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日蓮大聖人・池田大作

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「人間の発展」を意味する「開発・発展」…  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  池田 開発・発展という観点は「第三世代の人権」の重要な要素です。この権利が主張されるようになった背景には、発展途上国の貧困がありました。多くの国では、人間らしい生活を送るための最低限度の食糧、衣服、住居さえ満たされていない。だれもが人間らしく生きる権利を保障するために、この「開発の権利」の主張が出てきました。
 当初、経済的な発展、経済成長という色彩が強かった「開発・発展」という言葉に、しだいに社会的・文化的側面が入ってきたのは、人間が人間らしく生きるためには、たんに経済的な保障だけではすまないからです。そこには、人間の尊厳を理解し、みずからの可能性を信じる価値観を育みゆく哲学、教育が不可欠です。
 アタイデ ロシアの文豪トルストイは、「幸福な家庭は互いに似通っている」と記しています。その理由を、ロシアの雑誌が「おそらく、そこでは平穏と精神の落ち着きが支配しているからであり、愛と調和のなかで子どもたちが生まれ、この地に生を享けた最初の日から美しさと善良さに囲まれているからである」と述べていたのが、心に残っています。人間の幸福のためには、このようにささやかなことが必要なのです。
 池田 まさに至言です。一人の人間の幸福を離れて、人類の幸福はありません。人類の幸福とは、一人一人の幸福のことです。
 平和学の創始者であるガルトゥング博士は、「開発・発展」は、「人間の発展を意味するものであって、国の発展とか、物の生産とか、社会体制内でのその分配とか、社会構造の変革を意味するものではない。これらは、目的に向かっての手段であって、目的、すなわち、全体としての人間、すべての人間を発展させるという目的と混同してはならない」と述べました。
 人権は、幸福なる人生を開拓する全人格の発展の権利でなければならないのです。
 アタイデ いまだにアムネスティ・インターナショナルから世界の多くの国が人権を侵害しているとして告発されている現在、人権宣言といっても、まだ次の世紀における希望にすぎない。私たちがつくりあげたものは、達成しがたい頂点ではありますが、最終的なものではありません。二十一世紀の人間のために、その宣言の完全かつ正当な履行を保証しなければならないのです。
 池田 私はかつてヨーロッパの統合のために全生涯を捧げてきたクーデンホーフ=カレルギー伯爵と対話したことがありました。
 私たちの対話は、一九七二年五月に『文明・西と東』という題で発刊されました。
 その中で、私は、新しい世紀を“生命の世紀”と名づけたいとの考えを示しました。この“生命の世紀”という言葉で、私が表現したかったことは、端的にいえば生命の尊厳を根底とする時代、社会、文明、すなわち、人間の生命、人格、個人の幸福をいかなることのためにも、手段としないこと――言い換えると、人間の生命、人格、幸福は、一切の目的であって、絶対に手段としてはならないという考え方が確立された時代、社会、そのうえに築かれる文明の世紀の展望です。
 ガルトゥング博士の言われる「開発・発展」についての指摘は、私がめざす「生命の世紀」の理念とも共鳴するものです。「人間を発展させる」――この一点が大事なことだと思います。
 この目的と手段の逆転が、今世紀の大きな悲劇を生みだしました。ファシズムの暴虐は、一民族の繁栄、栄光のために他民族を犠牲にしました。人類を殺戮し尽くせる核兵器の開発配備は、一国家、一つの陣営の発展のために、地球のすべての人々の生存の権利を踏みにじるものでした。
 目的と手段の逆転した偏狭な価値観から、新しい世紀の確立すべき価値観への転換は、たんに一つの民族、社会、国家、陣営に基盤をおいた狭隘なものではなく、全人類的な視点、全地球的な視野に立ったものでなければなりません。
 総裁たちの手によってなった「世界人権宣言」は、そのような、国家、民族等の枠組みを超えた全人類的視点、全地球的視野を築きゆくための普遍的な基盤を確立したものです。

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