー 博士にもうかがいましたが、人生で大きな影響を受けた人物はいますか。
 ブルジョ 大学時代の恩師の一人に、文学部のジュリアン・ラピエア教授
 がおります。教授の人格、また文学に対するアプローチにはたいへん感動しました。
 一つの出来事をよく思い出します。教授はある日、詩を詠んでくれました。心服するようなみごとな力強い朗読をしてくださった。そういう先生だったのです。
 私は、その詩を分析し、解説することになっていたのですが、読み終えた教授は、私が批評することを拒みました。あまりにもすばらしい詩で、解説して、かえって損なうようなことが絶対にあってはいけない、と言って……。
 その瞬間に、私は、この世には、科学的な方法や分析では把握できないもの、そのまま全体として理解し受け入れなければならないものがあることに気づいたのです。
 池田 興味深いエピソードです。恩師は、「詩」と「科学」との根本的な相違を、博士に“体得”してもらおうとしたのですね。
 ブルジョ ラピエア教授はグローバルな観点でものごとを広くとらえる人物でした。私にとって、つねに自分もあのようになりたいと憧れる対象であり、目標にした人でした。教授は心も視野も非常に広く、それでいて自分の考え方には過酷なまでに厳密で、首尾一貫していたからです。
 池田 博士も、シマー博士と同じように、かけがえのない偉大な「師」に会われていますね。
 人生の目標にできる「師」に会うことほど、最高の喜びはありません。
 ブルジョ 私には、もう一人恩師がいます。私が十七歳のころ出会ったクロード・ラベル教授です。おそらく、教授はそのころ、まだ三十歳くらいだった
 と思います。
 私にとって何よりも印象深かったのは、教授が私たちのことを非常に注意深く見てくれていたことで、彼の下に集まった学生一人一人に対して、力になってあげようとする姿勢にあふれていました。
 ラベル教授からは、それが自分たちが取り組んでいる事柄であれ、または周りの人々であれ、それらに対し、つねに注意力を高く保つことがいかに重要かを学びました。何ごとに対しても衰えることがなかった注意力の高さは、彼個人にとどまらず、授業を受けた学生たちにも受け継がれていると思います。
 とにかく、この二人は、私にとってかけがえのない恩師であり、それぞれから違った面で影響を大きく受けました。ある意味で言えば、この二人から影響を受けたからこそ、教壇に立っている今の自分がいるのだと思います。
 池田 釈尊は次のように説いています。
 「偉大な師に出会うことのできない人は多いが、偉大な師に出会う人は少ない。偉大な師の説かれた教えを聞かない人は多いが、教えを聞く人は少ない。教えを聞いて、それを実行しない人は多いが、教えを聞いて、それを実行する人は少ない」(「アングッタラ・ニカーヤ」)
 師の教えを聞く幸運にめぐり合っても、師の心を弟子として実践しなければ、それは、聞いたことにはなりません。弟子に、師への「感謝」と「報恩」の心があってこそ、師の一言一句を、実行に移せるのです。
 博士は、かけがえのない二人の恩師に出会い、その教えを弟子として実行されている。希有のことです。博士の深い見識の源泉がよくわかりました。
 ブルジョ ありがとうございます。さらに私が、影響を受けた友人の一人に、レオ・コーミエ氏がいます。ケベック市民人権連盟会長を務めた人です。
 コーミエ氏は、教育者ではなく、ソーシャル・ワーカー(社会福祉に従事する人)で、若いころにはたいへん苦労された方です。また、彼は厳密には文学者ではありませんでしたが、非常に文学的な人でもありました。
 彼の勉強のしかたというのは、いわゆる学校での勉強や本を読んで学ぶといった伝統的手法ではなく、主に人の話をよく聞いたり、実生活のなかでさまざまな事柄に関心をもって鋭く観察することでした。彼は、そういう方法で知識を高めてこられた非常に頭のよい方です。彼の知性は、言うなれば、現実性に富んだ知性なのです。
 池田 博士は、二人の恩師のほかに、すばらしい善友にも恵まれたのですね。
 コーミエ氏は現実生活のなかで知恵を体得していかれた。それこそ、まさしく“生きた知恵”です。苦悩と対決し、現場で磨きあげられた観察眼ほど、本質を見抜く確たる知恵はありません。
 博士とコーミエ氏の友情について、もう少し語っていただけますか。
 ブルジョ 私が彼と出会ったのは、人権連盟の会合でした。私が彼に魅了されたのは、理論的な考え方と現実的な考え方の双方を組み入れた、まったく新しい枠組みでものごとをとらえて、独自の意見を構築することができた点です。
 私たちは、よく話しあう機会をつくりました。そして、おたがいの違いも認めあえる間柄になりました。私は幸運にも、彼のような非常に現実的な物の考え方ができ、実践的な知識を備えた人と関係を深
 める機会にも恵まれたのです。
 池田 たがいの違いを認め尊重しあっていく、相手の良いところを謙虚に学んでいく……それでこそ真の友情です。
 ブルジョ この対談を通して、重要な諸問題に関する会長のお考えを知り、一つの仏教的伝統のなかから、今の時代のために何を汲み取ることができるかを学ぶ機会をもてることはうれしいことです。
 シマー ところで、会長は写真や映像で見るよりもずっとお若く見えます。どうすれば、そのような若さが保てるのでしょうか。私のほうが本当は、七歳若いはずなのですが。(笑い)
 池田 いえいえ、シマー博士のほうこそ、はつらつと活躍しておられます。
 仏法では、「連持色心」と説きます。肉体(色法)と精神(心法)が一体である生命が、永遠に連続していく姿を言います。心身が調和しつつ働き、自己の生命の向上へ、充実へと回転していく。それが人生の一つの理想です。
 ともあれ、体の健康は当然として、心と頭脳の健康、社会の健康が大事です。
 「すばらしい価値ある人生とは何か」「幸福の条件である『健康』な人生は、どうすればつくれるのか」「最高に悔いなき人生を送るために、医学は何を教えてくれるのか。仏法の英知は何を教えてくれるのか」
 語りあいましょう!人類のために! 二十一世紀のために!

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