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日蓮大聖人・池田大作

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仏教における「人権」の人類的普遍性  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  池田 さて、仏教思想では、人間のみならず、万物に普遍する“宇宙根源の法”が、生命の「尊厳」の基盤であるととらえています。そこに人権の普遍性と尊厳性の根拠もある。
 キリスト教の思想が、神の前における「平等」を説くのに対して、仏教の「平等」の思想は、すべての人々に“内なる普遍の法”が具わっていることに由来します。
 しかも、その“法”の覚知が万民に開かれていると知ることによって、「本質的平等」に目覚めるのです。
 “普遍の法”は、宇宙全体をつらぬく因果の理法であり、ゆえに、この大宇宙に生を受けた一人一人の生命を支え動かすものとして、厳然と具わっているのです。「法」=「ダルマ」とはサンスクリットで、“支えるもの”“担い運ぶもの”との意味です。
 また、「平等」という言葉は、仏教において重要な意味をもっています。これはサンスクリットでは「サマター」といい、「対等」「同一」「公平」などを意味します。仏教ではさらに、“憎しみや愛しさ、好き嫌いを超えている”という普遍性をも指し示しています。
 つまり、民族、人種、文化、宗教、習慣等の、さまざまな差異を超える“自由”にして“平等”なる智慧――愛憎、好き嫌いの煩悩、貪欲、争いへの衝動に打ち勝つ、宇宙普遍の法から湧きいずる智慧――によって、あらゆる「差別」への挑戦に向かいゆくのです。
 アタイデ 人間の内に“聖なるもの”を見る視座がなければ、人間の尊厳という思想の根はできないでしょう。その意味から、私は仏法の考え方に強く共感しているのです。
 池田 仏教の平等観から見るとき、いかなる民族・人種の文化的、精神的遺産にも、大宇宙にみなぎる“普遍なる法”が輝いているのです。
 その“光り輝く存在”に目を向けるとき、互いの尊厳を守る友情と信頼の心――善なる心がわき起こってくる。その心を基軸に、他の人々や民族の苦しみと「同苦」し、ともに苦の超克へと向かいゆく“人権の闘争”――それは、自己を拡大しゆく慈悲と正義の戦いといえます。“宇宙根源の法”が普遍性と究極の尊厳性をもつゆえに、そこに立脚する「平等」と「自由」と「慈悲」の戦いもまた、人類的普遍性を獲得することができるのです。

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