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「信教の自由」の保障と「政教分離」の由…  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

前後
1  池田 これまで、総裁が、「世界人権宣言」を検討する第三委員会で発言されていたことを踏まえて、人権獲得の歴史を振り返りました。人権の歴史においては、たしかに政治・経済的な諸権利の獲得も重視されるべきですが、参政権にしても、財政権にしても、それを主張し、表明する権利が認められなければ、画餅にすぎません。
 日本では、一九二五年、普通選挙法が成立した時、稀代の悪法である治安維持法が同時に成立しました。成年男子の参政権が認められた一方、表現・結社の自由、ついには思想・信条の自由さえ制限されることになってしまい、その結果が、国家総動員法にいたる軍国主義日本への道となったのです。
 「良心の自由」「思想・信条の自由」がなければ、他の諸権利を認める条項が謳われても、有名無実に帰していくしかないのです。だからこそ、「精神の自由」を確立し、保障することが何よりも大切です。
 アタイデ 現代社会において、その重要さから、関心をもつべき第一のものとしてあげられるのが「信教の自由」でしょう。
 池田 同感です。「信教の自由」を否定することは、その人の人格を否定することにつながってしまう。世界の多くの人々にとって、みずから信じる宗教は、すでにその人の一部分になっているからです。「信教の自由」を保障することは、人間らしさを守るために、きわめて大切なことであると思います。
 環境といい、平和といっても、それを支え守るのは人間です。人間の心です。そして、一人一人が自己実現をなしとげ、“自分らしさ”を確立するには、豊かな心をはぐくむ“自由”が大切です。
 かつて社会主義国では、建前として「信教の自由」を認めつつも、「宗教はアヘン」とのイデオロギー的主張が優勢でした。ゴルバチョフ氏が推進したペレストロイカによる自由化の波は、人々の心にひそやかに息衝いていた宗教心も解放しました。
 ソ連では、一九九〇年十月一日、「良心の自由と宗教団体に関する法律」が正式に承認され発効しました。これは、ゴルバチョフ政権下で実現されつつあった「信教の自由」を法的に確認し、成文化したものです。
 アタイデ アタイデ家では、父親の高い教養のおかげで、「信教の自由」がつねに一家の関心の対象であったことを思い出します。
 池田 そうした家庭環境を基盤として、総裁はするどい人権感覚を磨かれた。また、それが「世界人権宣言」の作成にあたって、「信教の自由」の擁護に貢献されることになった一因なのでしょうか。
 アタイデ 「世界人権宣言」作成のさい、宗教の問題は私の担当でした。私は、「信教の自由」が基本的人権の一つであることを、全員に主張しました。
 池田 総裁は、「世界人権宣言」の検討の折にも、第一八条(草案第一六条)について発言されていますね。
 アタイデ “精神の自由”に深い関心をいだいていたからです。
 池田 第一八条は、最終的に「何人も、思想、良心および宗教の自由を享有する権利を有する。この権利は、その宗教または信念を変更する自由、および、単独にまたは他人と共同して、公的にあるいは私的に、教育、行事、礼拝および儀式によってその宗教または信念を表明する自由を含む」となっています。
 議事録によりますと、イラク代表のアバディ氏は、この条文を三つに分けています。
 すなわち、最初が「表現の自由」で、これは、宗教的、哲学的信念とともに、科学的意見も表明する自由に広げられるものである、と。そして、次が「宗教の自由」。これは、人と“神”との関係についてのものである、と。そして、最後が、「礼拝の自由」であり、これは個人と社会の関係である、としています。
 アタイデ この条項の検討では、ソ連代表のパブロフ教授が、「良心の自由」および「宗教の自由」という語を除いて「思想の自由」だけを謳った修正案を提起しました。

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