Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

宗教は自由が保障されてこそ真価を発揮  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

前後
1  池田 宗教は、具体的な実践こそ“生命”です。実践なき宗教は“死んだ宗教”です。
 さて、ここで人権の歴史を振り返ってみますと、近代の人権史はまさに、「精神の自由」の獲得の歴史でもありました。なかでも、この「信教の自由」は最重要の問題です。
 創価学会は第二次大戦中、「信教の自由」のために闘い、初代会長はそのために獄死、二代戸田会長も投獄されました。戸田会長は、戦後、日本国憲法によって「信教の自由」が保障されたことの意義を、力をこめて訴えていました。正しい信仰、正しい宗教は、自由が保障されてこそ、その真価を発揮するものです。
 自由な競争といえば、古代インドのアショーカ大王の時代がまさにそうでした。以前にも言及したように、アショーカ大王は、法(ダルマ)を基にして、すぐれた治世を築いた聡明な王でした。大王は、仏法の理念を深く理解し、その理念をみずからの行動の原理として用いていましたが、決してその権威や権力によって他の宗教を弾圧することはありませんでした。
 その法勅を見ると、むしろ、他の諸宗教をも保護しようとしていたことがわかります。
 自由な競争さえ保障されれば、宗教は宗教の次元で勝負できます。だからこそ、アショーカ大王は、諸宗教の間での対話をも勧めているのです。
 日蓮大聖人もまた、『立正安国論』をもって時の政治的実力者に訴え、また、忍性(良観)ら当時の有力な宗教家たちとの公開討論を求められています。皆が自分の目で見、耳で聞いて、自分の頭を使って判断していくことを重んじられているのです。御書には、他宗派の誤りをただす個所が多くありますが、それは他宗派の言い分をも明確に記して、その論難を打ち破っていく形式です。大聖人は、相手の言い分もきちんと理解したうえで対話を行おうとされていたことをうかがわせるものです。
 諸宗教の人々が、小さな宗派性にとらわれずに、真に人類全体の幸福を求めて納得の対話を積み重ねていけば、必ずや正しい結論が導かれてくるにちがいありません。
 そして、民衆は賢明です。多くの人を長期間、だましつづけられるものなどありません。低劣な教えからは、やがては民衆は離れていきます。権威・権力の押し付けも、長い眼で見れば、成功した例は一例もありません。
 とはいえ、いや、それゆえにこそ、権威・権力の宗教への不要な介入を避けるために、政治の宗教に対する中立を確立すること、すなわち「政教分離」の原則の確立が大切なのです。
 アタイデ 第三回国連総会では、宗教に関して、政府は「中立」の立場を採るべきだという見解に落ち着きました。こうして、すべての信仰および宗教はその地位を確立したのです。
 池田 「中立」というのは、政府が特定の宗教団体を支援しない「政教分離」ということです。
 たとえばフランスは、その歴史的経緯のゆえに、これまで「政教分離」に厳格でした。フランスは、中世において“カトリック教会の長女”と位置づけられるほどのカトリック国であり、二十世紀初頭まで、カトリックは事実上の国教的地位を占めていました。
 一方、フランス革命後、共和制に敵対する王制支持者を、カトリック教会が支援したことから、共和制政府とカトリックの対立が激化し、国家が特定の宗教を支持することに対して、強い制限を加えるようになりました。こうして、一九〇五年に政教分離法が制定され、「政教分離」の原則が確立されていきます。
 具体的には、カトリックに資金的援助をはじめとする保護を加えていたのをやめ、特定のどの宗教も保護しない原則が確立したのです。
 アタイデ 国家はすべての宗教および宗派に対して、より完全で差別のない自由を保障するという重大な義務を有しており、「中立」という言葉は、かならずしも適しているとはいえません。
 政府に期待されるのは、完全で確かな「宗教的自由」のために、各種の学校に対して資金を公平に配分することです。この問題は、今世紀のはじめ、とくにフランスにおいて、広く主張されるようになりました。
 池田 フランスの学校のかなり多くは、宗教団体によって設立されたものであり、宗教教育が行われていました。当時の政府は、宗教教育を行っている学校に資金的援助をしませんでした。このため、特定の宗教を信じている人は十分な教育を受けられなくなり、かえって教育の機会均等という人権が侵害されるという大きな問題が起こってきました。
 アタイデ 当時のフランスでは、教育への援助をめぐって、当局の非妥協的な態度のため、内閣の倒壊にさえいたっています。
 池田 現在では、フランスでも、親が希望すれば、寄宿舎のある学校に司祭を置けるようにするなど、柔軟な対応が見られています。
 また、ドイツでは、各宗教団体へ税を分配して積極的に保護しています。特定の宗教を国教とはしないものの、宗教団体に特別な地位を認めているのです。
 中世ドイツにおいて、すべての住民が自分の住む地域の教会に所属するという社会制度があり、人々は教会税を納めていました。近代でもその名残として、国が教会税を代わりに集めて、各教会に分配するという制度になっていました。
 アタイデ ブラジルもまた、帝政の終わりにちょっとした宗教問題がありました。ただブラジルは、今日、すべての宗教に対して、きわめて寛容な国であると指摘できます。
 この寛容さは、ブラジル人の性格の一部となっています。ブラジルは、歴史から見ても開かれた国であり、信仰の自由が最大に保障されています。
 その一方で、宗教への寛容さを悪用し、犯罪的手段を用いて、宗教の名をかり富を求める者がいます。これらは、罰せられなければなりません。

1
1