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「第一世代の人権」と「第二世代の人権」…  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  池田 ところで、国連総会での投票の結果、「世界人権宣言」は、賛成四十八、反対ゼロ、棄権八で、採択されました。ソ連をはじめとする東側諸国が反対票を投じることなく棄権にとどまったのは、「世界人権宣言」に完全には賛成できないが、反対ではないという意思表示として理解されていますが、この点、総裁はどうお考えになりますか。
 アタイデ ソ連をはじめとする東欧諸国のほか、南アフリカ連邦(当時)等が棄権しました。採決後、総会議長は「まったく直接的な反対もなく、大多数によって、このようにきわめて重要な宣言が採択されたことは、画期的な業績である」と語りました。
 人間社会は、互いに対立する二つの異なった主張――精神主義と物質主義によって分割されていました。ではなぜ、「世界人権宣言」に反対する者が出なかったのか。それは西洋民主主義においてすでに古典的であった「政治的権利」「市民的権利」が、以前は考えもおよばなかった「経済的権利」「文化的権利」と合体したことによって、さまざまな相違や対立を解消させる効果を発揮したからであると思うのです。
 池田 人権思想の二大潮流の統合ですね。
 アタイデ 「政治的権利」「市民的権利」は、十八世紀のアメリカ独立革命、フランス革命などの市民革命によって得られたものです。「バージニア権利章典」「アメリカ合衆国憲法」、そしてフランスの「人権宣言」等の歴史的な文書によって主張されている「自由」「平等」「友愛」は、民主主義が立脚する政治上の基盤として認められています。
 池田 政治参加の権利、生命や居住に関する自由・平等を中心とする「自由権」は、十八世紀末から十九世紀初頭に、他の人権に先駆けて、確立されてきた人権であり、「第一世代の人権」とされます。
 しかし、「第一世代の人権」は、社会的・経済的保障がないと、しばしば侵害されました。たとえば、貧困のために非人道的な労働につかざるをえず、結果として生命の尊厳が侵されることもあります。
 それゆえ、労働権をはじめ、経済・社会・文化等の社会的活動に関する諸権利がしだいに求められました。この「経済的権利」「文化的権利」は、「社会権」と総称されます。
 「社会権」は、十九世紀から二十世紀にかけてアメリカ大陸諸国で発布された憲法や、ドイツが一九一九年に制定した「ワイマール憲法」などで規定され、確立されていきました。「第一世代の人権」に次いで確立されてきた人権なので、「第二世代の人権」と呼ばれます。また、人間の生存の条件にかかわることから、「生存権」とも位置づけられています。
 「世界人権宣言」の制定の経緯を見ますと、「第一世代の人権」を伝統的に認めてきた自由主義国が、新たに起こった「第二世代の人権」を認めていることがうかがえます。
 アタイデ 代替不能な「消極的」自由を主張する英米型民主主義において、これほどまでに生気に満ち、活発な存在である自由主義的伝統は、「労働に関する権利」「個人所有に関する権利」「正義に関する権利」「健康に関する権利」「文化に関する権利」「福祉に関する権利」等の“積極的”な権利を否定するものではないのです。
 池田 そのとおりです。人権について、「積極的義務」と「消極的義務」という分類があります。
 「消極的義務」は、抑圧の解放に関する権利であるので「~からの自由」と位置づけられ、「積極的義務」は、政治・社会等への参加などに関するので「~への自由」と位置づけられます。
 「世界人権宣言」は、この二つの義務、あるいは「第一世代の人権」と「第二世代の人権」が統合・調和した内容となっており、採択において論議を呼んだのも、この点です。
 アメリカをはじめとする西側自由主義諸国は“国家は必要悪であり、国家が個人の人権に干渉すべきではない”という考え方を主軸としていました。
 それに対して、ソ連陣営は“国家は必要悪ではなく、積極的に個人の人権保障にかかわるべきものである”と考えていました。いわゆる「社会権」を重視するわけです。
 これまでに確認したとおり、「宣言」は“国家が個人の自由を十分に守らなかったがために二度にわたる世界大戦が起こった”という反省のうえに成り立っているため、権力から個人を保護する「自由権」が主軸になっています。そのため、ソ連陣営は「自由権」中心の「世界人権宣言」は不十分と考え、棄権したと解釈されていますね。
 アタイデ 報道の自由、集会の自由、移動の自由をはじめとする政治的自由や差別を禁ずる規則は、当時のソ連の全体主義的な政治体制とは相入れないものでした。私は、第三委員会でソ連の代表を務めていた、有名な学識者であるパブロフ教授に質問したことがあります。「市民の民主的特権に関する宣言の条項についてソ連が強硬に反対していることを、われわれは近代的な政治哲学のなかでどのように理解したらよいのだろうか」と。彼は答えました。「それらの条項に賛成し、ソ連で実施したならば、現体制は六カ月とつづかないでしょう」と。本当に誠実で現実的な告白です。
 ともあれ、この百年間に、人類が達成した進歩の一つとして、(「第一世代の人権」が保障した)“政治的自由”だけではなく、(「第二世代の人権」が保障する)“社会的自由”も考慮し、すべての民族の共通の願いとして組み込んだのが「世界人権宣言」です。
 池田 具体的には、第三条から第二一条までは、「第一世代の人権」である「自由権」の規定であり、第二二条から第二七条は、「第二世代の人権」である「社会権」を謳ったものですね。
 さらに、第二八条から第三〇条までは、この「自由権」「社会権」を保障するために、個人の意識の確立と、社会的基盤とりわけ国際的基盤の確立を求めています。これは“一国家”における人権保障を超えた、まさに「“世界”人権宣言」ならではの権利の主張といえましょう。
 アタイデ これは、共同体、すなわち社会集団に対する個人の義務を規定するものです。この「宣言」の最後を飾る第二九条、第三〇条の崇高な主張にこそ、われわれの作業が、永久不変の偉業として権威を獲得しうるとの確信が現れているのです。
 池田 よくわかります。七〇年代、オイル・ショックによる打撃を受けて、発展途上国を中心に貧困層の人権侵害がいちじるしくなりました。そのとき「開発・発展」も人権であるとの考えが起こり、さらに一歩深く「人間」という視点に立って、国家を超えた人権保障の必要性が強調されました。この最後の二カ条は、まさにその先取りともいうべきものです。
 そうした人権のための国際的な開発秩序の必要性をはじめ、「健康で調和のとれた環境に対する権利」「平和の権利」「人類の共同遺産を所有する権利」などが、「第一世代」「第二世代」につづく、「第三世代の人権」の内容として挙げられます。「第三世代の人権」については、次章に詳しく論じたいと思います。

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