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“宇宙に具わる宗教的なるもの”への洞察…  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  アタイデ 一九二五年、アインシュタイン博士がリオデジャネイロを訪れたとき、アシス・シャトーブリアン氏とアゼヴェド・アマラウ教授の招きによる昼食会で、彼と会う機会を得ました。私たち三人は、深く敬意を表しながら、彼の話を聞きました。
 科学の話をするにはあまり適当な場ではなかったので、それについての話はありませんでした。楽しい話から、芸術やブラジル人の特徴についても話しました。博士は、ブラジルでは種々の人種が平和に共存していることに、深く感銘しているようすでした。
 また、ブラジルには、ユダヤ人に対する差別をはじめ、人種・民族間の差別がないとみていました。
 私たちは、彼の正確な見解に納得するとともに、それは寛容にもとづく教育によって形成された民衆の特質であると付け加えました。
 池田 アインシュタインの南米訪問から数年後、ナチスが政権につき、ユダヤ人の迫害を開始しています。彼の親族からも犠牲者が出ています。彼自身、別荘が家宅捜索されるという事件がありました。そのときの声明は世界の良心ある人々に感動を与えました。
 「今後、私に選択が許されるなら、市民の自由、寛容、市民の平等が法の前に存在する国にのみ、私は住むことになるでしょう……しかし国際的な精神の持ち主にとっては、特定の国籍は問題ではありません。人間性のほうが国籍よりも大切です」――。
 アインシュタインは、“世界精神”をもった“世界市民”として、人間性を守ることに最大の価値をおいていました。国籍を超えて人間らしく生きられる社会こそ、最も大切であると訴えました。二十一世紀の“世界市民の人権”について考えるうえで示唆深い言葉です。
 アタイデ 一九五二年に、私は、ニューヨークでふたたびアインシュタイン博士に会いました。そのとき、博士は、宇宙の問題に対して最終的な結論に達したとは思っていないようでした。ただひとつの仮説を提示しているだけであると語っていました。博士は、プトレマイオス、コペルニクス、ティコ・ブラーエ、ガリレオ、ケプラー、ニュートンにつづく人でした。博士はこういっていました。
 “彼ら一人一人は、絶対確実な解釈に偏るのではなく、理解を一歩一歩進展させ、時の経過と新しい技術の発展とともに、自身の考え方を変化させていったのです。私たちは絶対確実なドグマの提示者ではないのですから”と。
 池田 初めてアタイデ総裁がアインシュタインに会った一九二五年ころといえば、「一般相対性理論」がいかなる意味をもつのかが探究されていた時期です。この理論が提示する宇宙とはどのようなものか、アインシュタイン自身も思索を重ねていたようすがうかがえます。
 また、共同研究を行ったことがあるパウリは、アインシュタインの晩年について、どこまでも統一的な理論を追究していたこと、そして「今度こそ最終的な解答だ」と、つねに挑戦しつづけていたことに言及しています。
 アインシュタインが見つめつづけた大宇宙は雄大であり、神秘に満ちています。仏法では、人間の存在もまた、宇宙の不可思議な力の現れと説きます。
 戸田会長は「十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり」(「当体義抄」)との仏法の法理にもとづき、「この宇宙はみな仏の実体であって、宇宙の万象ことごとく慈悲の行業である」と喝破していました。また、「慈悲は宇宙の本然のすがたである」とも述べていました。つまり、大宇宙の働きそのものが、「妙法蓮華経」という根源の法の顕在化であり、それは慈悲の行業に輝きわたっているとの洞察でありました。アインシュタインが科学的知性の究極において把握しようとした“宇宙普遍の法”を、仏法の眼は、無限の“慈悲”の脈動ととらえていたわけです。
 アタイデ 私は、宗教は真実を求める人間の智慧の具現であると思っています。宇宙の構造は、二十一世紀において、宗教の偉大なる哲学的概念による悟りによって示されるでしょう。
 池田 この地球から宇宙空間へ飛び立った宇宙飛行士たちの多くは、地球を眺めてその美しさ、その神秘さに心うたれたことを語っています。彼らは、多くの星ぼしがあるなかで、この地球が生命を育み、人類を生みだしたことに、大きな意味を見いだしていました。宇宙に具わる尊厳性への畏敬の念から、そこに“宗教的なるもの”を感じとったのです。私が対談したスカイラブ三号のカー船長は、宇宙におけるすべての事象が調和と秩序につらぬかれていることを直観したと語っていました。
 私たち人類は、今“宇宙に具わる宗教的なるもの”を見つめていくべき時代に入っているように思います。広大な宇宙に浮かぶ生命のオアシス・地球に生きることの尊さを、深く実感していかねばなりません。
 アタイデ 信仰にもとづく息吹は、平和と秩序と正義を拡大していきます。またそれは、すべての人々に模範を示すものです。
 共同して生きること、対立する者との共生を受け入れること、理解しあうこと――これによって人類は、「世界人権宣言」によって示された偉大なる共同体へと到達できるのです。
 池田 「第三世代の人権」では、一人の人間の自己実現・幸福の権利が焦点となっています。その基盤として、国家の枠を超えて、地球という規模で思考することが求められています。
 こうした広がりを見るとき、「人権」思想の人類史的潮流は、やがて来たる二十一世紀に、地球からさらに大宇宙へと広がりゆくことでしょう。そのときにこそ、宇宙自体に具わる“宗教的なるもの”に、究極の尊厳性を求める意義が明らかになると信じます。
 アインシュタインや宇宙飛行士たちの“宇宙的・普遍的なるもの”への感動とは、宇宙に本然的に具わる尊厳性の輝きによるものではないでしょうか。そして、「小宇宙」である一個の人間の幸福の権利の希求は、生命内在の「仏性」の覚知へと向かうでしょう。
 二十一世紀、人類は「人権」への戦いを通して、大宇宙の尊厳性と、人間生命に内在する尊厳性が一体であり、ともに“宗教的・普遍的なるもの”を光源とすることに思いいたるでしょう。新たなる「人権の世紀」には、宗教性・普遍性を基盤とした「人間主義」が、人類の歴史に華々しく登場してくると確信いたします。
 私は、そのために徹して戦いゆく決意です。それは、恩師の遺志でありました。そして、恩師がそのまま生きているかのようなアタイデ総裁への私の誓いなのです。
 アタイデ 池田会長の存在は、人類の歴史に残り、その運動は時代とともに広がりゆくことでしょう。そして二十一世紀は、新たなヒューマニズムが実現された時代として、人類の歴史に深く刻まれることになるでしょう。

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